≪輪旅 柳生の里から奈良の都へ!≫
太平記の舞台ともなった笠置山の麓にあるJR関西線・笠置駅よりスタートする。昭和の時代がそのまま残ったような町中を過ぎ、柳生の里へ続く県道4号をゆっくりと上がって行く。時間は10時近いが、狭い谷筋を行く道にはまだ日が差さない。
道を上り詰めたところが柳生の里であった。高原状の山間に開けた長閑な田舎風景で、とても剣豪の里というイメージは感じさせない。先ずは柳生一族の菩提寺となる芳徳禅寺へと向かう。石畳の急坂に自転車を押して上がる。
池を配した庭を抜けると本堂へと至る。高台となるこの場所から見下ろす柳生の里は日本の現風景というに相応しい。
次ぎに訪れのは柳生藩家老屋敷。かつて作家の山岡荘八が所有し、「春の坂道」の構想を練った場所だそうだ。その屋敷の立派な石垣に感動した。
国道369号をひた走り、円成寺を目指す。長閑な田舎風景が続く静かな道を走っていると、猪の皮が竿に天日干しされているのに出くわした。
途中、寄り道を予定していた夜支布(やぎゅう)山口神社は見付けることができなかった。
円成寺、その浄土庭園や多宝塔は素晴らしいものとのことであったが、時間の都合でパスする。
その先より、東海自然歩道を行くMTB組みと分かれる。かつての柳生街道は自然歩道となり、柳生石舟斎、宗矩、十兵衛や、宮本武蔵、荒木又右衛門などが奈良の町へと足繁く通った道であろう。その先の石切峠にある峠茶屋は、今も草餅などを商っているそうだが、生憎、今の時期は店を閉めていた。
峠より先は滝坂道といい、沢沿いに付けられた急峻な石畳の道となる。そこには首切り地蔵や朝日観音、夕日観音 、寝仏などが奉られているとのことだが生憎と見ていない。
今回は春日山の原生林の中を行く林道を駆け降りた。とても静かで、古都・奈良のもう一つの面に触れた気分であった。
降り立ったところが奈良公園の一部となる春日大社。遅い昼食を済ませて、東大寺を訪れた。運慶、快慶作の仁王像を安置する南大門。世界最大となる木造建築の大仏殿。そして現存する世界最大の金銅仏。これはもう人類の財産といえる壮大なものではないかと思えた。
帰路は県道44号にて加茂、笠置へと取る。後で気が付いたのであるが、この加茂という場所は、奈良時代に聖武天皇が首都とした恭仁(くに)京があった場所で、その跡地が後の山城(山背)国・国分寺となったそうである。今でも薬師堂や七重塔の礎石が残っているという。是非とも次回は訪れてみたい。
大和青垣国定公園の一部を走った今回のプランは盛り沢山であった。観光地としての派手なイメージの奈良ではあるが、一歩、山間地に入れば素適な風景が多く残り、自転車でノンビリと走るには持って来いの場所であるというのが印象である。ちなみに青垣とは、大和の周辺、特に東部の山々を青垣山と呼ぶところからだそうだ。
太平記の舞台ともなった笠置山の麓にあるJR関西線・笠置駅よりスタートする。昭和の時代がそのまま残ったような町中を過ぎ、柳生の里へ続く県道4号をゆっくりと上がって行く。時間は10時近いが、狭い谷筋を行く道にはまだ日が差さない。
道を上り詰めたところが柳生の里であった。高原状の山間に開けた長閑な田舎風景で、とても剣豪の里というイメージは感じさせない。先ずは柳生一族の菩提寺となる芳徳禅寺へと向かう。石畳の急坂に自転車を押して上がる。
池を配した庭を抜けると本堂へと至る。高台となるこの場所から見下ろす柳生の里は日本の現風景というに相応しい。
次ぎに訪れのは柳生藩家老屋敷。かつて作家の山岡荘八が所有し、「春の坂道」の構想を練った場所だそうだ。その屋敷の立派な石垣に感動した。
国道369号をひた走り、円成寺を目指す。長閑な田舎風景が続く静かな道を走っていると、猪の皮が竿に天日干しされているのに出くわした。
途中、寄り道を予定していた夜支布(やぎゅう)山口神社は見付けることができなかった。
円成寺、その浄土庭園や多宝塔は素晴らしいものとのことであったが、時間の都合でパスする。
その先より、東海自然歩道を行くMTB組みと分かれる。かつての柳生街道は自然歩道となり、柳生石舟斎、宗矩、十兵衛や、宮本武蔵、荒木又右衛門などが奈良の町へと足繁く通った道であろう。その先の石切峠にある峠茶屋は、今も草餅などを商っているそうだが、生憎、今の時期は店を閉めていた。
峠より先は滝坂道といい、沢沿いに付けられた急峻な石畳の道となる。そこには首切り地蔵や朝日観音、夕日観音 、寝仏などが奉られているとのことだが生憎と見ていない。
今回は春日山の原生林の中を行く林道を駆け降りた。とても静かで、古都・奈良のもう一つの面に触れた気分であった。
降り立ったところが奈良公園の一部となる春日大社。遅い昼食を済ませて、東大寺を訪れた。運慶、快慶作の仁王像を安置する南大門。世界最大となる木造建築の大仏殿。そして現存する世界最大の金銅仏。これはもう人類の財産といえる壮大なものではないかと思えた。
帰路は県道44号にて加茂、笠置へと取る。後で気が付いたのであるが、この加茂という場所は、奈良時代に聖武天皇が首都とした恭仁(くに)京があった場所で、その跡地が後の山城(山背)国・国分寺となったそうである。今でも薬師堂や七重塔の礎石が残っているという。是非とも次回は訪れてみたい。
大和青垣国定公園の一部を走った今回のプランは盛り沢山であった。観光地としての派手なイメージの奈良ではあるが、一歩、山間地に入れば素適な風景が多く残り、自転車でノンビリと走るには持って来いの場所であるというのが印象である。ちなみに青垣とは、大和の周辺、特に東部の山々を青垣山と呼ぶところからだそうだ。
早速のレスに感謝です。
まあ、超ロウテク人間としましてはブログへの書き込みぐらいが表現手段ですので(笑)
例のクラブもようやく軌道に乗り、ようやく私の世界にドップリと浸かれるようになりました。
廃線跡を行く、歴史探訪(国府跡、国分寺跡、首都跡、城跡巡り、古戦場、戦国武将の軌跡を辿る、旧街道、祭り、文学の旅、峠道・・・)ネタは尽きませんよ!
エラーばかり出て、今のところ3枚しか焼けていません(泣)
やはりテキスト報告の方が賢明か?
いつもながら、素晴らしい文面に惚れ惚れします。