日頃の何氣ない風景 ・音楽鑑賞・株投資、感じた事を

音楽鑑賞の感想雑文と、相場から経済情勢を
御礼
7年間 総閲覧数2,907,866  

オール・バッハ1685-1750・アーノンクール ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス

2006-11-24 | 外来指揮者・ウィーンフィル・交響楽団






   都民劇場11月22日(水) 文化会館・4-32 1万6千円ヤヤ高い

 アーノンクールの追っかけも終りました。
お疲れ様と、感動ありがとう と言いたいですね。

 印象深い、京都メサイア、大阪レクイエム、最終がバッハ組曲
合唱の凄さとオケ集団の技量の高さを感じえた。

 音楽のタイムカプセル?が今開く・・その音楽はアーノンクール、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス シェーンベルグ合唱団が・・今奏でる その響きは祈り、慈愛、慈悲、人間賛歌、音楽賛歌であった。

聴き込むと・・新鮮さと 何か奥深い力・・祈り・・
 人間・宗教・自然・・全て溶け込む、共生・・慈愛

バッハ1685-1750、1725年 組曲1-3番
ヘンデル1685-1759、1742年4月13日に初演のメサイア、
モーツァルト1756-1791、1779年ヴェスペレ、1791年10月レクイエム

ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
指 揮:ニコラウス・アーノンクール
<オール・バッハ1685-1750・プログラム>
管弦楽組曲第1番 ハ長調 BWV.1066・・1725年
オーボエとヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 BWV.1060a・・1736年
カンタータ組曲(BWV.21とBWV.35から器楽のための3つの楽章)1713-1726年
管弦楽組曲第3番 ニ長調 BWV.1068・・1730年

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自尊心 と 自負心 Ⅱ

2006-11-24 | 無能唱元・唯心円成会
でも、それは多分大丈夫でしょう、なぜなら「高慢」とは外部に向かっての表現であり、すなわち、それは「行動」なのです。それを内に秘めておく用心深さが有る限り、彼は自分の行為のすべての面をコントロールできるでしょうから。  

 自己像(セルフ・イメージ)
 人間は無意識に内にも、自分についてのイメージを持っております。すなわちそれは「自己像」とでも呼べきものであり、外見がどうであろうと、それが、その人にとっての事実なのです。
 そして多くの場合、人はその自己像のイメージに沿った行動をするものです。
 自己像のイメージには、優越と劣等の間を上下する価値基準があります。
 優越は、自分に対する肯定的イメージであり、劣等は否定的なイメージです。

 肯定的イメージは、その人にプラスの行動をとらせ、
 否定的イメージはマイナスの行動をとらせます。

自尊心が豊かであるとは、優越的価値が高いということです。
 だからこそ、もし、あなたが自分の成功と幸福を願うならば、自己像のイメージを価値の高いものにしておかなければならないのです。
 自己像はイメージですから、当然、現実の自分、社会的位置における自分とは異なる場合があります。でも、それは自分の内部のことですから、外界と違っていても一向差支えありません。要はあなたが、あなた自身を高く評価し、尊敬すること、つまりそれが自尊心です。
 自分は価値ある人間であり、この世では重要な人物であるということを、心から信じることです。 「偉い人 立派な人は世に多し だが人は人 われは われなり」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
地球上に 我は一人 似たような人はいるけれど 我は独りなり

我 独りであるからには・・我の隣の人も 我 独り・・自ら活かす

自尊心 と 自負心

2006-11-24 | 無能唱元・唯心円成会
「自己重要感」
 この、あまり世の市民権を得ているとは思えない言葉を、私が使い始めたのは「人蕩術奥義」(昭和六十一年初版)の中ででした。
 その後私はしきりに、この言葉を自分の講演や著書の中で用いておりますが、いまだ、一般用語としては世に知られていないようです。
 この言葉の意味は、一口の言ってしまえば、「優越感」のことですが、その内容的なるものは、善悪では測りがたい複雑怪奇な問題をはらんでいるのです。
 なお、コンプレックスという英語はこの「複雑怪奇な問題」のそれを表し、劣等感および優越心の両面の過剰になった状態を意味していることは、ご存知の通りです。
 人は「自己重要感」が傷つけられれば、劣等感に囚われますし、これが充足されれば、優越の快感を味わえるのですが、そのどちらかが過ぎたたる場合、重大な人間関係の蹉跌を招きかねません。

自尊心について
 人間が幸福な人生を過ごすためには、本人が自覚していようと、いまいと、自尊心を内に秘めていることは、とても大切なことだと思います。
 ただ、この自分の自尊心の取扱いについては、二つの注意が必要なのです。

その第一は、それを、内に秘めていて外に誇示しないこと、第二は、外からのマイナス情報の刺激によって、自尊心が傷つかないように、コントロールすることです。

 ここで、乱暴な言い方ですが、結論的にズバッと言ってしまえば、ある情報によって優越心を得て、自己重要感が充足され、氣分が高揚するのは、すなわち言い換えれば、思い上がった気分になるのは、一向に構わないのです。ただし、その優越感を、内にじっと秘めていられればの話ですが・・

 そして、外部の人々に対しては、謙遜の態度をとるのです。つまり、これは「本音と建て前」ということです。人間生きて行くためには、こういった用心深さが必要となってきます。
ある人は言います。「そんなことをしていると思い上がった高慢な人間になってしまうのではいか?」と・・
 でも、それは多分大丈夫でしょう、なぜなら「高慢」とは外部に向かっての表現であり、すなわち、それは「行動」なのです。それを内に秘めておく用心深さが有る限り、彼は自分の行為のすべての面をコントロールできるでしょうから。  つづく