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当時は
世界中で
帝国主義思想が強烈に蔓延し、
生き残るためには
犯すか犯されるかの
二者択一の時代であった。
我が祖国も
当時はその渦中にあったことから
抜け出すことは
不可能な時代であった。
負ければ
植民地化あるいは属国しか
選択の余地はなかった。
しかし
それが不幸なことに
第二次大戦まで続いてしまったことは
我が祖国には苦い経験といえるだろう。
敗戦を経験しなければ
それに気がつかなかったということは
結果的には
対ドイツ戦争以降の
我が祖国の指導者に
有能で卓越した国際感覚を持ち合わせた
政治指導者が育っていなかった
と言うことだろう。
それは今でもそう言えるだろう。
でも、
逆恨みはいけない!
我が祖国が
日清・日露・ドイツ戦争と
勝利し続けたとき、
東洋を
侵略し続けてきたのは
西欧の列強であって、
日本は否が応でも
大陸からの南下、
西からの海伝いの進行に
対抗せざるを得ない状況に
追い込まれていたと
言うことは否定できないことだ。
風雲迫る極東の日本、
大陸からの橋頭保朝鮮、
眠れる超大国中国、
当時これらの国々が
突破される寸前にあったことは
忘れることはできないだろう。
歴史の教訓を引き出すには
もっと当時の歴史経験を
深く掘り下げて研究する余地が
多分にあるだろう。
第二次大戦における大きな誤りは
西欧の二番煎じを
日本自身がやってのけたことだろう。
満州事変、日華事変などにおいて
属国満州国、中国侵略
そして虐殺事件を
数多く引き起こしたことだろう。
これが解放戦争か侵略戦争であったかで
大きく事態は変わっていただろう。
USAが
日本で恨みの対象にならなかったのは
不十分な面は今でも数多くあるが
それがなかったことだろう。
沖縄の軍事支配、
二発の原爆投下は負ったものの。
とにかく
グローバル化などといって
国内・海外の事情を顧みず
また過去の歴史から教訓を学ばず
いけいけどんどんでは
あまりにも浅薄としか
言いようがないだろう。
有能な政治指導者が居れば
日韓・日中の人々に
今ほど恨まれずにすんだかもしれないが
それはないものねだりだろう。
戦略的互恵関係をよしとするなら
さらなる練り直しと
現実の深く広く
掘り下げた外交が求められる。
中国・韓国の民族教育は
あまりにも単純過ぎてお粗末だ。
単純な反日が誰を喜ばすか。
それとも
これまでの友好関係は
日本の技術を盗むための
マヌーバーだったのか?。
反日運動の前に
反西欧運動
(我が国の攘夷運動のような)が
なぜないのだろうか?
日本の悪事行為の裏に
西欧のそれ以前の悪事を
ベトナム・インドあたりまで
押し返したということでは
ないだろうか?
ベトナムは
戦後もフランス・アメリカから
解放されなかった。
とにかく、
これからの歴史教育は
隣国とその国民の気持ちを
お互いに
尊重した教育が
切に求められるだろう。
これからの時代の戦争は
勝っても負けても
お互いの破滅的な事態しか
何も残さない程破壊的になることは
目に見えている。
その愚かさを
三度繰り返そうというのか?
今日の左右のびんたは
許されるかもしれないが
それ以上は”平和ぼけ”の
我々でも寛容ではなくなるだろう。
*
cf1.旅順 cf2.青島の戦い