深く完成された愛とは
愛とは普遍的愛が
すべての根底になければ
真の愛とはなり得ない。
つまり
愛は
一人一人
万人に対する愛である。
それは
私は
人が大好きである
というに等しい。
また
男、女区別なく好きだ。
というに等しい。
そのような普遍的愛を前提として、
その上に
すべての個別的かつ固有の愛が成り立って
初めて
真の男女の愛も成り立つ。
もしそのような真の愛が
培養、成就されなければ
男女の愛であれば
愛憎の変となって現れるだろう。
親子の愛であれば
かわいさ余って憎さ百倍
というような
異常な愛となって表出するだろう。
それは邪悪な愛であって真の愛とは
似て非なるものと云わざるを得ないと
私は思う。
すなわち愛は
普遍的愛の上に
個別の愛、
すなわち
男女の愛・親子愛・兄弟愛・友愛・愛国心
などが個別に
積み重ねられ、
そうして初めて
個々の
誠の愛が
現実の中に
表出するに違いない。
真の愛は
愛する相手に
どんな仕打ち、諍いにあっても
普遍的愛を持ち続けることが
出来るとき初めて成り立つ。
かつ固有の成り立ち、
生い立ちをもって
「陰」の気持ちが無ければ「愛」だけが残ると思うのですが
日々の暮らしの中でふと何かにひっかかってしまったとき「陰」をどうあるが間々受け止めて
愛に目を向けて感謝するかが私の今の課題です。初めましてなのに色々つぶやいてごめんなさい。
あるがままに、ありのままに!これなんですよね。ありのままに受け止められるということが人の道における自然体なんですね。陰の部分が
どうしても未熟が故に大きく見えてくるんですよね。そうして望みもしないし思いもよらない深みに落ち込んでいくんですね。傷というひびを狭めたいのに広げてしまうことがともすれば
起こってしまうんですね。
「陰」の部分の意味も大切に思えるようになるといいかなと思いました。
私にとって、一番大切にしている言葉。
「あるがまま」
福祉の世界では、在るがままを受け入れる事を重視します。
でも、在るがまま=我が儘。受け入れる器が必要なのですョ。
自分の感情、感性…全てを無にする。
難しいです。