ゆきだるま。
とうとう2007年もラスト一日となってしまいました。
超アナログ人間の私がパソコンをかまいだし、右も左も分からない状態で悪戦苦闘。「あ゛あ゛~~!わからん!!」などと奇声をはっしながら1週間以上かかって、やっとブログを開設。
それも、開設日を忘れてしまいそうな何の特徴も縁もゆかりもない11月4日(記、記念日として全く脳に留まってくれない(>_<))。あれから早、2ヶ月になろうとしている。
昨日ようやく、ず~っとつまずいていた写真のUPの仕方の問題が解決したばかりで、ブログ冒頭挨拶の通り、いつまでたっても工事中ぶろぐです。
なのに、思った以上に沢山の人が閲覧&訪問して下さり、心優しいコメントまで下さり、すてきな繋がりができて、とても嬉しい一年になりました。
今日、明日は全国的に雪になりそうな寒い日になるということで、急いで描いた今年最後の一枚がこんな感じになってしまいました。
元気な子供たちに負けないように、前向きに雪の景色を楽しもうと自分を諭しているのかもしれないです。あ、そうそう、ブログ用年賀状も描きました。元旦にアップします、お楽しみに。来年もどうぞよろしくおねがいします。
巷では胃腸風邪がインフルエンザより猛威を振るっているようです。
皆様、お体に気をつけてよいお年を。
3×90で、270ぴき~!
只今、90枚の年賀状とリアルに手書きで応戦中!
え?まだ今頃書いてるの?とあきれ声の幻聴が~~~……。
PCがあってプリンターがあるのに、その行動モードに入るのが面倒で、結局そばにある筆と絵の具に手が伸びてしまい、取り掛かってから、自分を叱咤激励、臥薪嘗胆、悪戦苦闘……………毎年の暮れの行事みたいなものです。
(場所の都合で並べてあるのは45枚です。)
猫、書きかけの年賀状をならべると、なぜか傍らでその様子をじっとみています。
絵を描いてたり、何かを作ってたりする時も、悪戯することもなくおとなしくじーっと見てたりします。
銀ちゃんは、人が作業しているのを見るのが好きなんです。
(前世は職人の家の猫だったか?)
と、いうことで
明日中には仕上げねばやばい!
めちゃ、焦っているichiiさんでした。
ペトリのカメラって知ってますか?
多分もう使えないと思うけど、手放せないペトリのカメラ。
生まれた故郷でまだ暮らしてた頃のはなし。
当時、家にはカメラがなかったので、父が世の流れに合わせて購入した我が家初のカメラが、ペトリのカメラだった。
田舎町の小さなカメラ屋には機種も限られていたが、それでももう既にコンパクトカメラなるものも定着し始めた頃で、大抵どこの家でもカメラ一台くらいはあったようだ。それを考えると、我が家ではよっぽど写真に興味がなかったか、撮る必要に迫られなかったか…。このカメラが家にやって来るまでは、当然自家撮りの写真はなくて、全部人が撮ってくれた写真ばかりだった。
いよいよ我が家にも必要な時が訪れたのか、父はカメラ屋を訪れた。
父は店の主人に「値段は問わないから、一番いいやつで、一番簡単なやつをくれ。」
と言った。そして出されたのがこのペトリのカメラ。値段は当時で3万とか4万とか聞いたけど覚えていない。父は相当見栄っ張りなところがあり、職人ゆえかプライドの高い人で、あの時店主にああ言う風に聞いてなかったら、このカメラとの出会いはなかったと思う。きっと世間の流行に乗って、我が家もコンパクトカメラに納まったと思う。
察するにカメラ屋の店主もペトリのカメラを気に 入っていたのかもしれない。だってカメラ屋やるくらいだもん。このカメラを薦めるのは今しかないと思ったのかもしれない。
そうして我が家へやって来たカメラではあるが、殆ど家人には使われなかった。
私が就学旅行に持ち出してからだろうか?使うようになったのは。もちろん写真部と写真担当の教師くらいしか、こんなものは持ち歩いていない。友人はみんなコンパクトカメラだった。私はそんな中で、重かったがこのカメラを頑張って使った。自動露出にしていたが味のある面白い写真が沢山撮れた記憶がある。
修学旅行の後は水を得たが如く、景色や動物、ひと、植物、田舎だから被写体は豊富である。様々なものを下手は下手なりに撮りまくった。当時、美術部所属だった私は、油絵用の被写体や景色をストックするのにもよく活用していた。
つまりほぼ、というより、完全マイカメラ状態になったわけだ。
今の土地に来てからも、このカメラはフル活用だった。
随分年月が過ぎ、ある時ちょっとした不注意で、芝生のところではあったがこのカメラを落としてしまった。
それから微妙にピントがぶれるようになり、手動にしても、なんともピントが気持ち悪くなった。仕方なく、修理してもらおうと行きつけのカメラ屋に持っていった。
でもそこで言われたことは私が全く予想していなかったことだった。
店主、カメラを見るなり曰く。
「うわぁ~、ペトリのカメラじゃないか。懐かしいねぇ。まだあったんだぁ。」
カメラの具合を説明すると、メーカー自体が無く、部品が手に入るか分からないとのこと。
中を開いて見て、プラスチック部分の劣化が大分進んでいて、修理自体がもう難しいとのこと。
もう一つおまけに言ったこと、「このカメラ譲ってくれないか?」
もちろん返事はノーだが、出来る限りのメンテナンスをして貰い、「随分大事に使われたみたいだけど、これが精一杯だねぇ。これ以上は直らないねぇ。」とダメ押しされて帰った。
普通に直って、又ベストの状態で使えると思っていただけにショックだった。
結局あれ以来、やはりピントの方は思わしくなく…。
止む無く別のカメラ(コンパクトカメラ)に替え、ペトリのカメラはカメラバックの中で静かに眠ることとなった。
実は、『EOS KISS』があるがどうも使う気にならない。触っては見たけど、何か手にしっくりこないんだなぁ。
マニアの間で古いカメラといえば『ライカ』と聞くが、『ペトリ』という名は出てこない。『キャノン』、『ミノルタ』、『ペンタックス』と、カメラに精通しているような人でも、よく知らない『ペトリ』のカメラ。
そんなにしょうもないカメラなのかなぁ、私は大好きだけど…、最近ブログのために写真を撮るようになってふとそんなことを思い出し、カメラを引っ張り出してみた次第です。
久々に触ったら、金属のずっしりした重さ(でも、ごつくない)、フイルム巻き上げる感じ、そしてシャッター音と感触が何とも言えませんでした。
ペトリさ~ん、お願いで~す!もう一回
カメラ造って~!(同じやつがイイ!)