負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

アリガトウ を連発しよう

2012-03-29 18:00:40 | 原発震災避難者


震災前に



私の亡父が晩年に 「 ありがたい ありがたい 」と

・・・ ときどきつぶやいていました。

かなり大きな声で そばに家人がいても これを口にするのです。

一種の口癖のようにさえ なっていたようです。


とくに何がありがたいというのではなく 生活全般にかんして

なんとなくありがたい気持がするのでしょう。

あるいは 「 ありがたいと思え 」と

自分にいいきかせる気持であったかもしれません。

もしそうなら 唱えたことによって

ありがたい気持になれたであろうことはまちがいありません。


亡父の この口癖をはじめてまねしたとき

「 ありがたい 」では どうも足りない気がしたので

ていねいに 「 アリガトウゴザイマス 」といってみたら

  そのほうが心にぴったりくるように思われました。


それで ときたま思いついたように

こちらの方を口にすることにしています。



不平や不満 怒ることが多い人は

ときどき これをお題目のように唱えてみられたら如何ですか。

感謝の対象を とくに想定する必要はありません。

ただ 「 アリガトウ・・・ 」といいさえすればよいのです。

そういう気持になれなくても ウソでもいいから 演技でもいいから

・・・ 口にしてみるのです。


これをときどきやっているうちに 心がだんだん ほんとうに

・・・ 感謝の気持に満たされるようになってゆくでしょう。

言霊の創造力によって ・・・ そうなってゆくのです。


怒りがこみあげてきたとき はげしい不満にとりつかれたときなど

これを思いだして口にしてみれば ・・・

それら悪しき感情を鎮静する役を果たしてくれるかもしれません。


なにか感謝の対象を想定したほうがいいやすい というなら

自分自身を その対象にされたらどうですか?

「ありがたい自分」と思って これに礼をいうのです。



万物同根なのだから やがてその心は

あらゆる他人 他物へと拡大されてゆくでしょう ・・・


究極的には 神への感謝というものになってしまうはずですね。







河の流れ ・・・ 小粒人間 2

2012-03-29 15:00:13 | 原発震災避難者


震災前に



「 河の流れがゆるやかなのは 水の量が多いからだ」

という西欧の諺(ことわざ)が 私は好きですが ・・・


急ぎたがる人間は 上流の急流と同じで

水かさがすくない(内容が乏しい)から音までたてて

・・・ あわただしく流れるのでしょう。

達人となって ・・・ 河口までくれば もう

流れているのかどうかさえ わかりにくくなります。







急ぎ車 ・・・ 小粒人間 1

2012-03-29 12:00:57 | 原発震災避難者


震災前に



むかし 澤木興道老師(わが師の師)は 自動車をすこぶるきらいな人だったそうです。

「 イソギグルマ 」(急ぎ車)といって 軽蔑しました。

「 セッカチどもが イソギグルマをブッ飛ばしおって・・・ 」 という調子です。


たしかに自動車という文明の利器は

禅の理念とは 反対の極に立つものでしょう。

禅の坊さんがクルマに乗るなら

人力車というユックリグルマがふさわしいでしょうね。



私の知人にS氏という タクシー会社の社長がいます。

社長といっても 東北の田舎町で

5,6台をもってやっている小企業ですが。

運転歴30年 この間完全無事故です。

若いころには東京で5年ほど タクシーを流した経験もあります。

だから その運転はウマイなどというていどではなくて

車が自分の体の延長のようなものです。

誇張していえば 眠っていたって運転を誤ることはありますまい。


この超ベテランのS氏が じつにゆっくりと車を走らせます。

悠々とマイペースで走るのです。

車のほとんど通らない田舎道においてさえも。


「 ゆっくり走るねェ 」というと

「 スピードを出す必要がないから出さないんだ 」と答える。

そして 「 ヘタなやつほどスピードを出したがる 」とつけくわえる。

これ ・・・ 達人の言ですネ。



実生活もそのとおりでしょう。

スピードを出す必要がないのに出したがります。

そういう人が多いから 日本列島がストレスの場となります。

不必要にアクセク急いで みずから疲れています。


未熟な人間 小人物ほど急ぎたがるのも

・・・ 自動車の場合と同じでしょうね。







気が長い ・・・ 気が若い

2012-03-29 09:02:50 | 原発震災避難者


震災前に



大きい人間のひとつの共通点は

人生を長距離的 マラソン的にとらえていることです。

つまり 「 気が長い 」のです。


気が長いとは 生命力の持続時間が長い ということです。


だから こういう人たちは

いくつの年になっても 前向きの姿勢を失いません。


老年というべき年齢においてさえ ・・・ 青年のように

「 これから・・・ 」とばかりに 前方を見つめています。

つまり 「 気が若い 」のです。

体は老いても 心は老いないのです。



「 いくらか老人的なもの(分別 落ちつき など)をもった青年は好ましい。

そして こういう青年は年をとると

成年のような若さを どこかにもちつづけるものだ 」


・・・ ナルホド と思います。

どちらの年齢においても その年齢のカベを破っているわけですからね。








根気 ・・・ 牛のごとく

2012-03-29 01:30:44 | 原発震災避難者


震災前に



日本の古い道歌(教訓の歌)に

根気の大切さを説いたものが 少なからずあります。

そのひとつに ・・・



怠らずゆかば千里の外も見ん

牛の歩みのよし遅くとも



牛の歩き方はのろい。

しかし 歩くことを続けさえするなら 

千里以上もいくことができる。

大切なのは 歩みのはやさではなくて

これを続ける根気である ・・・ 教えたものです。


セッカチな人は 馬のはやさを求める。

しかし いかにはやくとも 根気に欠けて 途中で放棄するなら

千里に達せず けっきょくは 牛に負ける。


人間も牛のようにヨダレを ・・・

ヨダレを垂らさないほうがよろしいが

とにかく 牛のようにゆっくり ノッシノッシと歩きたいものですね。