負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

欲がつもれば道を忘れる

2013-11-21 20:00:08 | 原発震災避難者


遠足



このごろの世相を見ていますと

欲ゆえに道を忘れた行いがふえる一方であるように見えてなりません。


企業エゴは つのる一方です。


企業エゴよりももっと元に ・・・ 政治家や政党のエゴがあります。


明治のころには

「 政治家になることは私財を失うこと 」 だったそうですが

当節は 政治をやると ・・・ 財がふえるらしい。


だからこそ

議席をうるために あのような大金 ( 資本 ! ) を投じ

選挙違反を堂々とおかす勇気 ( ? ) をもっているのです。


欲ふかき人の心と降る雪は

つもるにつれて道を忘れる


「 欲がつもれば道を忘れる 」 ・・・ ということですね。

まことに ・・・ 嘆かわしい限りです。







カッコイイ ・・・ キセル

2013-11-21 17:24:52 | 原発震災避難者


遠足



「 カッコイイ 」という言葉が生まれてから

もうどれくらいなりますか?


時代相を端的に表現した

うすっぺらな流行語であるといえます。


表面だけの姿を

末梢的な感覚で評価する形容詞で

これが広く使われるのに並行して

心の「カッコヨサ」を求める態度は うすれ 消えゆく一方です。


キセルさえ心のヤニを掃除せず

ガン首ばかり磨く世の人


金属製のガン首は

外に出ていて人に見えるし 磨けばすぐにピカピカ光ります。

だから人は これを磨くことは怠りません。

だが 中のヤニを掃除することは

見えないところだけに 怠りがちになります。


真に大切なのは こちらのほうでこそあろうに ・・・


キセルを扱うのと同じように 人は自分自身を扱っています。

そういう人が多いです。


表面だけを飾り 磨いて

心のヤニを掃除しようとはしません。

これでは 汚いヤニがたまる一方ですが ・・・ 。







人の道 ・ ケモノミチ ・・・ 2.政治家

2013-11-21 15:24:07 | 原発震災避難者


遠足



政治家を 政治家なるがゆえにエライと思うのではありませんが

かれらはいわば

この社会の骨組みをつくることを任とする人たちです。


そういうかれらに誠が欠けるなら

社会全般に誠が乏しくなること やむをえぬ自然なでしょうね。


政治家たちに 「 まこと 」 や 「 まごころ 」 が

乏しい現実 ( と 私は思いますョ ) を

・・・ 情けなく感じるものです。



絵にかきし餅は食われず世の中は

誠でなけりゃ間にあわぬなり



選挙のたびに 「 公約 」 なるものをひっさげて登場あそばすかれら

この公約が 「 画餅 」 の見本のように見えてしかたがありません。


食えない餅をかいてみせて

「 食わせてやる 」 と約束 ( ? ) して当選するのこそ

誠がない ・・・ 何よりの証拠です。

そういう政治家は

「 間にあわん 」 そうです。 ・・・ 役に立たないといいます。


国民のあいだに政治への不信が広がるのも

また ・・・ やむをえないなりゆきでしょうか ?


「 誠の道ぞ人のゆく道 」 ・・・

上に立つものが ・・・ 人の道を歩まず
 
ケモノミチに近いような道を歩くのでは ・・・ この世は暗い。


もう少々でもいい ・・・ 誠の量をふやしてほしいものです。







人の道 ・ ケモノミチ ・・・ 1.誠

2013-11-21 13:22:38 | 原発震災避難者


遠足



「 道 」 というコトバを

人間に肉体の足ではなくて 心がとおるべき道

倫理 道徳のスジミチという意味で用いるのは

・・・ 東洋に独特の現象でしょうね。


「 人の道 」 というとき

それは 常に道徳面の心の道を指しています。


また

そういう形而上の道がありうるのは 人間の世界だけのこと。

「 けものみち 」 などといって動物にも道はありますが

それは つねに物質的な道。

心の道というようなものは かれらにはありえません。



梁 ( はり ) つたう鼠の道も道なれど

誠の道ぞ人のゆく道


「 人の道とは せんじつめれば誠の道 それに尽きる 」

・・・ と説いています。



誠とはなんぞや ?

説明すればきりがなく けっきょく説明のしようがなく

そして 説明しなくたってわかる言葉でもありますね。

だから ヤボなセンサクはやめにして ・・・


ただ

「 まこと 」 ( 真・実・誠 ) とか

「 まごころ 」 ( 真心 ) というようなコトバが

国語辞典において影がうすくなっています。


そういう世相の現実を

指摘しておきたい ・・・ と思うのです。

                     ( 2.へ )







正道・邪道 ・・・ 2.大いに迷うべし

2013-11-21 06:05:11 | 原発震災避難者


遠足



問題は 何が正道で 何が邪道であるのか ・・・ ということです。

その判別が容易ではありません。だから ・・・


ともすればあらぬ方へとふみ迷う

教えがたきは人の道なり


という歌が生まれることにもなるわけですね。


何が正道であるかは

人に教えられてわかるばあいもありうるけれど

つねにそうとばかりゆかず

自分の足で トコトンまで迷って 袋小路に追いつめられて

窮したあげく ゆくべき道のありかに気がつく

というケースもまた おおいにありえます。

いわゆる 人生の岐路に立ったばあいは

まずは ・・・ たいていこんなものです。


「 努力するかぎり人は迷うものだ 」

とゲーテが言っているとおりで ・・・

迷って横道に入るから

正道の所在をみずから悟ることができる

失敗するから 成功がありうるのです。

いわゆる 「 負けておぼえる相撲かな 」 ・・・ ですよ。


だから

ワザと横道に入ることはよろしくないけれど

まっすぐのつもりで横へ入ってしまったということなら

・・・ 大いに迷ってよろしいのです。

大いに迷うべし ・・・ ということでしょうね。