負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

痴識 ・・・ 知識

2013-11-22 22:00:38 | 原発震災避難者


遠足



私たちは

知識をいっぱい身につけようとして ・・・ 学びます。

学力をつけなくては

世の中で役に立つ人間にはなれないと考えて

親は 子どもに教育を施そうとします。

その結果

今や高校生の半数以上が

最高学府にまで進学するようになっています。

学力は 知識をつけることと思っています。


でも

いくら知識を身につけても

それだけでは ・・・ 何の役にも立ちません。

知識バカなってしまうのがオチです。


最高学府を優秀な成績で卒業した人たちが

今 誰が見てもバカなことを平気でしています。

また

学歴の高いお母さんほど

子どもや夫を ・・・ できそこないにしてしまうといいます。

これは

せっかく身につけてきた知識を

人を比較し 批判する道具にするからです。



知識は体験を通したとき はじめて智慧に代わります。

体験がなければ 痴識にしかなりません。


そして

身につけた学力は体験を通して

楽力に変えていかなければなりません。


学力は 知識をひけらかすためにあるのではなくて

自分を そして まわりの人を楽しくするためにあるのです。







しつけ ・・・ 躾

2013-11-22 20:00:47 | 原発震災避難者


遠足



家庭のしつけが厳しかった人で

楽しそうに生きている人は ・・・ 一人も知りません。


家庭で教えなければならないのは

「 ありがとう 」

「 いただきます 」

「 ごちそうさま 」

「 おはようございます 」

「 いってきます 」

「 ただいま 」

「 ごめんなさい 」

という人間の基本的な約束事だけで十分です。


あとは 親が身をもって示していけば

子どもは ・・・ それをまねていきます。


学ぶとは ・・・ まねることなのです。







いい調子 ・・・ 胃々腸し

2013-11-22 18:00:54 | 原発震災避難者


遠足



胃袋の調子と腸の調子がいいことを

「 いい調子いい調子 」 ・・・ といいます。


いっぱいおいしいものが食べられて

食べたものが速やかに消化されて

・・・ いちばん調子のいいときです。


昔から

ご飯を食べているときに

子どもに注意したり お説教することは

・・・ 戒められてきました。


小言をいうのなら

まず食べさせてからにしなくてはいけません。

それも 食べたすぐあとでは駄目ですよ。

食べたものが消化されるまで

しばらく待ってから

・・・ 小言をいわなければなりません。


そうこうしているうちに

だいたいの腹立ちはおさまってしまいますから

結局 ・・・ 何もいわなくてもいいことになりますね。


「 ご飯を食べているときには アレコレいうな 」

ということの深い意味を

昔のお母さんは ・・・ よく知っておりました。







楽力 ・・・ 学力

2013-11-22 15:00:34 | 原発震災避難者


遠足



学力は ・・・ 楽力にしなければいけません。


しかつめらしい理屈ばかりの学力は

・・・ 捨てたほうが世のためです。

そんなものは 百害あって一利なし。

何の役にも立ちません。


人を楽しくさせる学力は ・・・ すばらしい力です。

楽しい人と一緒にいると 自然とエネルギーが高まります。

みんな幸せな気分になります。


まわりのエネルギーを高めることのできる人は

・・・ すばらしい人なのです。

これこそが 本当の学力のある人というものです。


理屈ばかりこねくり回して

・・・ まわりを暗くするような人はいりません。

こんな人は

いくら知識があっても 学力があるとはいいません。



これからは ・・・ 本当の楽力 = 学力をつける時代です。







金しだい ・・・ 金でゆけぬは極楽

2013-11-22 12:00:06 | 原発震災避難者


遠足



事業の成否 ・・・ 金しだい

政治の運営 ・・・ 金しだい

選挙に勝つのも ・・・ 金しだい

宗教繁盛 ・・・ 金しだい

女にもてるも ・・・ 金しだい

すべての幸福 ・・・ 金しだい

・・・・・・・・


これらはむろん 一面の真実であるかもしれません。

だが

全面の真実でありえないことは

・・・ どなたにもお分かりでしょうね。



金ほしや地獄の沙汰も金しだい

金でゆけぬは極楽の道



金銭で買えぬもの 動かせぬものがあります。

・・・ ゲンとしてあります。

心の尊貴だけは

万能の ( ? ) の金銭をもってしても ・・・ どうにもなりません。


むろん 自分の心を金に代えて売る人もいます。

だが そういうのは

魂の低劣な人 とるにも足らぬ人物であり

その人生に真の幸福がありえないことはいうまでもありますまい。


この極楽とは あの世のことではなくて

現世における幸福という意味に解すべきでしょう。


幸福とは ・・・ 究極的には 心のもちかたひとつできまるもの

その心は 金銭や物質から独立した

これらによって支配されないものです。


大金があっても不幸な人

金が少なくても幸福な人がいます。

すなわち

「 金でゆけぬは極楽 ・・・ 」 ということになるわけですね。

明日は知れぬから今日の感謝 ・・・ といったところでしょうか。







手の楽しさ ・・・ 感謝

2013-11-22 09:00:56 | 原発震災避難者


遠足



詠み人知らずの三十一文字 ( みそひともじ ) に ・・・


今朝もまた箒 ( ほうき ) とる手の楽しさよ

はかなくなりし人にくらべて


・・・ というのがあります。



「 はかなくなりし 」 には

「 儚くなりし 」 ( 死んでしまった ) と

「 掃かなくなりし 」 の二つの意味を含ませています。

箒ときたから ・・・ こう受けたわけです。


・・・ 死んでしまった人は

箒をとって庭をはくことも もはやできない。

そういう故人たちに比べてみたら

今朝もまた生きて目ざめて 庭はきができる楽しさ。

ああ 生きているとは

なんとありがたい うれしいことか ・・・


生きていること自体をよろこびとせよ

・・・ そう教えている歌だと思います。


「 手の楽しさ 」 という表現がいいですね ~。


手こそは 人間の特性をあらわすものです。

その手をつかうことこそは ・・・ 生きていることのあかしです。

死ねば この手もなくなるんだゾ~ ・・・ ですよ ね。


「 箒とる手 」 は 一つの例で

鍬をとる手

ペンをもつ手

箸をもつ手

子を抱く手

お尻をふく手

介護する手 ・・・ なんでもよいわけです。


その手に ・・・ 楽しさと感謝を見出します。