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震災前に
私の亡父が晩年に 「 ありがたい ありがたい 」と
・・・ ときどきつぶやいていました。
かなり大きな声で そばに家人がいても これを口にするのです。
一種の口癖のようにさえ なっていたようです。
とくに何がありがたいというのではなく 生活全般にかんして
なんとなくありがたい気持がするのでしょう。
あるいは 「 ありがたいと思え 」と
自分にいいきかせる気持であったかもしれません。
もしそうなら 唱えたことによって
ありがたい気持になれたであろうことはまちがいありません。
亡父の この口癖をはじめてまねしたとき
「 ありがたい 」では どうも足りない気がしたので
ていねいに 「 アリガトウゴザイマス 」といってみたら
そのほうが心にぴったりくるように思われました。
それで ときたま思いついたように
こちらの方を口にすることにしています。
不平や不満 怒ることが多い人は
ときどき これをお題目のように唱えてみられたら如何ですか。
感謝の対象を とくに想定する必要はありません。
ただ 「 アリガトウ・・・ 」といいさえすればよいのです。
そういう気持になれなくても ウソでもいいから 演技でもいいから
・・・ 口にしてみるのです。
これをときどきやっているうちに 心がだんだん ほんとうに
・・・ 感謝の気持に満たされるようになってゆくでしょう。
言霊の創造力によって ・・・ そうなってゆくのです。
怒りがこみあげてきたとき はげしい不満にとりつかれたときなど
これを思いだして口にしてみれば ・・・
それら悪しき感情を鎮静する役を果たしてくれるかもしれません。
なにか感謝の対象を想定したほうがいいやすい というなら
自分自身を その対象にされたらどうですか?
「ありがたい自分」と思って これに礼をいうのです。
万物同根なのだから やがてその心は
あらゆる他人 他物へと拡大されてゆくでしょう ・・・
究極的には 神への感謝というものになってしまうはずですね。