負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

正道・邪道 ・・・ 1.人生相談

2013-11-20 23:30:12 | 原発震災避難者


遠足



まっすぐにゆけば迷わぬ人の道

横すじかいにゆきて尋ぬる


すじかい ( 筋交 ) は 斜めということです。



人の道というのは

まっすぐゆきさえすれば 迷うことなどないはずなのに

横着をして 横道や斜めの道に入ってゆくから迷ってしまいます。

そして

タバコ屋とか交番とかで 道を聞かなくてはならないことになります。

「 ここは何番地でしょうか ? 」  とか

「 何丁目はどこですか ? 」  などと聞くうちはよろしいが ・・・


「 私はどこへ行ったらいいんでしょう ? 」  と聞く人がいます。

マンガみたいですが ・・・

しかし 世の 「 人生相談 」 なるものを読んでみると

こういう質問をしている人が多いようですね。



習わじな沢辺の蟹 ( かに ) の横にのみ

行かばゆかるる道はありとも


という歌もあります。


ゆこうと思えばゆける横道があったとしても

蟹の横歩きのマネはしないで ・・・ まっすぐいきましょう

ということです。


まっすぐゆくことが ・・・ 正道

横道にそれることが ・・・ 邪道

これらの歌は

・・・ そういうふうに説明しているのだと思います。







行けぬかぎりは行け ・・・ 人生

2013-11-20 22:18:00 | 原発震災避難者


遠足




君が行く道は一筋ひとすじを

行けぬ限りは行けよとぞ思ふ



 尾上柴舟氏は 明治 大正 昭和の三代にわたって 国文学者 歌人 そして書家として活躍した人で、昭和32年に亡くなられた。

上記の歌は氏の作で 私が愛誦しているひとつです。



「 行けぬかぎりは行け 」 に この歌の生命はあります。


一見 ムリなことを注文しているようですが

しかし

「 行けるかぎりは行く 」 ぐらいのことなら

人間だれでも ボンクラであっても実行できています。


カベにブチあたってもなお ・・・ それを破って進む。

かくあってこそ この生は 生きるに価するというものです。


自覚する しないにかかわらず

だれにとっても 人生は 「 ひとすじの道 」 です。

だから

「 行けぬかぎりは行け 」 ・・・ ということになるのです。







うすれゆく人情 ・・・ 2.席をゆずる

2013-11-20 15:02:54 | 原発震災避難者


遠足



知った仲同士が助けあうぐらい あたりまえのことです。

知らぬ仲でも 助けあわずにはいられません。


そこにこそ 人の奥底の本質があるはずです。

その本質が失われつつあるのだとしたら ・・・ ゆゆしき大事です。


バスや 地下鉄の中で

老人や 子づれの女性などに席をゆずる人の

・・・ いかに少なくなったことか !


自分のことを言ってはナンですが ・・・

私など若いころには そういう人が入ってくると

ほとんど無意識に 条件反射のように席を立ったものでした。


弱者をいたわる心のない若者たちが

これから年長じて どういう国をつくってくれるのでしょうか ?


責任は ・・・ 私どもの世代にこそあるのですが ・・・ 。







うすれゆく人情 ・・・ 1.もやい傘

2013-11-20 12:02:21 | 原発震災避難者


遠足




夕立や知らぬ人にももやい傘


もやい傘は いわゆる 「 あいあい傘 」 のことです。


突然 はげしい夕立がきた。

すぐにはやみそうにない。

傘がなくて困っている人がいた。

見も知らぬ人であるし

これから二度と会う可能性もあるわけではない。

そういうアカの他人ではあるけれど

自分だけスタスタと行ってしまう気にはなれない。

「 入っていきませんか ? 」 と声をかけてしまう。


・・・ 人情の美しさです。


日本人は 人情のこまやかさにおいて

世界でもまれなほどの民族であったはずですが ・・・

こういう人情が うすれゆく一方であるのは

まことに ・・・ 情けない ( 文字通り ! ) ことですね。







一生童心 ・・・ わらべごころ

2013-11-20 09:01:43 | 原発震災避難者


遠足



「 一生童心 」 ・・・

山田徳兵衛という人形研究家が

ある人への色紙に書かれた言葉だそうです。


偉い人 第一人者となる人 自己のもてる力を出し切る人は

いくつの年になっても

心の奥に童心 ( わらべごころ ) を持ちつづけているようです。

稚気満々 ・・・ といいたい面をもつ人さえいます。


こういう人は 生命力がすこぶるたくましいものです。

「 梅ノ木は ・・・ 種も梅 ・・・ 」 という

そのタネを持ちつづけるからでしょうか ・・・ 。


版画の故棟方志功氏のごとき その好例かと思われます。


童心をもつとは 幼稚 ( オトナになりきれない ) とはちがいます。

タネを中核として 年齢どおりの年輪を重ねてゆくのです。


むしろ そのタネを失った人が

幼稚で ・・・ 成熟しにくいのかもしれません。



* それにつけても
    生前にお会いした棟方志功氏が懐かしい ・・・ 。







笑顔よし ・・・ 2.死因

2013-11-20 06:30:48 | 原発震災避難者


遠足



数年前 ある人が訪ねてきました。

35歳ぐらいの人で 初対面です。


2時間ほど二人きりで話しをしましたが

驚いたことにこの間 いちどたりとも

・・・ ニコリともしません。

・・・ 微笑のひとつも洩らしません。

能面のような表情を 終始変えないのです。


なんとまあ ・・・ と感じつつ 別れました。


一年ほどのち

「 彼は 死にました 」 という風のうわさが届きました。


さもありなん ・・・ と私には納得がいきました。

病名などは なんでもよいのです。

あれだけ笑わぬ人は

人間的な心をもっていないのであって ・・・ これこそが 重病です。

死因もまた そこにあったにちがいないのです。


「 花 」 が咲かぬなら ・・・ 枯れるほかにないのです。







笑顔よし ・・・ 1.人の花

2013-11-19 23:00:08 | 原発震災避難者


遠足



笑顔よし人の花とや誰も好く


心は 眼に見えない内面の存在ですが

内面にのみこもっているわけではなく

形のうえにもあらわれるものです。

すなわち 表情に出るのです。


感情を表にださないのが達人である ともいわれますが

しかし

笑顔だけは 大いにつくったほうがよいと思います。


笑うことは 人だけの特権であるし

「 拳 ( こぶし ) は笑顔にあたらず 」 ともいいます。


それにしても

この句の 「 人の花 」 はうまい表現ですね~ ・・・ 。







本末転倒 ・・・ 心とすがた

2013-11-19 22:02:14 | 原発震災避難者


遠足



形こそ深山 ( みやま ) がくれの朽木 ( くちき ) なれ

心は花になさばなりなむ     ( 兼芸法師 )


古今和歌集に出ている歌で

詞書 ( ことばがき  )に

「 女どもの見て笑いければよめる 」 とあります。


・・・ 私の姿こそは
 
深山の奥に隠れている朽木のように 見るかげもなく醜いものだが

ご婦人がた そんなにお笑いめさるな。

心は花のように美しくしようと思えば

できないことはないでしょうからネ ・・・ 。



人はとかく他人を 表面的な姿 形で評価しようとします。

大切なのは中味である精神面なのに

そのほうはよく見ようとはせず

また読みとる眼力もとぼしいものです。


自分自身に関しても

表面的なものだけを飾り

内面の修養ということを怠りがちになります。



いつの時代においても 人とはそういうものでしょうが

物質主義 拝金主義の今の世において

・・・ そういう性向は 極まった感がありますね。







雨洗風磨 ・・・ 困難・困苦

2013-11-19 12:00:14 | 原発震災避難者


遠足



中国の文字すなわち漢字は 表意文字であるため

視覚的な美しさがあり かつ 意味が視覚的にとらえられる

・・・ そういう特長をもっています。


また

文字であると同時に 英語などにおける単語でもあります。

だから

字数のわりに たくさんの内容を表現することができます。


漢詩でいちばん短いのは 五言絶句 ( 二十字 ) でしょうが

内容からいうと 日本の短歌より長い。

だから

短歌や俳句をつくった日本人の感覚からいうと

これでもウットウシイぐらいです。


しかし 数個の漢字のみの羅列は 美しいし

日本人の簡潔ごのみにも合うといえます。


雨洗風磨 ・・・ 「 ウセン・フウマ 」 と読んでも

「 雨は洗い 風は磨く 」 でもよいでしょうね。


誰のコトバか知りませんが 意味は ・・・ いうまでもありますまい。

「 雨の日も 風の日も ・・・ 」 というように

「 雨ニモマケズ 風ニモマケズ 」 とあるように

雨と風は

 
不愉快なこと 困難や困苦の象徴としてつかわれています。


そういう雨風によって

自分が洗われまた磨かれる ・・・ というのでしょう。



含蓄ある言葉ですね。







口うるさい ・・・ 日本人

2013-11-19 09:00:19 | 原発震災避難者


遠足



人間は とかく口うるさいものです。

人のことを アーだコーだと 噂したり 批評したりします。

世界の中でも 日本人はとくに口うるさい ・・・ のだそうです。


なぜこうまで他人のことが気になるのか ?

・・・ フシギに思うことさえあります。


十人寄れば  気は十色 ( といろ )。

人間 顔が違うように ・・・ 考えもちがいます。

いろいろな人が いろいろなことを言います。


口うるさい世の中で

それらを気にしていたら ・・・ 何もできなくなってしまいます。


とくに 大きい仕事はできません。

大きい人間の大きな仕事は ・・・ 大衆の理解をこえているからです。


だから 幕末の志士 坂本竜馬が


世のなかの人は 何とも言はば 言え

わがなすことは 我のみぞ知る


とうたったのは ・・・ あまりにも自然な述懐であったはずですね。







書 ( ふみ ) 読む ・・・ ヒマなし ?

2013-11-19 05:33:27 | 原発震災避難者


遠足



「 心の糧 ( かて ) 」 という言葉があります。


糧とは もともと食糧の意味です。

そういう意味で
 
「 良書は心の糧 」 ということが 古くから言われてきました。



おりおりに遊ぶ暇(いとま)はある人の

暇なしとて書(ふみ)読まぬかな

                      ( 本居宣長 )



現代にあてはめていえば

テレビに呆けるヒマはある

パチンコも大いにやる

競馬にもときどきでかける ・・・

そういう人に

「 たまには 本でも読んだらどうですか 」 と忠告すると

「 イヤー ヒマがないんでネー 」 と頭をかきます。


宣長の時代にもそうだったのかと ほほえましくもなります。


本の虫 本の奴隷になることは むろんよくありません。

また

いかがわしい本ばかりに親しむのでは

心の糧どころか ・・・ 心は毒され 汚れるばかりです。







争い ( ケンカ ) と勝負

2013-11-18 19:30:55 | 原発震災避難者


遠足



「 争い 」 ( ケンカ ) と 「 勝負 」とはちがう

・・・ と 私は思います。

次元がちがうのです。


女は知らず

男というものは ・・・ 勝負こそすべきであれ

ケンカ口論などに巻き込まれるべきではありません。


そして 男の一生において

真に勝負どころといえる機会は

せいぜい ・・・ 数回あるぐらいではないでしょうか。


しかも その勝負とは

つねに 「 おのれとの勝負 」 という本質をもっている

・・・ と 私は思うのです。


これに克つことによって

成長し 脱皮し 真我を発掘していきます。


それができる人が 真の成功者になります。


自分にさえ克てぬものが ・・・ 人生に勝てる道理はありませんよ ね。







心にトゲ ・ カド ・・・ 3.マン丸

2013-11-18 18:00:12 | 原発震災避難者


遠足



世の人の心を まるく マン丸に

どこも かしこも まるく マン丸



「 世の人すべてが まるい心の持ち主になってほしいものだ 」 という

・・・ 願望をうたった歌なのでしょうね。



いまのような日本において 声たからかに うたわれてほしい歌です。







心にトゲ ・ カド ・・・ 2.一角あれ

2013-11-18 16:36:12 | 原発震災避難者


遠足



丸くとも一角 ( ひとかど ) あれや人ごころ

あまり丸きは転 ( まろ ) びやすきに


「 一角あれ 」 とは

「 丸いだけではいけない。一本シンが通っていなくては ・・・ 」

・・・ というほどの意味でしょうか。


丸いだけでは
 
カドのある人たちによって いいように転がされてしまいます。


「 善人 」ではあるべきですが ・・・ 「 お人よし 」 ではいけません。


一面に

転がらないですむような平面もなくてはいけない といいます。


男において とくに必要なことがらでしょうか。


トゲのない人が トゲだらけの世を生きるには

それなりの警戒や 心がまえがいります。

情けないけど ・・・

そういう警告も必要であるのが ・・・ 世の中の現実というものですね。







心にトゲ ・ カド ・・・ 1.丸

2013-11-18 07:40:08 | 原発震災避難者


遠足



「 心がまるい 」 の反対は

「 心にカドがある 」 あるいは 「 トゲがある 」 です。


そのカドやトゲをつくりだすものは

我 ( が ) であり 欲であり エゴイズムです。


そういうカドがぶっつかりあうので 世に争いは絶えません。

小は二人のケンカ口論から 大は政争 戦争にいたるまで

そのもとは例外なく 人間の心のカドやトゲにあるのです。


それは醜い 悲しいことですから

なんとか世の人すべての心を丸くして

  争いを地上からなくしたいものだ といいますね。


・・・ お説 ゴモットモですが

また これは理想であって いっぺんにそこまでゆくことはできません。


現実の世の人間は 十人のうち九人は トゲやカドの持ち主です。

・・・ そういう世を渡ってゆくためにはまた

    それなりの知恵もいるのではないでしょうか ・・・ 。