心向くまま徒然徘徊紀

思うままに思い、思うままに徘徊し追憶・追記を重ねていきたい。

過ぎたるものの結末

2012-03-20 19:56:14 | エッセイ

 

猟師はどんなに獲物が捕れても

乱獲はしないだろう。

捕りすぎれば次には必ず飢えが待っているからだ。

 

作物もどんなに土壌が肥えていても

毎年豊作が続くわけではない。

土壌を肥やさなければ豊かさは保障されない。

 

イワシクジラがどんなに繁殖していても

イワシが食べつくされればイワシクジラの

繁殖は終わってしまうだろう。

 

社会経済も同じことが言える。

国民が豊かなときは

企業も成長続けるだろう。

国民が貧困化すれば

人口も減り生産は縮小せざるを得なくなる。

 

世界に企業が祖国を捨て

世界に広がっても

いずれは人間はやせ衰え

一部の企業だけが

肥え太るようになるだろう。

 

そして

いずれは物を作る意味を失い

人類は衰退し滅びていくだろう!

 

まして

貨幣や株券など

いくら大量に蓄えても

物を作り、消費する人類が減少し

やせ細っていては投資・投機し

物を作る意味はなくなってしまうのである。

過去のバブルやリーマンショックから

人々は何を学んでるのだろうか?

 

歴史は繰り返す?

 

蜘蛛の糸とは

己だけが肥え太り

地獄から這い上がろうとする

無数の人々を

振り切ろうとするが

仏様は

天上の世界へ

あと一歩のところで

細い糸を

断ち切ってしまわれた。

地上の人間にとっては

誰一人天上の世界へはいけないのである。

富める者も飢えたるものも、

みな結局は運命共同体なのだ。

滅びるのは早いか遅いかの

違いだけであろう。

 

後に残ったものにとっては

孤独と寂しさだけが残るだけだろう。

 

 

 


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