今日の画像は
私が、赤塚不二夫先生からいただいたサイン色紙である。
何故、このサイン色紙を私が、いただけたのかという話しは、以前、何度かブログで、話しているので、そちらを御覧いただけたら幸いである。
今日の私のブログのタイトルは、
私の人生には、『一杯のかけそば』のような話しより『巨人の星』これでいいのだ!!
について、話しをしたいと思うからだ。
私のアメブロのプロフィールに、嫌いなタイプとして
偽善者。上から目線の評論家。働かない父や弟を自慢する棟梁の娘。
と、書いたことに対して、ブログにおいて私の本名、名指しで抗議されている方が数名いるようなので、話しをしてみたい。
私が、働かない父や弟を自慢する『棟梁の娘』が嫌いな理由は、あくまでも私が、育ってきた家庭環境が影響しているためであり、オカシイと思う人もブロガーさんの中にはたくさんいるかも知れない。
だから、あくまでも私だけの考えかも知れない。
私は、『一杯のかけそば』のような話しより、『巨人の星』が好きだ。
何故なら、棟梁というプライドや誇りでろくに働きもせず、家族に貧しい暮らしをさせて、娘に行きたい高校へも満足に通わせてあげることが出来ず恨まれたりする父親より、梶原一騎先生・原作、川崎のぼる先生・画の漫画やアニメでも知られる『巨人の星』の主人公、星飛雄馬のとうちゃん星一徹のような父親が好きだからだ。
星一徹は、息子、星飛雄馬を、プロ野球巨人軍の星に、という夢を実現させるため、大好きだった酒もやめ、元巨人軍の幻の名三塁手だったというプライドや誇りより、息子飛雄馬を高校に進学させる資金を作るために日雇い人夫、土方の仕事を始めるのだ。
そのため、体を壊して倒れてしまい、少しのあいだ療養生活を送ることになる。そんな父の姿を見て、飛雄馬は、巨人軍の星となるような投手を目指し、それを達成する物語だ。
棟梁という誇りやプライドのために仕事を選び、満足に働きもしない父親とは、随分印象がちがう。
私は、学歴による差別や自慢は嫌いだが、職業の差別や自慢は、もっと嫌いなのだ。
少女漫画家の上田トシコ先生は、お屋敷の門番の子フイチンを主人公にした少女漫画、『フイチンさん』を描き、職業に貴賎はないと私に教えてくれた。
棟梁というプライドや誇りで仕事を選び、働かない、父親より、星一徹のようなとうちゃんの方が私は、好きだ。
山形県庄内地方の地主のひとつだった私の父の実家は、戦後のGHQの農地改革により、莫大な農地のほとんどを失なってしまう。
私の祖父は、戦後直ぐに亡くなってしまったため、昭和11年生まれの私の父は、復員してきた一番上の兄が父親代わりとなり、育てられることになる。
戦後の地主の家は、理不尽な差別を受けたことがあるという。
私の父の場合は、教師たちからの差別を受け、学校嫌いとなり、優秀な兄たちとは違い、一人だけ中卒となる。
実家の農家の手伝いをしながら、運転免許を取り、故郷を後にした。
東北から都会に出てきても学歴のない父に出来る仕事は、土方の仕事などの辛いものばかり。
ようやく、大好きな車の運転が出来る職業、タクシーの運転手となり、私の母と結婚する。
横浜のアパート暮らしの家族に、マイホームをと願った父は、若い時から、常に働きずめの毎日を送っていた。
私が小学校低学年の頃までは、父が家にいたことさえほとんど記憶にないくらいだ。
朝早くから仕事に出かけ、家族と一緒に夕食を食べる時だけ家に帰り、また直ぐに仕事に出かけてしまう。私の母も、私が幼稚園に通い始めると、小学校の給食のおばさんとして働きだすことになる。
家で一人ぼっちでいることが多かった私は、テレビやアニメが好きとなってしまった。
タクシー運転手の給料が出来高制から月給制と変わってしまった時、私の父が選んだ職業は、川崎市の公務員。
中卒の父が中途採用された理由は、希望者の少ないゴミ収集車の運転手だったから。
私は、タクシーを運転する父親の姿が好きだったのに・・・。
けれども、それは、将来の安定した職業となり、マイホームを持つために、父が選んだことだったのだ。
私が、中学2年の時、アパート暮らしから、マイホームとなり、私は、自分の部屋を持つことが出来た。
けれどもその後、力道山のような筋肉質の体力自慢だった父は徐々に体調を崩していくことになる。
その頃、様々な理由から不良少年となってしまっていた私は、二度目の父の長期入院を気に、改心し、大学進学を志す。
そのことを知り、中卒のため、長いこと学歴差別を受けてきた父はとても喜んでくれたのだが・・・。
一浪後、私が無事大学へ進学出来たのは、病にたおれる前から将来の私の進学資金を積立ててくれていた父のおかげである。
そんな父の墓を、給食のおばさんをして働いていた母が建てることが出来たのは、父の死後、3年後の私が20歳の時だった。
父の遺言により、墓を建てることより、私の将来のための進学資金の方が優先されたのだ。
棟梁としての誇りやプライドにこだわり、働かない父親より、愛する家族を幸せにするため、職業の貴賎を選ばない、正直で働きものの父親の方がどうしても私は好きになってしまう。
『浪花節だよ人生は』よりも、『ヨイトマケの唄』が好きで、聞くと正直で働きもので家族思いの父親のことを思い出してしまい、どうしても泣けてしまうのは、私だけのことなのかな。
私なりにいくら考えてみても、嫌いなタイプは、
偽善者。上から目線の評論家。働かない父や弟を自慢する棟梁の娘
となってしまう。
そして、父から教わった人と付き合う上での大切なこと
相手の立場に立って物事を考えてみるんだ。
そうすれば何が真実なのかがわかるようになる。
私が、赤塚不二夫先生からいただいたサイン色紙である。
何故、このサイン色紙を私が、いただけたのかという話しは、以前、何度かブログで、話しているので、そちらを御覧いただけたら幸いである。
今日の私のブログのタイトルは、
私の人生には、『一杯のかけそば』のような話しより『巨人の星』これでいいのだ!!
について、話しをしたいと思うからだ。
私のアメブロのプロフィールに、嫌いなタイプとして
偽善者。上から目線の評論家。働かない父や弟を自慢する棟梁の娘。
と、書いたことに対して、ブログにおいて私の本名、名指しで抗議されている方が数名いるようなので、話しをしてみたい。
私が、働かない父や弟を自慢する『棟梁の娘』が嫌いな理由は、あくまでも私が、育ってきた家庭環境が影響しているためであり、オカシイと思う人もブロガーさんの中にはたくさんいるかも知れない。
だから、あくまでも私だけの考えかも知れない。
私は、『一杯のかけそば』のような話しより、『巨人の星』が好きだ。
何故なら、棟梁というプライドや誇りでろくに働きもせず、家族に貧しい暮らしをさせて、娘に行きたい高校へも満足に通わせてあげることが出来ず恨まれたりする父親より、梶原一騎先生・原作、川崎のぼる先生・画の漫画やアニメでも知られる『巨人の星』の主人公、星飛雄馬のとうちゃん星一徹のような父親が好きだからだ。
星一徹は、息子、星飛雄馬を、プロ野球巨人軍の星に、という夢を実現させるため、大好きだった酒もやめ、元巨人軍の幻の名三塁手だったというプライドや誇りより、息子飛雄馬を高校に進学させる資金を作るために日雇い人夫、土方の仕事を始めるのだ。
そのため、体を壊して倒れてしまい、少しのあいだ療養生活を送ることになる。そんな父の姿を見て、飛雄馬は、巨人軍の星となるような投手を目指し、それを達成する物語だ。
棟梁という誇りやプライドのために仕事を選び、満足に働きもしない父親とは、随分印象がちがう。
私は、学歴による差別や自慢は嫌いだが、職業の差別や自慢は、もっと嫌いなのだ。
少女漫画家の上田トシコ先生は、お屋敷の門番の子フイチンを主人公にした少女漫画、『フイチンさん』を描き、職業に貴賎はないと私に教えてくれた。
棟梁というプライドや誇りで仕事を選び、働かない、父親より、星一徹のようなとうちゃんの方が私は、好きだ。
山形県庄内地方の地主のひとつだった私の父の実家は、戦後のGHQの農地改革により、莫大な農地のほとんどを失なってしまう。
私の祖父は、戦後直ぐに亡くなってしまったため、昭和11年生まれの私の父は、復員してきた一番上の兄が父親代わりとなり、育てられることになる。
戦後の地主の家は、理不尽な差別を受けたことがあるという。
私の父の場合は、教師たちからの差別を受け、学校嫌いとなり、優秀な兄たちとは違い、一人だけ中卒となる。
実家の農家の手伝いをしながら、運転免許を取り、故郷を後にした。
東北から都会に出てきても学歴のない父に出来る仕事は、土方の仕事などの辛いものばかり。
ようやく、大好きな車の運転が出来る職業、タクシーの運転手となり、私の母と結婚する。
横浜のアパート暮らしの家族に、マイホームをと願った父は、若い時から、常に働きずめの毎日を送っていた。
私が小学校低学年の頃までは、父が家にいたことさえほとんど記憶にないくらいだ。
朝早くから仕事に出かけ、家族と一緒に夕食を食べる時だけ家に帰り、また直ぐに仕事に出かけてしまう。私の母も、私が幼稚園に通い始めると、小学校の給食のおばさんとして働きだすことになる。
家で一人ぼっちでいることが多かった私は、テレビやアニメが好きとなってしまった。
タクシー運転手の給料が出来高制から月給制と変わってしまった時、私の父が選んだ職業は、川崎市の公務員。
中卒の父が中途採用された理由は、希望者の少ないゴミ収集車の運転手だったから。
私は、タクシーを運転する父親の姿が好きだったのに・・・。
けれども、それは、将来の安定した職業となり、マイホームを持つために、父が選んだことだったのだ。
私が、中学2年の時、アパート暮らしから、マイホームとなり、私は、自分の部屋を持つことが出来た。
けれどもその後、力道山のような筋肉質の体力自慢だった父は徐々に体調を崩していくことになる。
その頃、様々な理由から不良少年となってしまっていた私は、二度目の父の長期入院を気に、改心し、大学進学を志す。
そのことを知り、中卒のため、長いこと学歴差別を受けてきた父はとても喜んでくれたのだが・・・。
一浪後、私が無事大学へ進学出来たのは、病にたおれる前から将来の私の進学資金を積立ててくれていた父のおかげである。
そんな父の墓を、給食のおばさんをして働いていた母が建てることが出来たのは、父の死後、3年後の私が20歳の時だった。
父の遺言により、墓を建てることより、私の将来のための進学資金の方が優先されたのだ。
棟梁としての誇りやプライドにこだわり、働かない父親より、愛する家族を幸せにするため、職業の貴賎を選ばない、正直で働きものの父親の方がどうしても私は好きになってしまう。
『浪花節だよ人生は』よりも、『ヨイトマケの唄』が好きで、聞くと正直で働きもので家族思いの父親のことを思い出してしまい、どうしても泣けてしまうのは、私だけのことなのかな。
私なりにいくら考えてみても、嫌いなタイプは、
偽善者。上から目線の評論家。働かない父や弟を自慢する棟梁の娘
となってしまう。
そして、父から教わった人と付き合う上での大切なこと
相手の立場に立って物事を考えてみるんだ。
そうすれば何が真実なのかがわかるようになる。