Colors of Breath

★オリジナルソング・絵・詩・写真・猫・心ブログ('07.11.4開始)★『Breath』音楽活動('11.9.4開始)

COLORSも16年目。

◆私のオリジナルソングを公開しています。(ヘッドホンorイヤホン推奨)◆世界に於ける日本の役割は原発技術を広めることではなく、自然エネルギーの活用技術を広め世界を牽引することじゃないのかと思う。◆イジメとジサツと…イジメがなければその子がジサツしない可能性は?限りなく100%に近いと思う。

番外編    『真夜中のプレゼントには要チュー意!』

2009-07-20 09:47:38 | 22.思い出物語


 

番外編
(私が11歳か12歳頃の出来事だったと思う。) 

 『真夜中のプレゼントには要チュー意!』
 


それは家人が皆眠りに就いた真夜中だった。
がさごそと何やら不規則に走り回る物音に気付いた私は、
闇に目を凝らしながら布団から僅かに体を持ち上げて視界を泳がせた。

暗闇に少し慣れた目に、飼い猫が映った。
猫は、その戦利品が主人に見えるように
枕元40~50センチほど近付いて来ると、ちょこんと座った。
畳の上に頭を近付けて、ふとその咥えた口を緩めた瞬間だった。

そいつはまっしぐらに私の布団の中に飛び込んできた。
条件反射というかとっさに、ぎゅっと縮まるようにして、
布団の、そいつがいるであろう部分を押さえ込んだ。
動けない。どうしていいか分からない。
噛み付かれたらという不安を抱きながら、とにかく心を落ち着けた。

押さえ込んだ手を緩めぬように意識をそのことに集中して、
恐る恐る体だけをゆっくりと遠ざけた。が、ふとうっかり手元が緩んだ。
相手もしめたとばかりに布団の外に飛び出した。
といっても私が目で確認したわけではない。
暗闇に光る猫の目がその飛び出したモノの動きをしっかりと捉えていた。

とにかく私は自分に危険がないことを確信し、そっと立ち上がり室内灯を点けた。
灯りに驚いたそれは部屋の壁のヘリを目にも留まらぬスピードで移動した。
部屋の隅に整然と積み上げてあった使用していない布団と壁との隙間に、
気のせいかと思えそうなほどかすかな黒い残像を私の網膜に残して消えた。
しかし本当に消えたわけではなかった。
明らかにあの積み上げた布団の影にいることは確信していた。

草木も眠る丑三つ時、おそらくそのくらいの時間だ。
寝ずに朝を待つには先が長過ぎる。
かといって、この状況を何とかしない事には眠れない。
仕方なく私は目の前の、胸ほどの高さに積まれた布団を退けることにした。

そうっと、隠れているそいつを刺激しないようにそうっと、
上から順に布団を下ろし横へ退けた。
半分も退けると布団の上から隙間を覗き込める位の高さになったので、
私は背伸びをするように布団に上体を載せ、
そいつを刺激しないようにそっと覗き込んだ。

が、真っ暗なその隙間に光が差す気配を察知したかのように、
そいつは目にも止まらぬ速さで飛び出し壁伝いに疾走した。
角には逃げ込む物や隙間があるという本能的な動きなのかもしれないが、
そいつの予想に反して、部屋の別の角は全く物が無く、行き止まりだった。

飼猫は見逃さなかった。
飼猫がそいつに噛み付きかかるまでの一瞬に、
私の目も灯りの下でしっかりとそいつを捉えた。

何だかさっきまでの恐怖が嘘のように消えるほど、そいつは小さな鼠だった。
田舎では仔猫ほどもある大きな鼠はざらにいる。
私は、そこまでの大きさはなくとも、それに近いだろうと思い込んでいただけに、
実際のそいつの大きさに少し拍子抜けした。
私がそんな感情を巡らしている間に、窮鼠はじわじわと猫に弄ばれていた。
自然の摂理、野生とは何と厳しく悲しいものか。


 ご主人見て下さい。私が捕らえたんですよ。
 こんなに痛めつけてもまだしぶとい凶暴なやつを、
 私が力を振り絞って、ご主人のために捕まえたんですよ。
 ねえ、一杯褒めて下さいよ。

 (鼠は力を振り絞って逃げようとする…が、
それは猫が自分の戦利品の価値を上げるために施した、
死なない程度に逃げられない程度に痛めつけるという、
 自身の功名のためのテクニック。
鼠は猫の策略にまんまと踊らされる。)

 おっと意気がいいねえー。
 こいつめ、いい加減観念しな!

飼猫が私の方を見て時折り嬉しそうに笑ったかのように見えた。
それと同時に地獄の鬼のような形相で狂気を帯びながら
死へ引き摺られていく鼠の苦痛な表情と叫び声が脳裏を過ぎった。

僅かに動く度、散々猫の手であちらこちらに転がされた鼠は、
間も無くぴくりとも動かなくなった。
私がそーっとそれをティッシュで片付けようとすると、猫はすかさず、
「おっと、まだ危ないですよ」と言わんばかりにすばやく咥えた。
確かに鼠はまだ微かに息があった。
最後のトドメを刺すかのように飼猫は鼠に、これまで見ない力で噛み付いた。

私は、もうそこまでしなくてもいいだろうと見かねて、猫からそいつを奪おうとしても、
猫は益々顎の力を強め、放そうとはしてくれなかった。
結局猫が諦めるまで、私はその様子を傍観するしかなかった。
猫が戦利品に飽きてそのものを忘れた頃を見計らって、
(最早、飼い猫は食も贅沢になり鼠を食べなくなっていた)
私はそいつをティッシュで包みビニール袋に入れて処分した。



生憎、ペットでもないただの鼠にお墓を作るだのの習慣も思想もない田舎。
それは表面的な見方をすれば冷酷で無慈悲で、残虐でもある。
しかし綺麗ごとの思いやりなど存在しない、実に現実的な、
生活に密着した命との向き合い方の当然の流れでもある。
猫の戦利品として一生の最後を終えた鼠のその後は、
多分、最終的には庭先にある家庭用ごみ焼却炉の中だったと思う。

一見残酷なように思われることを日常の中で経験しながら、はっきりと、
護るべき対象が何か、傷付けてはいけない対象が何かを、
見極める判断力が潜在的に育まれていくのだと思う。

遊戯やストレス発散の為の標的に命を据えるなどという、
現代の心の歪みを象徴するような事件を知る度、
ヒトが成長していく上で不可欠と思われるこのようなプロセスが、
強制的に削られていく環境が腹立たしいと思う。
このような世の中に生きなければならない現代人、
特に何も知らない思春期の子供が、彼ら自身理解できないままで、
コントロールする術も持たず犠牲になっている。

便利化合理化と引き換えに大切なモノが削除されているようで、
失ってはいけないモノが欠如しているようで…。
そんな危機感を抱いているのは私だけだろうか。
そんな世の中を悲しいと感じるのは私だけだろうか。

昔の思い出を書きながら、現代人の、命との付き合い方の不器用さを感じた。
命を命とも思わない残虐な行動、かと思えば無暗に溺愛したり毛嫌いしたりと、
自分以外の命あるものとの距離の取り方、受け容れ方の何と下手なことか。
やはり大事なプロセスが抜け落ちているせいのような気がしてならない。 

終 

 

 ず~っと書きかけのままホッタラカシだった思い出の物語。
やっと完成、お披露目出来ました。
(さぼっていた訳ではないが、なかなか手が回らず…特に絵が…) 

思い出の物語として子供の頃のちょっと楽しいエピソードを
カテゴリー『26.勿忘草』に公開しています。

これはそのシリーズの番外編です。宜しければ他のエピソードもどうぞ。

まだ暫く思うように更新できそうにありませんが、
時々写真だけポツンとアップするかもしれません。 
ストレス解消の心象画や落書きをアップするかもしれません。
どうぞ気になさらずに皆様のペースで気軽に楽しんで頂ければと思います。
では、またまた、暫しお別れです。

夏風邪、豚風邪お気をつけて。
冷たい食べ物やクーラーでお腹をこわさないようにね。

 

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エピソード3 『魔界の入り口?』

2009-02-07 20:00:13 | 22.思い出物語

長々とお待たせいたしました。
エピソード3を本日やっとアップできることになりました。
(皆さん、もう忘れていますね。


カテゴリー26.勿忘草(わすれなぐさ)に子供の頃のちょっとした思い出物語を
アップしています。以下のエピソードを予告して、1、2は既に公開済みですが、
その後随分放置しておりました。そして今日やっと3を公開出来る事に。
あまり絵が上手く描けなかったのですが、他愛無い童話のようなものです。
興味のある方は他のエピソードもクリックして、どうぞお楽しみ下さい。
一応ノンフィクションです。

エピソード1 『グリンピースの炊き込みご飯』 公開済み
エピソード2 『底なし沼』(1) (2) (3) 公開済み
エピソード3 『魔界の入り口?』 
番外編 『真夜中のプレゼントには要チュー意!』 (未公開)


 




エピソード3

 『魔界の入り口?』


小さい頃、言い付けられる度に憂鬱になる嫌なお手伝いがありました。

いつも、心の中で「え~?あそこへ行くの?やだなぁ…ぶつぶつ」と小さな反発の
文句を唱えながら、調理用ボールかビニール袋を持ってしぶしぶ外へ出ました。
大抵は夕飯の支度の時ですが、田舎の夕食は大体5時頃、
遅くても6時には食べるので、その前の時間です。
当然夕方と言っても、まだまだ外は明るいです。

さて、そんなに憂鬱なお手伝いって何?とお思いでしょう。
ずばり椎茸採取です。
椎茸を採るのが嫌なの?って、
別に椎茸を採ることそのものは嫌ではありません。
では、いったい何が私をそんなに憂鬱にさせるのか?

採った椎茸を入れる為の袋を持って外へ出ると、
家の北側の日中もあまり日光が当たらない裏側へ回ります。
途端に咽る様な、湿気の篭った独特の臭いが鼻を突きます。
カビ臭いような湿っぽいような、爬虫類の臭いような、独特の臭いです。
一歩家の裏へ回ると、すぐにそんな臭いが体中を覆い、
足下にはびっしりとやたら伸び伸びと苔が生えています。

以前、『苔嫌いだった』ことを書きました。
そう、もう、足下にびっしり苔が生えている時点で恐怖なのだから、
そこへ行くのは毎回肝試しに行くようなものなのです。
特に、椎茸の原木が置かれている場所が嫌でした。

魔物の棲む場所に足を踏み入れる時、前へ一歩踏み込むと
得体の知れない爬虫類や節足動物やそんな気持ちの悪い昆虫達が
ざわざわと這い出し逃げ惑う、そんな映画などがありますが、
気持ちは既にそのような世界に踏み込んだ状態です。

排水用に仕切った石の堰(せき)をチョロチョロと走るイモリや、
普段見ないようなやたら足の長い蜘蛛や小さなゲジゲジや百足、
雨蛙は可愛い物ですが、大きなナメクジが這っているし、
恐ろしい大きさの蟻も現れます。

これらが、なるべくこちらから近付かないようにするにも関わらず、
椎茸を採取している手元から突然現れるから、たまったもんじゃありません。
あなたが子供で、椎茸と一緒にナメクジを掴んだと想像してみて下さい。
椎茸を捥ぎ取ろうとする指の上をゲジゲジが這ったと想像して下さい。

流石に蛇は出たことがありませんが、とにかくあまり怖がりではない私ですら、
ここだけは毎回胆が冷えました。

少し薄暗くなろうものなら、隣家との境の杉の大木が月明かりすら遮り、
猫の額ほどのその場所がどこへ続くとも分からない闇に変わる。
ぽっかりと口を開いた異次元への入り口のように、闇に呑み込まれていきます。

想像力豊かな私の脳内では既に魔界への入り口と化し、
その妄想のせいか、時に恐ろしい夢に睡眠を脅かされる事もありました。
生き埋めにされる夢や、迷路の中に迷い込み脱出できない夢、
度々ではないのが救いと言うか…。

小さい頃の私には何より怖いことだったのに、
今ではそんな私も毛虫や芋虫を育てたりしています。
毎日その成長に一喜一憂し、道端に芋虫の食草などを見かけると、
芋虫がいないかと探したい衝動に駆られる始末です。
他人の畑(人参はキアゲハの食草)を見ると、目が輝いてしまうのでした。

記憶というものは時間の魔法が掛かると不思議なもので、
いい部分だけを焼き付けておこうとするらしい。
あれほど嫌だったものがいつしか興味という好奇心だけになり、
印象を反映させる反射鏡が美しさや面白さを映し出すようになる。
アスファルトやコンクリートに覆われ乾いた匂いしかしなくなった生活環境は、
陽光を遮り瑞々しさを閉じ込めた小さな湿地帯の噎せるような菌類の匂いを、
恋しいとさえ感じさせる。

よくしたもので、あれだけ恐ろしく思えたそんな空間が、
今ではとても大切な思い出になりつつあります。
特に自然に触れる機会が少なくなった今日は、時々懐かしくも、
キラキラと素適な色だけを留めて、色褪せることなく脳裏に焼きついて、
ふとした切欠で微笑ましい感情に変換されて蘇ってきたりするのでした。

こんな思い出が重ねられていく私の人生は案外いいのかも、
と、近頃思うのです。






最後までお付合い頂き ありがとうございます。

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マザー・テレサのコトバ

2008-10-10 08:34:04 | 22.思い出物語


なんか、じーんときたんだ。



(絵が上手くいかない…)




人は不合理、非論理、利己的です。
気にすることなく、人を愛しなさい。

あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく、善を行いなさい。

目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。
気にすることなく、やり遂げなさい。

善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく善を行い続けなさい。

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく正直で誠実であり続けないさい。

助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく助け続けなさい。

あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい。
蹴り返されるかもしれません。

気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。

気にすることなく、最良のものを与え続けなさい…。



素通りできなかったので、ここに覚書としてアップします。

映画「マザー・テレサ・メモリアル」公式サイト


*映画予告編

*マザー・テレサについて

 
 

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エピソード2『底なし沼』(3)

2008-06-27 18:50:15 | 22.思い出物語


エピソード2

『底なし沼』(3)

 

おそらくこんな感じの道があったんだろうと思う。(道の細い延長線は獣道のような藪道)


(『底なし沼』へのご案内も併せてどうぞ)
(『底なし沼 』(1)も併せてどうぞ)
(『底なし沼 』(2)も併せてどうぞ)





いちいは不自然に突き刺さったその棒を見た時、初めて自分がしていた事の危険に気付いた。みるみる不安に囚われ、改めてその暗い緑を認識するかのように頭上から回りを見渡した。途端に周りの景色のうっそうとした木々の、ざわめき揺らぐ枝擦れの様は、まるで唸り声を上げながら蠢く化け物たちに変わり、頭の上から覆い被さるように迫ってくる気がした。いちいは一目散に逃げた。逃げたという表現が正しいのかは分からないが、何かから逃れようとした。

最早、その道が正しいのかも解らず、速さを増す心拍数に追い立てられるようにただただひたすらに前へ進んだ。視界は視線をその先の地面のみに保ち、とにかく足早に前へ進んだ。やがて辺りは目が覚めるように明るく拡がった。

どれ位の距離だったのか、どれ位の時間だったのかは解らなかった。夕暮れとは言え、見慣れた景色が森の中と比べ物にならないほど明るく開けた事だけは確かだった。目前に開けたいつもの村の景色は暖かな夕焼けに包まれていた。詰めていた呼吸がふと緩んだ瞬間だった。その後は何事もなかったように呼吸を整え帰り着くと、平静な顔をして玄関の戸を開けた。「ただいまー。」




 


今思えば、一つ間違えたら遭難しかねない危険極まりない探検三昧の日常だった。「大変だ!夜になってもいちいが帰ってこない!」村人総出で「いちいちゃ~ん、どこだ~!」「聞こえたら返事しろ~!」なんてことにならなくて良かったと思う。まるでトム・ソーヤーかハックルベリー・フィンだ。そういえば、『となりのトトロ』にもそんなシーンがあった。「めいちゃーん!どこだー!」

少し後に母と暮らせるようになって、相変わらず山歩きしたりする私は、あまり責任のない親戚には「おじいちゃんそっくりだ」と笑われたが、母には「頼むから、ひとりで山の中を歩くの止めてちょうだい。何かあったらと心配でしょうがない。」とよく叱られた。私が採ってきた芹等を料理する反面、その心持ちは複雑だったろう。今頃になって、あの頃の母の心配がよく分かる。そして、あんなだった私もどういう訳か、今はあの頃の母に負けない位心配性である。もしも私があの頃の母で、自分の子どもがいちいみたいだったらと思うと…。(笑)『親の気持ち、子知らず』本当にその通りだ。

ところで今もあの沼はあるんだろうか?それ以前にあの景色が、あの環境が残っているのかどうか…。月日が巡り、今住んでいる場所の周りの景色を見ると、この場所でさえ見る見る変わって行く。きっと、あの山もがらりと様変わりしてしまったかも知れない。いつかまた里へ帰ることがあったら、あの幼い頃の時間の思い出を辿ってみようと思う。    (終わり)




 
何とも病気がちなくせにアウトドアな子どもでした。
私を見守り育ててくれた全てに感謝です。

最後まで長々とお付き合い頂きありがとうございます。
何やら思うところ、感想、意見、苦情ございましたら、 コメント歓迎いたします。
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エピソード2『底なし沼』(2)

2008-06-26 18:26:23 | 22.思い出物語


エピソード2

『底なし沼』(2)



(『底なし沼』へのご案内も併せてどうぞ)
(『底なし沼 』(1)も併せてどうぞ)


頭の中では自分に都合よく、自分の村まで真っ直ぐに繋がる道を勝手に作り上げている。ところがそんな空想はすぐさま覆されて、道はほぼ直角に、大きく左へ折れていた。(え?これじゃあの知らない村を、来た道を後戻りするのと同じじゃないか。全然近道じゃないかもしれない…)そんな不安がよぎった。今さら後戻りするのも得策とは思えず、不安なまま進んだ。

道はやがて一層、手や足で、絡みつくツル状の草を掻き分けながらの獣道に変わり、くねくねと蛇行し方向感覚が崩れそうだった。正しいかどうかは分からないが、不安ながら自分の村の方へ少しずつ近付いている気はした。まだ陽は落ちず、明るいのが救いだった。

子どもの感覚だから、何分歩いたか、どのくらいの距離なのかなんてわからなかった。思い返してみると、獣道に進み入って10分程度のような気もする。突然目の前から一まとまりの木が消えて、その中心から奥の方にどんよりとした水が見えた。道はその淵を回るように続いていた。淵と言っても、朽ちた倒木や、大きく引き裂かれたように折れた枝が覆いかぶさって、水と地面の境目がどこなのかわからないような状態だった。

いちいはどこかで耳にした底なし沼の話を思い出した。(底なし沼って、本当に底がないんだろうか。)素朴な疑問だった。良からぬ危険な匂いのする好奇心が頭を擡げた。すぐさまその辺に覆いかぶさり絡まっている枝から、できるだけ長そうなものを選んで、引っ張り出した。あちこち絡まった枝は、山の主に囚われているかのように、そう容易くは思い通りに取り出せない。少しぬめっとした、変な草や茸が生えた不気味な枝を力一杯引っ張った。きしむように引きずり出される枝は時々乾いた音を立てて折れながら、ずずっと、そしてやがて諦めたようにするっと足元に横たわった。

いちいは、横から出た細かい枝を払い一本の棒状にすると、足元に気をつけながら、澱んだ水に近付いた。そして、その枝の先端を、恐る恐る澱みの中に差し込んだ。木の棒はするすると、おそらく半分ほどが水の中に手応えもなく吸い込まれていった。恐怖からか好奇心からか自分では分からないが、少しぞくぞくした。更にこちらから向こう側へ棒は45度程の角度でずずっと沈んでいく。腕をいっぱいに前へ突き出して棒の端ギリギリを持ち、更に押し込んだ。もう棒を押し込む力が作用しない状態になっていたが、棒は水面からまだ1m位は出ていた。2.5から3メートル近くあったと思うその棒だが、今思うと、斜めに突き刺さっていたから、随分沈んだように見えていただけかも知れない。でも好奇心でわくわくしているいちいの脳にそん冷静な判断ができる筈もなく、ただもうその先を確認したいというその思いばかりに囚われていたのだった。

「もう少し…、もう少し…。」足先は無意識のうちにじりじりと、地面とも水面とも区別のつかない沼の際ににじり寄っていた。つま先にぐっと体重が掛かり力が入った瞬間だった。突然足元がぐらりと不安定に揺らいだ。いちいはとっさに飛び退いた。ふんわりとした腐葉土とは明らかに違う、その飛び退いた足跡には、じんわりと水が滲みていた。はっと冷静になると手に棒はなく、驚いた拍子に思わぬ力が加わったのか、さっきまで握っていたとは思えないほど離れた所にひょっこりと突き刺さっていた。もはや到底手の届きそうな距離ではなかった。本当に不思議なことだが、ついさっきまで持っていたと思えないほど離れた場所だった。

(次回につづく…)
 



 

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エピソード2『底なし沼』(1)

2008-06-26 18:22:55 | 22.思い出物語


エピソード2

『底なし沼』(1)



いちいは幼い頃から、野山の探検が大好きだった。小学校に上がるまで、主に祖父母と生活していたせいで、自然に身に付いた習慣でもあったと思う。自然や植物に親しみ多く、そういうものを使った手仕事に長けていた祖父と共に、材料探しに山に入ったりするのが日常だった。
小学校に入ってからも、事情あって日中は祖父と生活を共にしていたこともあり、山に対する怖いもの知らずな行動はさらに磨きがかかった。たかだか7、8歳の子どものくせに、獣道さえあればさほどの恐怖も持たず踏み入って行くくらい、山歩きが平気な子どもだった。

集落の周りには人の手付かずの自然があちらこちらにあった。小さいのは1キロ四方から、広くなれば5~10キロ四方に及ぶ湧き水の湧くような山地もあった。学校から帰ってくるとランドセルを放り出し、弟や近所の幼馴染みの男の子や女の子2人3人と示し合わせ、村はずれの密林探検に繰り出して行った。

ある時、いちいは一人でふらふらと気の向くままに探検に出た。この先には何があるのだろうと、いつも気になっていた道があったからだ。その道は、高台にある自分の村から南へ坂を下り、大きな木がトンネルのように覆いかぶさって日光を遮断するように続いていた。暗いが、車が通れるほど広いみちで、ちっぽけないちいは、吸い込まれるようにその坂を下っていった。

間もなく、左手側に地形が明るく開け、数件の民家がある、隠れ里のような村落が現れた。あまり人気のない東西に長いその村の道を東へ歩いて行くと、北へ(左手側へ)向けて少し薄暗い山の中へと続く上り坂に出くわした。そろそろ陽も落ちる頃の帰巣本能ともいうべきか、この道を上って行けばきっと、以前自分の村で新しく見つけた細い道(その道は、村から明らかにどこかへ続いていたが、どこへ辿り着くかは、まだ未確認のままだった。)に繋がって、近道になっているに違いないと思った。根拠のない確信に導かれて、薄暗い山道を上り始めた。

(次回につづく…)





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エピソード2 『底なし沼』へのご案内

2008-06-25 18:19:19 | 22.思い出物語

相当お待たせしました。一部のファンお待ちかねの第2弾です。(本当?)

      こちらもどうぞ→  エピソード1『グリンピースの炊き込みご飯』

もしもあなたが自然豊かな田舎で育っていれば、同じような経験をしているでしょう。
予告(こちらの記事)とはタイトルが多少変わっておりますが、そんなの気にしない、気にしない。
あまり期待せずに、ちょびっとお時間のある方はお付き合い下さいませ。何とか景色が目に見えるように伝えようとしましたら、なかなかくどい文章になってしまいました。これで状況を想像できるあなたは、かなりの妄想族(私と一緒)ということで、『変わり者の会』の会員に任命いたします。(誰?「イヤ~!」なんて悲鳴上げてるのは。)
因みに、会長:銀龍(に、しちゃう)、会員№1:ichii(私)、会員№2:hiiro(彼女の友人曰く。実は彼女、ジブリ映画に沢山出演しているらしい、人間じゃない役で。ってこんな事言うと叱られるね。)随時、会員募集中。
入会費無用、特に特典もございませんが、このブログが存続する限り、半永久的に会員でございます。ご了承下さい。

こんな事ばかり書いてたら記事長くなっちゃったじゃん。すみません。
記事を分けてアップします。

あまり難しい文章は書けませんので、軽く童話のつもりで子どもの頃を思い出して、お楽しみ下さい。




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エピソード1 『グリンピースの炊き込みご飯』

2008-04-02 20:47:54 | 22.思い出物語


お待たせしました。
待望(?)のエピソード1 『グリンピースの炊き込みご飯』です。

こちらも合わせてどうぞ。





エピソード1

 『グリンピースの炊き込みご飯』


いちい、小学3年生。(多分それくらいの頃だったと思う。)

土曜日は給食がないので、授業を終え掃除を済ませ、帰りの会が終わる頃には、
背中の皮とお腹の皮がくっつきそうなほど空腹になる。
いつもならふらふらと道草を食いながら帰る2キロの道のりも、土曜日ばかりはまっしぐらに家路を急ぐ。

「ただいまー!」
玄関を開けると、やたらと広い田舎の家の中は、大きな柱時計の時を刻む音だけがコッチ、コッチと、静まり返った空気の中に水音のように響いている。

農家は今、田植えのシーズン真っ盛りだ。
大人は皆、朝早くから夜陽が落ちるまで、ビニールハウスの苗代や田んぼに入り浸りだ。いちいの家も例外ではなかった。

とにかく腹ごしらえをしなければ、空腹で目が回りそうだ。
普段食卓の上に、焼き魚や古漬け(保存用に発酵させた漬物)や田舎特有の味の濃いおかずと朝食べたままの味噌汁の鍋が置いてあるが、到底小学3年生が喜ぶ代物ではない。
とりあえずご飯さえあれば、納豆なり海苔佃煮なりで食べられる。そう思い、台所の3つある炊飯器を順番に覗いた。
(家は大家族だった事と、犬猫や豚も沢山いた事もあって、冷や飯は彼らの餌とし、3台の炊飯器を順番に使って新しくご飯を炊くのが普通だった。)

まず、奥の炊飯器を開けた。なにやらきれいな色合いが目に飛び込んできた。
「あ、豆ご飯だ。」
若芽のような清々しい緑色のグリンピースが均等に散らばった、美味しそうな炊き込みご飯があった。が、内心は驚きの言葉と裏腹に(なーんだ、豆ご飯か…)と、私の心はがっかりしていた。なぜなら、私は豆芋類が嫌いだったからだ。
まあ、私のみならず米農家の子は往々にして、混ぜ物のご飯より白いご飯が好きなようである。
すぐさま蓋をして、次の炊飯器を開けた。中はきれいに洗われた状態でカラだった。
残りの炊飯器を開けた。白い、朝のご飯があった。
冷蔵庫から、適当におかずになりそうなものを探してぺこぺこのお腹を満たした。

夕方、陽が落ちる頃、母が夕飯の支度をしに田んぼから戻って来た。
「ああ、帰ってたか。何もおかずを作ってなかったねぇ。昼、何食べた?」
母は少し申し訳なさそうに、腕や足につけた土避けを外し作業着を脱ぎながら、私に
言った。
「うん、適当にあるもので食べた。豆ご飯があったけど食べてない。」
母は一瞬、えっと言う顔をして私を見た。
「豆ご飯?そんなの炊いてないよ。」
「え?そこの奥の炊飯器にはいってるよ。」
母と私は台所のシンク脇の炊飯器に歩み寄った。
私の前に立ち、母は怪訝そうな顔をして奥の炊飯器を開けると、顔を近付けるようにして中を覗き込んだ。
そしてひとこと言った。
「バカ。豆じゃなくてカビだわ。」
「………」

私は恐る恐る米粒が見えるところまで顔を近付けて、ご飯を凝視した。
グリンピースだと思ったのは、直径1センチほどに点々と規則正しく散らばって発生した緑色のカビだった。豆のように表面が滑らかではなかった。なにやら妖しく毛のようなものが生えていた。
「はいはい、これは豚の餌だな。」
そう言い、母はさっさとそれを豚用の残飯バケツ空けると、その後は一人で思い出し、思い出ししながら大笑いしていた。

あの時以来、そう、あの至近距離でカビを見て以来、私はカビと緑の毛の生えたようなものが苦手になった。
その苦手から生まれた恐怖の対象は、私の優れた想像力により増幅されて、
〔カビ→苔→藻〕の図式となり、〔カビ=苔=藻〕の基本図式を作ってしまったようである。


 

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ナカヨシ

2007-12-17 19:14:02 | 22.思い出物語

みんな一度は、こんなことあったよね。

     


大きな時間の中に漂う、
まるで、しゃぼん玉のような時間だった。

他愛もない話に真っ直ぐな笑顔が溢れる、
それが当たり前でいられる時間だった。

邪魔されることのない世界に二人だけ……。

あの頃はそれだけで、
人生を語る一人前の大人のつもりだった。

そして、
そんな時間が大好きだった。







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