負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

取越苦労 ・・・ 「 ナルヨウニナル 」

2012-03-27 21:00:27 | 原発震災避難者


震災前に



自分に風を動かす力などないのに 明日の風向きを心配する。

・・・ これを 「 取越苦労 」 といいます。


それは あえていえば 神の領域をおかす不遜でさえあります。

それが証拠に あなたの人生は今日まで

神の差配によって 「 なるようになってきた 」 ではないですか?


だから 明日からも同じように「 ナルヨウニナル 」 ・・・ です。

むだな心配はせぬほうが賢い ・・・ ですよ。


将来のことについて不安が生じたら

「 ナルヨウニナル 」 と声を出していってみましょう。

( 私はいつも そうしてきました )

これは 真理の言葉ですから

いいすぎてマイナスになることは 絶対にありません。



よく人がいう 「 ナルヨウニシカナラヌ 」 は

・・・ 口にしないほうがよい と思います。

この言葉には 不平や諦め(アキラメ)の匂いがあります。

・・・ それだけ 弱くて 暗い言葉なのです。


同じいうなら

「 ナルヨウニナル 」 ・・・ といいましょうよ。

強くて 大きくて 創造的な言葉である ・・・ からです。







明日には 明日の風が ・・・ 「 ナルヨウニナル 」

2012-03-27 18:00:10 | 原発震災避難者


震災前に



人間だれでも 明日のこと 将来のことにかんして

大なり小なり 不安や心配をもっています。


当然のことともいえますが

しかし それにもおのずからホドというものがあります。


「 なんじら 明日のことを思いわずらうなかれ 」(聖書) というとおりで

先ゆきのことをいたずらに心配してみたとて

・・・ どうにもなるものではありません。

いまの自分が苦しいだけ 損 ・・・ というものです。



先のことについて考え 計画を立てることは必要ですが

自分の思索や判断がおよばない領域に関してまで

・・・ あれこれと考えをめぐらしてみてもはじまりません。


それはいわば 神の差配したまう領域ですから

これについては 神サマにおかせしてしまうのが正しい

・・・ と思いますよ。


すなわち

「 明日には明日の風が吹く 」 ・・・ と 肚(はら)を決めてしまうのです。







片づく方向 ・・・ 安心

2012-03-27 15:00:49 | 原発震災避難者


震災前に



積もり積もった仕事をみると ・・・ だれもがイライラします。


しかし

そのうちひとつだけでも

最善の力を向けて片づけると ・・・ 心が落ち着きます。



仕事は「 片づいた 」から安心するのではありません。

「 片づく方向に進んでいる 」から ・・・ 安心するのです。







心のムダづかい ・・・ 恐れる心

2012-03-27 12:00:50 | 原発震災避難者


震災前に



頭(頭脳)や 心のムダづかいは ・・・

ものや お金のそれよりも もっともったいないことである

・・・ と キモに銘じましょう。

それは 自分の「 生きていく力 」に

ブレーキをかけるものでしかないのですから ・・・ 。


暗い ネガティブな思いや心情は

だいたいムダなもの と見てまちがいありません。

そのムダが 「 リンリンと生きる 」べき生命力を削る のです。



まず 恐怖心のいっさい ・・・ です。


今の今 ピストルでも突きつけられているのなら別ですが ・・・

そうでないなら 恐れることは ・・・ すべてムダです。

まだ到来しておらず 到来すると決まっていない事態を怖れて

・・・ 何のプラスになるのですか?


もし きたら そのとき

水のように これに沿えばよいのですから ・・・ 。

(他に どういう手があるというのですか?)


だから イエスも

「 明日を思い煩(わずら)うな 」( 取越苦労をするな )

・・・ と さとされたのですね。






マイペース丸出しで

2012-03-27 09:00:55 | 原発震災避難者


震災前に



学校へ行きます。

職場へ行きます。


成績が悪かろうが

これを重荷にしたときは

あなたは ・・・ 他人にだまされている姿です。


あなたのマイペース丸出しで

いっぱい いっぱいで進めている姿こそ

・・・ 生きた自分の人生を展開しているシルシです。







童心 ・・・ わらべごころ

2012-03-27 06:15:45 | 原発震災避難者


震災前に



子どもは 大人よりも「 低い 」ものです。

身長も低いし 内容も低いです。

だが その「低い」に プラスの価値がないか どうでしょうか?


・・・ あるはずです。

「 低い 」とは 「 基 」ということ

「 基 」とは 「 根幹 」ということですから ・・・ 。


その基から

年が長じるにつれて 離れしまう人がひじょうに多いのです。

そのとき その大人は

人間としての値打ちにおいて

「 低い 」子どもよりも劣ることになります。



良寛さんは 子どもの心になりきることができる人でした。

だから 偉いといわれました。

「 基 」を失っていないから ・・・ 偉いのです。


良寛に限ることではありません。

ほんとうに偉い人 地位がなくて 人間性において偉い人は

例外なく その心の核に童心(ドウシン・わらべごころ)を

・・・ 生涯もちつづける人です。


童話をたのしく読めない人に

文学はほんとうには分からないのではないか と私は思っています。

あらゆる音楽のなかでもっともむずかしのは

童謡を 全心をこめて歌うことだ ・・・ とも。