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7日 指揮:ニコラウス・アーノンクール  ウィーン・フィル

2006-11-08 | 外来指揮者・ウィーンフィル・交響楽団
7日(火) 19:00開演 川崎・ミューザ    P-5-16・1万6千円安い
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ニコラウス・アーノンクール

モーツァルト/交響曲第39番 変ホ長調

 意外と真っ当な演奏?ハーディングとの比較は無謀ですが・・
熟年組と若組の音楽の創り方が面白いですね・・シビレまくりは若組ですね・・

ウィーン・フィルの解釈、音楽創造が・・味わい深い、飾らない、歴史・古風まで感じさせた?・・ベームの?弦群と木管の何処までも音を聞きあい、溶け込み・・熟成されたアンサンブルですね・・流石ウィーンフィルのモーツァルトと感じさせた。

ベートーヴェン/交響曲第7番 イ長調
此れが、面白い、私の好きなティンパニも切れ味鋭く1楽章からシビレました・・
名手揃いの木管です・・中でもホルンの4者が良い味で両サイドが先生級と挟まれた2名の若手?・・実に上手いです、先生が優しい眼差しで、任せきり?聞惚れていたまし・・
当然、フルート、オーボエ、ファゴットが室内楽の合わせ方ですね、絶妙の呼吸感が

弦群も古楽器奏法?・・切れ味鋭く怒涛のアンサンブルで1楽章4楽章のスピード・・スピード・・早い・・早い・・1楽章から熱く、火照り・・ブラヴォーを叫びたくなりました。其れに挟まれた2楽章が、安らぎ感、束の間の幸福感?弦の福与かな響きも最高でした・・興奮を静めてくれた8番の2楽章、アンコールが絶品ですね。

アーノンクールの盛り上がりが、両手で空手チョップ?の指示?・・
・熱氣も伝わりますね・指揮者の顔が見れるP席は楽しいですね。
・・今回は1回だけの鑑賞でした(チケットが買えず)

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ウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパン 2006
クレメンス・ヘルスベルク楽団長講演会(室内楽付)
『ウィーン・フィル来日50年の歴史』
出演 クレメンス・ヘルスベルク楽団長(おはなし/ドイツ語、イヤホンガイドによる日本語同時通訳付)、ウィーン・フィル メンバー(室内楽)

モーツァルト :弦楽五重奏曲 第4番 ト短調 K516から
:クラリネット五重奏曲 イ長調 K581から、他

出演 クレメンス・ヘルスベルク楽団長(おはなし/ドイツ語、イヤホンガイドによる日本語同時通訳付)、フォルクハルト・シュトイデ、ダニエル・フロシャウアー、クレメンス・ヘルスベルク(Vn)、ペーター・シュミードル(Cl)、他
       10日 開演 19:00     4,000サントリーホール 
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色界と空界

2006-11-08 | 無能唱元・唯心円成会
色界と空界
世間の人は、いつも色界(物質的世界)の意識をもって考え、話しております。

 しかし私は、時折、空界の意識をもって考え、話しているのです。そして、その意識も考えも、しばしば世人の常識と相反するものであります。
 色界の考え方を仏教の方では「世智」と言います。これは要するに常識のことです。
 しかし、時には私は「色界」の意識を用いて考え、話していることもあるのです。
これはつまり、常識的に普通の人のように話しているということです。
 ここで注意しなければならぬことは、「色界」と「空界」とでは、その考えが全く正反対になってしまうことが殆どだということです。そこで私の話を数回続けて聞かれ人は、驚いて、私の話は支離滅裂しているとか、首尾一貫してないなどと言ったりするのです。
 例えば私は、意識が空界のある時は、「あらゆる希望が滅している時、はじめて平和がある」と言います。
 しかしまた、意識が色界にある時は、「人は希望を持つことによって、初めていきいきと生きることが出来る」とも言うのです。

 考えの混乱とは、自分の意識が「色」「空」両界のどちらにあるか気が付かないでいることから発生すのです。
 ある人は富を賛美します。またある人は富を賛美する人を軽蔑します。この両人は、あまり自由に生きてはいないのです。いずれも「色」「空」のいずれかに固着し、どちらかに囚われいるのです。

 必要に応じて、両界を自由に行ったり来たりすることが大切です。
これを私は「二辺往来」と呼んでおります。このような自意識のコントロールによって、時には、「あなたも正しいが私も正しい」という事態さえ生まれのです。 

 この時、初めて争いは止み、そこに平和と自由が訪れるのであります。

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束縛されず、執着せず・・人間世界の現象に囚われず・・時には心の奥深く を

行ったり 来たり・・波風ない心が・・自由 であり 平和・・と・・