元々音楽は好きだー!
(当たり前か…そうそう嫌いな人はいないよね。)
近頃ヴィジュアル系音楽というものにちょいちょい接点があって、
ブログ村の【音楽】(サブカテゴリー:ロック、ヴィジュアル系)に登録した。
私も実はちょっとだけライブ活動してた時期がある。(言っちゃったよ)
今回そんな系列の音楽ジャンルのブログを覘いているうちに、
ふと、忘れていたあの頃の気概を思い出した。
と、同時に、あの頃の自分も含み、
今音楽に大なり小なり関わっている人達を客観的に見た時、
(というか、見ようと思わなくても、今そういう側にいるから、
自然とワンクッション置いた見方になってしまうんだけれども…)
理想と現実のギャップの中で、音楽そのものの意味や、
自分達人間にとっての音楽の在り方というものが、
その情熱の勢いの裏側に掻き消されながら、
じつはしっかりと存在しているように思えてきた。
今更と言えば今更なんだけど、日常生活の中で想像以上に、
音楽は人間の深層に大きく作用する力を持っていて、
私は否応なしにそれを実感させられる現実に遭遇している。
そんな中で、どうして今まで気付かなかったんだろうと、
改めて感じたことがある。それは…
心が未熟であればあるほど
受ける音楽の影響は大きい
ということ。
つまり音楽には人間の生き方や人生をも左右するほどの力があって、
プラスに作用すればいいけれど、残念なことにマイナスにも作用する。
世の中に生れ落ちて社会や人間関係に染まる年数が浅い未熟な心は、
その心が未熟であればあるほど真意を読み取る能力に欠け、
善悪の判断力は鈍り易く、小さなことにも影響されやすい。
自己満足な欲望を誇示した退廃的な音の洪水に晒されると、
その奇抜さや激しさに眼を眩まされ洗脳される。
そして未来を大きく狂わされてしまう場合もある。
洗脳された状態も個性だと言われればそう受け取るしかない。
大きく括ればそれが地球上の人間と言う生き物の細かな個性であり、
千差万別の多様性というものだと言われてしまえば、
私もその中の「一」人間で、人の生き方をあれこれ言える権利はない。
しかしながら、地球上の生き物を見渡したところ、
命の尊厳を思考し認識できるのは人間だけのように思う。
もしそれが人間だけに与えられた能力なら、そのことに於いては、
人間は万物の中から選ばれた生き物だということになる。
『命の尊厳』は言うなれば『生きる』 条件の最重要項目に匹敵するのだ。
命の尊厳を否定したり歪めたり抹消したりする思想を、
あくまで唯の「思想」として自分自身の中で愉しみ、
アクセサリーのように携える程度に収めるなら問題ないし自由だろう。
が、その思想の矛先に人間を据え強要したり、
洗脳によって一人間の生き方や人生を歪めることは、
音楽の含み持つ無限の力を知るなら、到底あっていいこととは思えない。
ついこの前テレビで『デトロイトメタルシティー』が放送された。
それを観ていて、とてもほっとした気持ちになった。
ほら、クラウザーさん(デスメタルバンドのヴォーカル)が、
自分の音楽が与えてしまった歪んだ思想によって、
日常生活が退廃していく弟を更生させるシーンがあったが、
ああ在るべきが音楽の本来の在り方だと感心した。
こうでなくっちゃ、ってね。
音楽が好きなら音楽の価値を貶(おとし)めたらいけないんじゃないか?
音楽は死ぬための力や切欠になってはいけないんじゃないか?
音楽は生きるための力や切欠を生み、
そこにはどんな形であれ希望が存在しなければいけないんじゃないか?
音楽が好きなら、音楽に携わる人達はそういう想いを蔑ろにしないでほしい。
少しでも音楽に関わったことがある人なら、本当に音楽を愛しているなら、
音楽を、人間を堕落させる道具にしたくはないんじゃないのかなあ。
音楽が凶器に変わると『映画アマデウス』になっちゃうんだよね。
こういうことが綺麗ごとと一蹴されない世の中を、
あなたの心のこもった大切な音と言葉と音楽で創造ってほしい、
こんな殺伐とした世の中だからこそ切に願うichiiです。
げっ! また、長々と書いてしまった…
いつもご来訪頂きありがとうございます。
音楽を愛する全ての人に幸福を