私が店長をしているショッピングサイトがあります。
【漫画の匠】
http://www.manganotakumi.com
よろしくです。
『編集者が選ぶ少年週刊誌40年マンガランキング100』
67位は、『うしろの百太郎』つのだじろう。
画像は、
『日経トレンディ』(1998年5月号・日経ホーム出版社)より。
『週刊少年マガジン』(講談社)
(1973年)
主護霊との関わりを描く怪奇もの。
コックリさんも流行らす。。
講談社漫画文庫全6巻
『日経トレンディ』
1998年5月号(日経ホーム出版社)より。
『恐怖新聞』と同時期に連載開始。
この作品により、主護霊の存在を知る。
さて、今回ブログの更新が遅くなってしまったのには理由がある。
昨晩、この記事をかいていたら、アメーバのブロガーさん達による理不尽な誹謗中傷トラブルに遭遇し、強迫まがいの迷惑メールがきたり、ブログに私の名前が書き込まれたりしだしたのだ。
その件に関してはまた記事を改めるが・・・。
小さい頃から、霊感が強かった私は、子供の頃から、見えない世界のものがとても怖かった。
うちの母方の従兄弟たちには、霊感が強い者が多く、同じ横浜鶴見に住んでいた3歳上のお兄さんなど、高校生の時、修学旅行で恐山へ行き、皆で写真を撮ろうとした際、つまれていた石を崩してしまった。
それから、妙に身体の具合が悪くなり始め、修学旅行が終了して解散となり、家に帰宅し、2階の部屋で独り寝ていたら、夜中にガヤガヤと言った大勢の人の話し声と階段を昇ってくる足音が聞こえてきた。
気がつくと自分の布団の周りを和服を着た見たこともない古い時代の感じがする御爺さんや御婆さんなど十数人の人達が取り囲んでいる。
驚いて大声をあげたら姿が消えてしまったのだが、それからしばらくの間、毎晩のように階段を昇り降りする人の気配や話し声がするようになる。
そんな日々が3日くらい続いたので3人家族、皆、そのことを不気味に思い、おはらいをしてもらったのだが、どうやらその原因は、従兄弟のお兄さんに頼って大勢の霊たちが体に取り付いてしまい、お兄さんは背中にしょって家に連れて来てしまったようだ。
無事、除霊は済み、その後は何もなかったのだが、従兄弟のお兄さんには、他にも霊が見えたことが何度かあったようだ。
私は、気配は、感じることは何度かあったのだが、幸いにも見えたことはない。
だが、四国の足摺岬や、沖縄の旧海軍指令部壕などでは、必ず妙な気配を感じるし、他にも観光地やホテルなどには、そういった霊たちの好む場所が多数存在する。
旅行会社の添乗員としての私の最大の試練は、そういった場所に出くわした時の霊たちとの闘いである。
漫画家の楳図かずお先生に、少年画報大全のインタビューで初めて御会いした時のことだ。
ご自宅でのインタビューで楳図先生が何故か突然、
そういえば、本間さんはなんか神主みたいに見えますね。
と言われ、とても驚いたことがある。
何故なら、私の母方の一族は、茨城県にある鹿島神宮の神官として、500年前から記録が残っており、現在も母の実家が管理する古い神社が家の敷地の裏に存在するのだ。
そのことは、それまであまり人には話したことがなかったのに、あの楳図先生が突然、私のことが神主みたいに見えると言われたのだから驚かずにはいられない。
従兄弟たちに霊感が強い者が多いのもどうやらそのためらしい。
そういえば、池袋で漫画喫茶をやっていた時も、三島由紀夫の霊言などで知られる霊能者の太田千寿さんが偶然店に現れ、無料でいろいろ霊視してくれた上、著書までいただいたことがある。
その時、話題になってた漫画喫茶でなく、
いまとは、違う感じになるけどあなたは、漫画に関係した仕事を続けて成功していくわ。
でも、上手くいくのは、ずいぶん先の話しね。
と妙な予言をし、別の機会に呼ばれていくと、かつての東映の美人女優がやっているお店で、発明家のドクター中松を紹介してくれたことがある。
その後、漫画喫茶は閉店したが、今も漫画に関係する仕事を続けることが出来ている。
私は、無料で将来を霊視され予言もあたり?、著書までいただき、女優や、ドクター中松まで紹介してもらえた。
オカルトな話しである。
さて、私の霊感については、旅行会社時代にみんなを驚かせた出来事がまだまだあるのだが、それは、また、改めて話してみたいと思う。
季節外れではあるが、うしろの百太郎にまつわり私が思いだしたいくつかの忘れられないエピソードだ。
でも、一番怖いのは、生きている人間同士の妬みやそねみなどの悪意の感情のぶつかりあいかも知れない。
どんな綺麗ごとを言っていても、写真を載せたりせず、妙な感じを受けるブログと、写真もあり、根拠や真実味をが溢れている暖かい感じのブログもあると思うのは私だけなのだろうか?
【漫画の匠】
http://www.manganotakumi.com
よろしくです。
『編集者が選ぶ少年週刊誌40年マンガランキング100』
67位は、『うしろの百太郎』つのだじろう。
画像は、
『日経トレンディ』(1998年5月号・日経ホーム出版社)より。
『週刊少年マガジン』(講談社)
(1973年)
主護霊との関わりを描く怪奇もの。
コックリさんも流行らす。。
講談社漫画文庫全6巻
『日経トレンディ』
1998年5月号(日経ホーム出版社)より。
『恐怖新聞』と同時期に連載開始。
この作品により、主護霊の存在を知る。
さて、今回ブログの更新が遅くなってしまったのには理由がある。
昨晩、この記事をかいていたら、アメーバのブロガーさん達による理不尽な誹謗中傷トラブルに遭遇し、強迫まがいの迷惑メールがきたり、ブログに私の名前が書き込まれたりしだしたのだ。
その件に関してはまた記事を改めるが・・・。
小さい頃から、霊感が強かった私は、子供の頃から、見えない世界のものがとても怖かった。
うちの母方の従兄弟たちには、霊感が強い者が多く、同じ横浜鶴見に住んでいた3歳上のお兄さんなど、高校生の時、修学旅行で恐山へ行き、皆で写真を撮ろうとした際、つまれていた石を崩してしまった。
それから、妙に身体の具合が悪くなり始め、修学旅行が終了して解散となり、家に帰宅し、2階の部屋で独り寝ていたら、夜中にガヤガヤと言った大勢の人の話し声と階段を昇ってくる足音が聞こえてきた。
気がつくと自分の布団の周りを和服を着た見たこともない古い時代の感じがする御爺さんや御婆さんなど十数人の人達が取り囲んでいる。
驚いて大声をあげたら姿が消えてしまったのだが、それからしばらくの間、毎晩のように階段を昇り降りする人の気配や話し声がするようになる。
そんな日々が3日くらい続いたので3人家族、皆、そのことを不気味に思い、おはらいをしてもらったのだが、どうやらその原因は、従兄弟のお兄さんに頼って大勢の霊たちが体に取り付いてしまい、お兄さんは背中にしょって家に連れて来てしまったようだ。
無事、除霊は済み、その後は何もなかったのだが、従兄弟のお兄さんには、他にも霊が見えたことが何度かあったようだ。
私は、気配は、感じることは何度かあったのだが、幸いにも見えたことはない。
だが、四国の足摺岬や、沖縄の旧海軍指令部壕などでは、必ず妙な気配を感じるし、他にも観光地やホテルなどには、そういった霊たちの好む場所が多数存在する。
旅行会社の添乗員としての私の最大の試練は、そういった場所に出くわした時の霊たちとの闘いである。
漫画家の楳図かずお先生に、少年画報大全のインタビューで初めて御会いした時のことだ。
ご自宅でのインタビューで楳図先生が何故か突然、
そういえば、本間さんはなんか神主みたいに見えますね。
と言われ、とても驚いたことがある。
何故なら、私の母方の一族は、茨城県にある鹿島神宮の神官として、500年前から記録が残っており、現在も母の実家が管理する古い神社が家の敷地の裏に存在するのだ。
そのことは、それまであまり人には話したことがなかったのに、あの楳図先生が突然、私のことが神主みたいに見えると言われたのだから驚かずにはいられない。
従兄弟たちに霊感が強い者が多いのもどうやらそのためらしい。
そういえば、池袋で漫画喫茶をやっていた時も、三島由紀夫の霊言などで知られる霊能者の太田千寿さんが偶然店に現れ、無料でいろいろ霊視してくれた上、著書までいただいたことがある。
その時、話題になってた漫画喫茶でなく、
いまとは、違う感じになるけどあなたは、漫画に関係した仕事を続けて成功していくわ。
でも、上手くいくのは、ずいぶん先の話しね。
と妙な予言をし、別の機会に呼ばれていくと、かつての東映の美人女優がやっているお店で、発明家のドクター中松を紹介してくれたことがある。
その後、漫画喫茶は閉店したが、今も漫画に関係する仕事を続けることが出来ている。
私は、無料で将来を霊視され予言もあたり?、著書までいただき、女優や、ドクター中松まで紹介してもらえた。
オカルトな話しである。
さて、私の霊感については、旅行会社時代にみんなを驚かせた出来事がまだまだあるのだが、それは、また、改めて話してみたいと思う。
季節外れではあるが、うしろの百太郎にまつわり私が思いだしたいくつかの忘れられないエピソードだ。
でも、一番怖いのは、生きている人間同士の妬みやそねみなどの悪意の感情のぶつかりあいかも知れない。
どんな綺麗ごとを言っていても、写真を載せたりせず、妙な感じを受けるブログと、写真もあり、根拠や真実味をが溢れている暖かい感じのブログもあると思うのは私だけなのだろうか?