遠足
人間だれでもそうですが
他人のアラは ・・・ じつによく見えます。
自分のアラは ・・・ サッパリ見えません。
肉体とちがって精神面は 鏡に映すことができないからでしょうか ?
これに加えて
自分の欠点は認めたくないという我が また たいていの人にあります。
そこでどうしても
他人に辛く 自分に甘い ・・・ ということになりますね。
人の世の人間関係がむずかしいことの一半の因は
多くの人が
こういう自己中心の見かたに立つことにあるのではないでしょうか。
自分は欠点だらけのくせに
神のような姿勢をとって 他人の非だけをみて裁きます。
人と人の仲がトゲトゲしくならなかったら むしろ そのほうがフシギです。
人間同士は ・・・ たがいに鏡のようなものです。
相手のなかに ・・・ 自分を見ています。
だから
ある人の欠点やマチガイを見て
それが 気になったり 苦になったり 咎めたくなる
腹がたつ ケシカランと思う ・・・ というときには間違いなく
・・・ トンデモナイ ! と言いたいでしょうが ・・・
それと同一の あるいは同質の非が ・・・ 自分にあるものです。
自分に そういう非がないときには
他人の非が見えても ・・・ それが気になりません。
そういう人のみが 他人の非に対して
愛をもって 効ある忠告ができるのだと思いますね。
よしあしは向こうにあらで我にあり
心直らば影は曲がらじ ・・・ です。