彼に惹かれつつも必死で抵抗する貞淑な人妻を、
落とそうとして追い詰めるヴァルモン。
そこの場面がたまらなく、ヤらしくて素敵。
(本屋のネーチャンに見せたらゲラゲラ笑った)
「お願いです、私をお救いください!
どうぞ私をお放しください!」
そう懇願しながら彼女は、
彼の足にすがりついている。
彼女から離れようとしたが、足にまとわりつく彼女のせいで、
動けないことに気づいたヴァルモン、
いやらしくニヤリと笑い(これがなんとも言えない)、
彼女の肩を、軽くパンパンと叩く。
叩くというより、合図している感じ。
これが、合気道における畳をパン! とする
「まいった、降参」の動作に相通ずる。
「もう、ダメ」に近いヤらしさが、めちゃくちゃ色っぽい。
ヴァルモンの合図は、「もうダメ」ではなくて、
「放してくれと口では言いながら、
僕にしがみつき、放してくれないのは貴女の方ですよ」
というニュアンスの合図。
ものすごく意地悪な目をしているのよ、これが。
彼女は、身の置き所がないほど恥じ入るし、
彼は、してやったりの気分。
誰にどう説明しても、あまりわかってもらえないのだが、
このヤらしい「ニヤリ」と、「肩をパンパン」が、
私の心の琴線に触れた。
この二つのしぐさだけで、高嶺ふぶきに悩殺された。
こんなにいい表情しているのに、
きっと実際の舞台では、見えない人がほとんどだろう。
人間には、いろんな物に惹かれる部分があるね。
自分の中に、まだこういう物が残っていたとは。
しかし所詮、幽霊への思慕なのだ。
実態が残っていないのは承知の上で、
女優・高嶺ふぶきの出る舞台のチケットを
発作的に取ってしまった。
本当にもう、どうしてくれる。
蛇足。
長年大好きだった慎吾くんは、
竹ノ塚歌劇団では、小鳩ふぶきを演じている。
胸に何か詰まっているので吐き出したい。
「エリザベート」(宝塚雪組版)をくりかえし見て、
8割がた轟悠のルイジ・ルキーニに、
気持ち悪いと反発しつつ惹かれてしまった。
残りの2割は、高嶺ふぶきのフランツ・ヨーゼフ皇帝の、
なにげないしぐさに、ふらふら惹かれた。
勢いで「仮面のロマネスク」を見て、
高嶺ふぶきのヴァルモンに完全にやられた。
こちらの轟悠は、きれいなだけのおもしろくない男で、
何もひっかからなかった。
宝塚に詳しい人によると、
轟悠は伝説のルイジ・ルキーニで、
高嶺ふぶきのヴァルモン子爵も評価が高いらしい。
(M叔母によると、彼女はインパクトが弱いとのこと)
私は何も知らずに定石通りにハマったのだ。
ものすごく単純な頭脳構造をしているから。
しかし、これには時差がある。
私が観ているDVDやビデオは何年も前のものであり、
高嶺ふぶきは、すでに宝塚にはいない。
幽霊のファンになったようなものである。
実在する高嶺ふぶきの舞台を観るチャンスはあっても、
それは、女優の舞台なのだな。
たぶん私が宝塚について、詳しくなるような事態は、
これから先も起こりえないだろうし、
舞台を観に行くことも、まずないだろう。
だから、四季の光枝さんや芝さんを好きというのとは違い、
さらにワンクッションもツークッションも、
置いた感じの「好き」。
自分にとって夫や恋人がLv1の距離だとしたら、
(恋人いないけどね)
光枝さん、芝さん、石丸さん、藤原大ちゃんはLv2の距離。
慎吾くんや、藤原竜也はLv3。
Lv4以上の大きな距離に、
さらに時間軸的な距離も加わったはるか遠くで、
高嶺ふぶきを好きになりました。
敬称がつかないのは、その距離の証明であります。
実在の人物というよりは、マンガの登場人物に近いかも。
以上のような前提の元に、
「仮面のロマネスク」のヴァルモン子爵について、
改めて書きたいと思っています。
まさか、このようなことになろうとは。
「エリザベート」を発表会作品に選んだ北川先生、
DVDを貸してくださったOGさんのおかげです。
(どうしてくれるのよ、と恨みたい気持ちも少し~)
でも幽霊を好きになるのは、なんだか切ない~。