4月7日(木)
4/12℃(宮城県岩沼市中央)
(9日目)奥州街道・仙台道
増田宿ー中田宿ー長町宿ー仙台宿
増田宿(70)(近世奥州街道の旧宿場)ー衣笠の松ー中田宿(71)ー名取川ー長町宿(72)ー広瀬川ー橋姫明神社ー旅立稲荷神社(仙台藩主が江戸に向かう際に道中安全を祈ったと)ー広瀬橋―仙台城下町ー荒町ー三宝荒神社ー大銀杏ー泰心院(山門は仙台藩校養賢堂の正門)ー東漸寺(名横綱・谷風の碑)ー大日堂ー芭蕉の辻ー国分町―仙台宿(73)ー青葉神社ー輪王寺ー検断屋敷遺構ー資福寺ー仙台城址(青葉城)ー広瀬川ーキリシタン殉教の碑ー瑞鳳殿ー仙台
伊達政宗公の霊屋から
今日は仙台に到着する予定で、昨日歩き終えた名取・増田宿から出発 朝食もしっかりとる 何でも美味しく食べられる幸せ😂
春霞のような曇り空で冷たい風が吹くが、足取りは軽く順調に進む
岩沼宿から仙台平野を北に向かうと増田宿に着く 仙台藩主・伊達政宗は慶長5年(1,600年)に始まった仙台城築城の際に、この地の奥大道を東に付け替えて奥州道中とし、これにより設置されたのが増田宿
このほかに中田宿、長町宿も1601年以降に仙台城築城とその町の建設に伴い設置された宿場とか
だがどちらの宿場も何らその跡を見つけることができなかった
仙台城下には奥州街道の宿場として国分町、北材木町、北目町、新傳馬町の4カ所に設
けられた
伊達氏62万石の城下町・仙台は陸奥の覇者・伊達政宗が築いた新都
参勤交代で江戸へ向かう各藩の殿様が参拝したという旅立稲荷神社は門柱しか残っていなかった
この枝垂れ桜もまだ蕾み
近くのお寺の桜は満開だ🌸
東北大学(旧制第二高等学校)を訪ねる
ちなみに第一は今の東京大学かと
仙台藩祖 伊達政宗公霊屋 瑞鳳殿をたずねる
徳川家康公の日光東照宮を想う
感仙殿 2代藩主・伊達忠宗公 霊屋
善応殿 3代藩主・伊達綱宗公 霊屋
他に諸々の妙雲階界廟や御子様御廟など多くの御霊が眠る
権力の威光を物語る
森には熊がでるのか? この先へ行くのはやめた
キリシタン殉教の碑
仙台城下は武士の町でもあり、城に近い川内には幕府から派遣された国目付の屋敷が置かれ、広瀬川河岸段上には城を守るように上級武士の屋敷が立ち並んでいたという
ちなみに仙台城は青葉山の地形を利用して築いた山城で別名 青葉城 とも呼ばれている この地は北側に広瀬川の沢、南に竜の口渓谷、東に広瀬川に落ちる断崖、西に山林を控え天然の要塞とも言うべき地形条件を備えていた
東北の雄、仙台藩伊達氏が、約270年間にわたって拠点とした奥州の名城だが、先日の地震の影響がここまであるのかと思えるほどに、城内各地で通行止めや補修工事のため、仙台城本丸まで行くことができなかった😭
ちなみに広瀬川は昔 さとう宗幸の歌 <青葉城恋歌> (昭和53年発売)で知ったので懐かしい響きがする 独立して会社を立ち上げた若き33歳の頃のことだが鮮明に想い出す
広瀬川を眺めつYouTubeでさとう宗幸を検索<青葉城恋歌>を聴く
広瀬川 流れる岸辺 想い出は帰らず
早瀬 踊る光に揺れていた 君の瞳
時はめぐりまた夏が来て
あの日と同じ流れの岸
瀬音ゆかしき杜の都
あの人はもういない・・・
懐かしさと歌詞に思わず涙が零れた
吹く風優し杜の都 仙台
とうとう <奥州道中14次> と <奥州街道・仙台道42次> の計56次を完歩できたので今回はここまでとする
予定より数日早く着いたが、次の予定もあり回顧にふける間もなく帰路につくが、ここも仙台ー福島間の東北新幹線が地震の影響で不通のためダイヤが乱れていて何処も大変だ
今日 仙台の桜開花宣言🌸 とか
一週間遅く出発していたらな😭
次は5月に<奥州街道・盛岡道> で、仙台から盛岡へ向かう予定だが、それまでに膝のガクガクが治るかな⁉️ あちこちのパーツも修理せねばならぬし・・・トホホ😂
奥州街道 終着地の青森・三厩(みんまや)宿から対岸の江戸期最北の蝦夷地(北海道)・松前藩、松前城址へはまだ遠い道のりが続く
(9日目) 26.42㎞ 36.097歩
仙台道の累計 255.02km 68.2万歩
累計(奥州道中と併せて13日間)
390.59㎞ 530.406歩
1日平均(13日間)
30.04km
4.08万歩
おめでとうございます♪
しっかり朝ごはん食べて!(^^)! すごい距離も何のそのでしたね
雨に濡れてビショビショの日は心配しましたが 大丈夫で安心
あの文字絵もらった方 嬉しいと思います
なにげに私も狙っていますから(*^-^*)
しっかりパーツの修理をして 5月を楽しみにですね
一緒に旅気分 写真ありがとうございます
(*^-^*)