心向くまま徒然徘徊紀

思うままに思い、思うままに徘徊し追憶・追記を重ねていきたい。

中国・韓国の反日運動の考察ー1

2012-09-22 09:47:50 | 中国問題・外交

 

 

日中・日韓問題を考えるとき

日本の江戸時代末期

つまり幕末の尊皇攘夷運動が

なぜ起きたかを考えることなしに

今のこの問題を評価することは出来ない。

 

中・韓の反日運動の活動家たちは

幕末の頃の自国の運動が如何なるものであったか

深く吟味してみる必要があるだろう。

 

日本の尊皇・勤王志士たちが

大陸の北から、太平洋の彼方から

米欧の黒船とともに

続々と押し寄せてきたとき、

どれほど危機意識を持ってこれを迎えたことか!

 

当時の中国の清時代に

インドや中国でアヘン戦争が起きたとき、

そして我が国にとっては

大国である中国の広東・香港などが

植民地化されたとき、

そのような情報を

どんな気持ちで

日本の若者たちが受け止めていたか!

 

維新革命が

どのような状況の下で起きたか

よくわかってくるに違いない。

 

幕末に国論が二分し

大規模な内戦の危機に

瀕して居たこともあった。

 

そして、

海外の列強に

つけ入れられ植民地化する可能性は

多分にあったこともあった。

 

それをかろうじて回避した決定的な出来事は

幕府による江戸城の無血開城であった。

 

小規模な五稜郭戦争では

北海道共和国を目標に戦われたという。

 

列強にとっては

日本をとって食うとしたら

最大のチャンスであった。

 

しかし、

榎本武揚を代表する幕府の残党たちにも

受け継がれていた日本人魂は

欧米の列強にそれを許さなかった。

 

それは崇高な独立心を、

当時多くの日本人が

強く抱いていたということそのものだ。

 

攘夷という意味も

外面の物理的な攘夷から

内面の攘夷、

つまり真の自立心・独立心に

脱皮していった。

 

超大国中国の清を含めて

次々植民地化していく中でだ。

 

なぜちっぽけな島国国家日本が

植民地化しなかったか?

ということだ!。

 

 

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1 コメント

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Unknown (タオバオ日本)
2013-04-17 15:55:40
戦争は怖いですね
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