この写真展はタイトルを見た時に「行かねば!」と思いましたね。
『100年前の東京と自然』、何とも心惹かれるじゃないですか。
予定をやり繰りして出掛けたのは5月30日。
結構暑かったので、もう半袖シャツです。
電車内読書は…
中身は何だったっけ?。
もう読み終わって久しいので忘れてしまったw。
ポイントは『本の雑誌』のブックカバーだよね。
イラストに描かれてるのは[ 国分寺書店のオババ ]。
知る人ぞ知る方であります。
(前置きが長い)
さて、写真展の会場である上野の国立科学博物館へ行く前に野暮用を済ませに赤羽へ。
約束の時間に少し早かったので、午前中の赤羽を散策。
[ まるます家 ]。
11時前だってのに、既に赤ら顔のお客がわんさか。
一体、どうなっているのだ?。
そして、赤羽と言えば!の[ 丸健水産 ]。
こっちは準備中なのか、お客の姿なし。
あー、おでんを食べに行きたいぞ。
赤羽での野暮用を終わらせ、駅に戻って上野へ向かいます。
公園口は平日だったのにかなり賑わってたな。
そんな人波を掻き分け、辿り着いたのは 国立科学博物館。
ここの多目的室が会場。
おや、随分と小さいスペースだな。
入口から全体が見渡せてしまうじゃないか。
もっと広い場所での沢山の写真を期待していたのに…。
Anyway…
じっくり時間を掛けて見回りました。
100年前の東京の姿。
それと、現代の同じ風景を対比する形で隣に置いている。
街並みの変化にも興味があるけど、焦点が当たってるのは桜や銀杏、ツツジなどの植物。
神田川の堤、英国大使館前の通り、小石川植物園、谷中霊園、寛永寺。
多摩方面では小金井堤、八王子の2つのお寺。
皎月院(上恩方)の桜はパンフレットにも使われている。
常福寺(下恩方)の桜は、100年後の今でも現存している。
いやはや、凄い。
ウィルソン曰く、「もし写真や標本で記録を残さなかったならば、100年後にはその多くは消えてなくなってしまうだろう…」。
大正の初めに日本を訪れた植物ハンターの(✴︎)ウィルソン。
屋久島を皮切りに北は北海道、樺太、南は沖縄や小笠原まで足を延ばし、5000点もの植物を採取し、1300も写真を残したとのこと。
いやぁ、素晴らしい業績です。
100年後の我々に、こんなにもの豊かだった東京の風景を見せてくれて感謝です。
科博に来たら、地球館の屋上のハーブガーデンにも行かないとね、なんだけど、この日は修学旅行?の中学生の貸切か?って位に嬌声だらけだったので早々と退散。
しかし、前に来た時に気になってた↓の張り紙が、まだ訂正されずにそのままになってたのでパチリ。
国立の施設なんだし、もう少ししっかりやろうよ。
さぁ、この日の赤羽〜上野篇はここまでです。
【写真】
(✴︎)ウィルソンについて…
【資料画像】
アーネスト・ヘンリー・ウィルソン(1876〜1930)
1876年間にイギリスの中西部の小さな町で生まれたウィルソンは、バーミンガム植物園の庭師見習いを経て、キュー王立植物園に雇用され、23才で珍しい植物を求めて中国奥地に派遣されました。ハンカチノキやリーガルリリーの種子を持ち帰るなど合計4回に渡る中国探検を成功させると、「伝説のプラントハンター」として知られるようになりました。その後、アメリカのハーバード大学アーノルド樹木園に移り、2度に渡り日本へ植物調査に訪れ、またアジア、アフリカ、オーストラリアなどの各地の植物園を巡っています。(写真展パンフレットより抜粋)
彼の名前が残ってる植物として、屋久島の【ウィルソン株】が有名ですよね。屋久島へは1914年(大正3年)の最初の訪日時に立ち寄っていて、その時にこの巨大な切り株を発見したらしい。
切り株の高さは約4m、胸高外周は13.8m。樹齢は推定2,000年~3000年。中は空洞で人が入ることができ、見上げるとこんな写真が撮れる事でもすっかり有名になった。
【資料画像】
さー、お次は神楽坂へ!。