又本土では、
日本国憲法の元では、
集団的自衛権に限度があります。
第二次世界大戦で
”300万以上の若者の死”という犠牲を払って、
もう二度と戦争はしないという誓いを破ることは
”喉元過ぎれば熱さを忘れる”という非難を受けるのは
ある意味で当然のことといえます。
集団的自衛権の中身には
具体的には「近海での大規模な演習」の名の下に、
新型兵器による威圧、威嚇がふんだんに盛り込まれています。
韓国には最近アメリカによる
最新式のミサイル防衛網が引かれたそうです。
そのため、
国連の非難決議が中国の拒否権などで否決されたそうです。
この問題では
日本では北朝鮮のミサイル実験だけが大騒ぎされていますが、
戦前のように「一方的な大本営発表」で
国民全体が怒り出せば誰も途中で止めることは
不可能になります。
マスコミの責任は重大です。
戦争はある意味で「大火」のようなもので、
消そうとしても容易に消せない代物です。
アメリカが未だに主張しているように「広島・長崎の原爆」を
謝罪せず、「戦争を止めるにはやむをえなかった」と主張する根拠は
ここにあります。
アメリカとの太平洋戦争は「真珠湾攻撃」で始まったのは事実で、
表向きは日本がはじめたのですが、
やむなく仕掛けさせられたともいえます。
経済封鎖等は典型です。
ただ、満州事変、日支事件などの経過、日本軍の暴虐などを
検討すればそれらを耐えかねて追い込まれたとも見えます。
遠い将来は、歴史的検証を再度一部する必要が出てくるかもしれません。