8/28 スーさんの相談を聞いて鍵をかけておいた心のロッカーを開けてしまった
私が愛する近所のおばあちゃんの死を突然聞いたのは16歳の秋だった。
私は凍り付いてそれきり最近まで愛することからソッポを向いた。
失う怖さで。
同じ失うでも失恋なんて屁でもない。
失恋なら、しゃァない、次の男?だけど
死によって有無を言わされず奪われた愛はどうにも補えない。
私は愛することを拒否して生きてしまった。
あの時、もっとポジティブなに考えて人生に向かったら、
きっと私は健全なおかあさんになったかもしれない。
でも16歳の私にあの時、何ができただろう?
後追い自殺をしなかっただけでも今の私は「よく頑張った」って
言うよ。
愛っていろんな種類があって、失った衝撃も愛の深さ?に
よってさまざま。
どれも愛なんだけど、仲良しの父の死にたいして泣かなかった。
母も命日すら覚えていない。
彼女の死で失った時の長さよ。
よく夢に見て、ああ、やっぱり生きていたと起き上がり
やっぱり死んでしまったとわかる時の悲しさ。
私の顔を見ただけで、心の傷を察してくれた人は他にいなかった。
そんなに重傷ではなかった。
ちょっとしたかすり傷なんだけど、
でも当時は痛かった。
誰かに痛いの痛いの飛んでいけってやってもらいたかった。
でも、頼むのは嫌だった。
頼まなくてもわかってくれて、特に何も聞かずに手当をしてくれた人。
私が一生世話するねって思っていた。
なんて人生にしてしまったんだろう?
自分がやったんだよ。