負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

気が長い ・・・ 2. 40・50は 鼻タレ小僧

2013-11-10 23:28:27 | 原発震災避難者


大遠足



精神的若さというものは

人間 生きているかぎりもちつづけるべきなのでしょうね。


これは まだ 「 鼻タレ小僧 」 であったころの私が

つねづね自分に言い聞かせていた自戒なのですが ・・・。


「 40・50は・・・ 」 の歌は 若い人にはあまりピンとこないようです。

「 40・50が鼻タレなら われわれはいったい何なのだ ・・・ 」

・・・ という 不安やら反発やらの気持が湧くらしいのです。


たわむれに「 まあ 小便小僧というところかネ 」

・・・ と言ってみることがあります。

ウヘーとばかり 不服そうに頭をかきます。


しかし それぐらいに思っておっても いいのじゃないですか?

たしかに若いときは オシッコの勢いがちがいますからネ。

これ 肉体的な若さの表現にほかなりません。


要するに

鼻タレであろうとションベン小僧であろうと まだ一人前ではない

・・・ ということでは いっしょなのです。

まだ幼い ということなのです。



さて イチニンマエの大人とは ・・・ 。







気が長い ・・・ 1.気が若い

2013-11-10 21:30:35 | 原発震災避難者


大遠足



大きい人間のひとつの共通点は

人生を長距離的 マラソン的にとらえていることです。

つまり 「 気が長い 」 のです。


気が長いとは ・・・ 生命力の持続時間が長いということです。


だから こういう人たちは

いくつの年になっても 前向きの姿勢を失いません。


老年というべき年齢においてさえ 青年のように

「 これから・・・ 」 とばかりに 前方を見つめています。

つまり ・・・ 「 気が若い 」のです。

体は老いても 心は老いないのです。



「 いくらか老人的なもの ( 分別 落ちつき など ) をもった青年は好ましい。

そして こういう青年は年をとると

成年のような若さをどこかにもちつづけるものだ 」


・・・ ナルホドと思います。

どちらの年齢においても その年齢のカベを破っているわけですからね。







名も・金も・命もいらぬ ・・・ 2.自由人

2013-11-10 19:30:50 | 原発震災避難者


大遠足



世人はたいてい 命 名誉 官位 金銭に執着しています。


そのなかにあって 「 オレはそういうものはいらぬ 」 というのだから

通念のカベを破ること 考え方の革命 徹底的な開きなおりです。


こういうふうに開きなおることのできる人は

・・・ 「 始末に困る 」 という。

欲で釣って動かすことのできない

・・・ 完全に自由人だから 扱いにくいのです。


そして そういう扱いにくい人でないと

国家のために ともに力を合わせることはできないという。


私心をもってしては

・・・ そのような大業を全うすることはできないからですね。


当節の政治家諸公を眺めわたしてみると 失礼ながら

・・・ 始末に困らぬお方ばかりに見えてしかたありません。


もっと困らせてくださいヨ。


でないと 国家の大業を

安んじておまかせすることができませんから ・・・ ネ。


自ら由 ( よ ) らぬ不自由な人に政治をまかせていると

日本の国が不自由になり ゆきづまってくるのです。

すでにかなりに 不自由な国になってきているではありませんか ?


人の眼から見て始末に困る人をこそ

・・・ 天はもっとも扱いやすいのです。

私意ではなくて

・・・ 天意のままにこそ 動こうとするからです。








名も・金も・命もいらぬ ・・・ 1.西郷サン

2013-11-10 17:25:40 | 原発震災避難者


大遠足



西郷隆盛 話せる男

国のためなら 死ねという ・・・


無私の人 腹の男 バカでっかい人間ということになると

どうしても 「 西郷サン 」 が思い出されてきます。

じっさい

これほど大きな人間は めったにあるものではないでしょうね。


彼の有名なコトバのひとつに ・・・


命もいらず

名もいらず

官位も 金もいらぬ人は 始末に困るものなり。


この始末に困る人ならでは

艱難 ( かんなん ) を共にして 国家の大業はなし得られぬなり。


・・・ というのがあります。

言っただけでなくて じっさい彼は これを実行した人でした。


「 いらぬ 」 というのは

命 名誉 官位 金銭というようなものに

私心 欲心をもって執着することをしないことを言います。

もっと大きなものに第一義の 絶対の価値をおくゆえに

これらのチッポケな 相対的な価値を超越できるのですね。







人生 ・・・ 5.自省自戒

2013-11-10 14:47:49 | 原発震災避難者


大遠足



子 親を苦しめず  親 子に苦しむ。

妻 夫を苦しめず  夫 妻に苦しむ。


外側の事々が 自分を苦しめているのではない。

自分が 外側の事々を 見て 聞いて どう受けとって

どう対応していくか ・・・ 一切は自分にありというわけです。


そうした心の問題を 古人は


心こそ 心迷わす 心なり  心に心 心ゆるすな


・・・ と教えています。


この歌の

「 心こそ 」 の心は 自分との関わりによっておこる心です。

見て 聞いて 触れて 

・・・ どう見取り どう聞きとり どう感じとったか

そうした心が 「 俺が 」 する 「 私が 」 とする心を迷わすのですから。


外側を見聞きし理解する心が ・・・ 対応する自分の心を迷わすのです。

だから

迷わす心と迷う心の二つの心での生活になるのです。


が ・・・ それではならぬぞ と

「 心に心 心ゆるすな 」 と ・・・ 自省自戒をうながすのです。


人間を自覚した心です。

開き直った心や すましこんだ心とは ・・・ 全く違った心です。







人生 ・・・ 4.一切は自分にあり

2013-11-10 05:00:13 | 原発震災避難者


大遠足



私は 開き直ることも 超然とかまえることも ・・・ 本当でないと思います。

必ず心の底では そうした自分を嫌悪しているものがあります。


「 人生思うようにならない 」 と覚(し)る。

その心こそ

人間の知恵であり

考える始まりであり

自分を 人生を ・・・ みつめる心なのです。


江戸時代の僧 売茶翁 ( ばいさおう ) は

「 貧 人を苦しめず  人 貧に苦しむ 」 と

人と貧との関わりについて いみじくも指摘していますが

まさに ・・・ 名言です。



貧を 金銭的にだけ解さずに 環境として

例えば 「 人 」 とか 「 物 」 とか

「 仕事 」でも 「地位」でもいいのです。


そうして

人を 自分なり 自分の「 心 」 なりにして

よく噛みしめ ・・・ 味わってみて下さい。
 


その例です。


子 親を苦しめず  親 ・・・ 子に苦しむ。

妻 夫を苦しめず  夫 ・・・ 妻に苦しむ。

まことに ・・・ 切実な指摘です。


外側の事々が 自分を苦しめているのではない。

自分が 外側の事々を ・・・ 見て 聞いて どう受けとって

どう対応していくか

一切は ・・・ 自分にありというわけです。