番外編
(私が11歳か12歳頃の出来事だったと思う。)
『真夜中のプレゼントには要チュー意!』
それは家人が皆眠りに就いた真夜中だった。
がさごそと何やら不規則に走り回る物音に気付いた私は、
闇に目を凝らしながら布団から僅かに体を持ち上げて視界を泳がせた。
暗闇に少し慣れた目に、飼い猫が映った。
猫は、その戦利品が主人に見えるように
枕元40~50センチほど近付いて来ると、ちょこんと座った。
畳の上に頭を近付けて、ふとその咥えた口を緩めた瞬間だった。
そいつはまっしぐらに私の布団の中に飛び込んできた。
条件反射というかとっさに、ぎゅっと縮まるようにして、
布団の、そいつがいるであろう部分を押さえ込んだ。
動けない。どうしていいか分からない。
噛み付かれたらという不安を抱きながら、とにかく心を落ち着けた。
押さえ込んだ手を緩めぬように意識をそのことに集中して、
恐る恐る体だけをゆっくりと遠ざけた。が、ふとうっかり手元が緩んだ。
相手もしめたとばかりに布団の外に飛び出した。
といっても私が目で確認したわけではない。
暗闇に光る猫の目がその飛び出したモノの動きをしっかりと捉えていた。
とにかく私は自分に危険がないことを確信し、そっと立ち上がり室内灯を点けた。
灯りに驚いたそれは部屋の壁のヘリを目にも留まらぬスピードで移動した。
部屋の隅に整然と積み上げてあった使用していない布団と壁との隙間に、
気のせいかと思えそうなほどかすかな黒い残像を私の網膜に残して消えた。
しかし本当に消えたわけではなかった。
明らかにあの積み上げた布団の影にいることは確信していた。
草木も眠る丑三つ時、おそらくそのくらいの時間だ。
寝ずに朝を待つには先が長過ぎる。
かといって、この状況を何とかしない事には眠れない。
仕方なく私は目の前の、胸ほどの高さに積まれた布団を退けることにした。
そうっと、隠れているそいつを刺激しないようにそうっと、
上から順に布団を下ろし横へ退けた。
半分も退けると布団の上から隙間を覗き込める位の高さになったので、
私は背伸びをするように布団に上体を載せ、
そいつを刺激しないようにそっと覗き込んだ。
が、真っ暗なその隙間に光が差す気配を察知したかのように、
そいつは目にも止まらぬ速さで飛び出し壁伝いに疾走した。
角には逃げ込む物や隙間があるという本能的な動きなのかもしれないが、
そいつの予想に反して、部屋の別の角は全く物が無く、行き止まりだった。
飼猫は見逃さなかった。
飼猫がそいつに噛み付きかかるまでの一瞬に、
私の目も灯りの下でしっかりとそいつを捉えた。
何だかさっきまでの恐怖が嘘のように消えるほど、そいつは小さな鼠だった。
田舎では仔猫ほどもある大きな鼠はざらにいる。
私は、そこまでの大きさはなくとも、それに近いだろうと思い込んでいただけに、
実際のそいつの大きさに少し拍子抜けした。
私がそんな感情を巡らしている間に、窮鼠はじわじわと猫に弄ばれていた。
自然の摂理、野生とは何と厳しく悲しいものか。
ご主人見て下さい。私が捕らえたんですよ。
こんなに痛めつけてもまだしぶとい凶暴なやつを、
私が力を振り絞って、ご主人のために捕まえたんですよ。
ねえ、一杯褒めて下さいよ。
(鼠は力を振り絞って逃げようとする…が、
それは猫が自分の戦利品の価値を上げるために施した、
死なない程度に逃げられない程度に痛めつけるという、
自身の功名のためのテクニック。
鼠は猫の策略にまんまと踊らされる。)
おっと意気がいいねえー。
こいつめ、いい加減観念しな!
飼猫が私の方を見て時折り嬉しそうに笑ったかのように見えた。
それと同時に地獄の鬼のような形相で狂気を帯びながら
死へ引き摺られていく鼠の苦痛な表情と叫び声が脳裏を過ぎった。
僅かに動く度、散々猫の手であちらこちらに転がされた鼠は、
間も無くぴくりとも動かなくなった。
私がそーっとそれをティッシュで片付けようとすると、猫はすかさず、
「おっと、まだ危ないですよ」と言わんばかりにすばやく咥えた。
確かに鼠はまだ微かに息があった。
最後のトドメを刺すかのように飼猫は鼠に、これまで見ない力で噛み付いた。
私は、もうそこまでしなくてもいいだろうと見かねて、猫からそいつを奪おうとしても、
猫は益々顎の力を強め、放そうとはしてくれなかった。
結局猫が諦めるまで、私はその様子を傍観するしかなかった。
猫が戦利品に飽きてそのものを忘れた頃を見計らって、
(最早、飼い猫は食も贅沢になり鼠を食べなくなっていた)
私はそいつをティッシュで包みビニール袋に入れて処分した。
生憎、ペットでもないただの鼠にお墓を作るだのの習慣も思想もない田舎。
それは表面的な見方をすれば冷酷で無慈悲で、残虐でもある。
しかし綺麗ごとの思いやりなど存在しない、実に現実的な、
生活に密着した命との向き合い方の当然の流れでもある。
猫の戦利品として一生の最後を終えた鼠のその後は、
多分、最終的には庭先にある家庭用ごみ焼却炉の中だったと思う。
一見残酷なように思われることを日常の中で経験しながら、はっきりと、
護るべき対象が何か、傷付けてはいけない対象が何かを、
見極める判断力が潜在的に育まれていくのだと思う。
遊戯やストレス発散の為の標的に命を据えるなどという、
現代の心の歪みを象徴するような事件を知る度、
ヒトが成長していく上で不可欠と思われるこのようなプロセスが、
強制的に削られていく環境が腹立たしいと思う。
このような世の中に生きなければならない現代人、
特に何も知らない思春期の子供が、彼ら自身理解できないままで、
コントロールする術も持たず犠牲になっている。
便利化合理化と引き換えに大切なモノが削除されているようで、
失ってはいけないモノが欠如しているようで…。
そんな危機感を抱いているのは私だけだろうか。
そんな世の中を悲しいと感じるのは私だけだろうか。
昔の思い出を書きながら、現代人の、命との付き合い方の不器用さを感じた。
命を命とも思わない残虐な行動、かと思えば無暗に溺愛したり毛嫌いしたりと、
自分以外の命あるものとの距離の取り方、受け容れ方の何と下手なことか。
やはり大事なプロセスが抜け落ちているせいのような気がしてならない。
終
ず~っと書きかけのままホッタラカシだった思い出の物語。
やっと完成、お披露目出来ました。
(さぼっていた訳ではないが、なかなか手が回らず…特に絵が…)
思い出の物語として子供の頃のちょっと楽しいエピソードを
カテゴリー『26.勿忘草』に公開しています。
これはそのシリーズの番外編です。宜しければ他のエピソードもどうぞ。
まだ暫く思うように更新できそうにありませんが、
時々写真だけポツンとアップするかもしれません。
ストレス解消の心象画や落書きをアップするかもしれません。
どうぞ気になさらずに皆様のペースで気軽に楽しんで頂ければと思います。
では、またまた、暫しお別れです。
夏風邪、豚風邪お気をつけて。
冷たい食べ物やクーラーでお腹をこわさないようにね。