《輪旅 荒城郷から恵比寿峠へ》
春合宿の二日目、古川より荒城川を遡って森部、呂瀬へと向かいました。
ここも飛騨らしい風景が残る素敵なエリアです。飛騨牛の肥育をする牛舎を幾つも見ながら、のどかな田舎道をトロトロと走って行きます。
呂瀬、標高は7〜8百あるのでしょうか、かつてロッセスキー場があったところです。昔、民宿をやっていたというお婆さんとお話しをしました。こんな田舎でも若い人で賑わっていたと・・・
荒城郷から恵比寿峠(トンネル)を経て丹生川へ・・・エアパーク、この飛行場より飛騨の高原野菜を都会へ!コストは大丈夫かしらん!?
高山市内へ・・・相変わらずの賑わい。高山ラーメンの「まさご」にて腹ごしらえを!そののち国府町経由で古川へ。飛騨は素敵・・・是非とも遊びにきてください。
(荒城川に沿って走る)
朝一、古川よりスタート・・・荒城川に沿って上流へ向かいます。国宝を抱えるという安国寺の下を通り、荒城神社で小休止。この辺りより、のどかな飛騨の風景が広がってきます。三之瀬より森部へ・・・山は新緑に・・・水田では田植の季節でした。
(飛騨の農村風景)
民家が途切れ、山間部に・・・まるっと山の中・・・緑と沢の美しさが嬉しい。かなり上がったところが呂瀬の集落・・・最奥の金山地区を含めても12軒ほどの集落だそうです。
(呂瀬 ロッセスキー場跡のロッジ)
平成16年にロッセスキーは閉鎖されたようです。今ではリフトの台座だけが残り、草の原となっていました。道の反対側には、当時のスキーロッジであったと思われる「清水山荘」という建物が残っていました。建物の横にはスキー立てが・・・
当時、民宿を開業していたというお婆さんとお話しを・・・ここは今でも2メートルの雪が積もる。市が除雪をしてくれるから心配は要らないが、もう年寄りしか住んでいない。スキー場があったころは、名古屋辺りからも若い人が泊まりに来てくれた。もう寂しいもんだよ・・・と!
(笠ヶ岳再興の祖 播隆上人も通ったとか)
新田次郎著「槍ヶ岳開山」に描かれる播隆・・・円空が開山したという笠ヶ岳を再興したのが播隆だそうだ。呂瀬より駒ヶ鼻峠を越え、現在の上宝より笠ヶ岳へ向かった道と記してありました。
(丹生川のエアパークにて)
折敷地へ・・・荒城川の上流となる木地谷渓谷にはダムが造られ、風景が変わっていました。恵比寿峠をトンネルで越え、大萱へ。もう一度坂を上って飛騨エアパークに・・・丹生川辺りで採れた高原野菜を軽飛行機で都会へ出荷・・・そんな構想で造られた飛行場だそうです。採算はクエスチョンのようでした・・・
(高山市内へ)
上野町の台地を通って三福寺町、高山市内へと入りました。桜山八幡宮の前をかすめ、一之町、三之町の古い街並みへ・・・忽然と観光客があふれ、都会のような雑踏に。この風景も飛騨の現実のようです。
高山ラーメンの「まさご」で腹ごしらえ・・・その後、宮川に沿って国府町、古川へと戻りました。
春合宿の二日目、古川より荒城川を遡って森部、呂瀬へと向かいました。
ここも飛騨らしい風景が残る素敵なエリアです。飛騨牛の肥育をする牛舎を幾つも見ながら、のどかな田舎道をトロトロと走って行きます。
呂瀬、標高は7〜8百あるのでしょうか、かつてロッセスキー場があったところです。昔、民宿をやっていたというお婆さんとお話しをしました。こんな田舎でも若い人で賑わっていたと・・・
荒城郷から恵比寿峠(トンネル)を経て丹生川へ・・・エアパーク、この飛行場より飛騨の高原野菜を都会へ!コストは大丈夫かしらん!?
高山市内へ・・・相変わらずの賑わい。高山ラーメンの「まさご」にて腹ごしらえを!そののち国府町経由で古川へ。飛騨は素敵・・・是非とも遊びにきてください。
(荒城川に沿って走る)
朝一、古川よりスタート・・・荒城川に沿って上流へ向かいます。国宝を抱えるという安国寺の下を通り、荒城神社で小休止。この辺りより、のどかな飛騨の風景が広がってきます。三之瀬より森部へ・・・山は新緑に・・・水田では田植の季節でした。
(飛騨の農村風景)
民家が途切れ、山間部に・・・まるっと山の中・・・緑と沢の美しさが嬉しい。かなり上がったところが呂瀬の集落・・・最奥の金山地区を含めても12軒ほどの集落だそうです。
(呂瀬 ロッセスキー場跡のロッジ)
平成16年にロッセスキーは閉鎖されたようです。今ではリフトの台座だけが残り、草の原となっていました。道の反対側には、当時のスキーロッジであったと思われる「清水山荘」という建物が残っていました。建物の横にはスキー立てが・・・
当時、民宿を開業していたというお婆さんとお話しを・・・ここは今でも2メートルの雪が積もる。市が除雪をしてくれるから心配は要らないが、もう年寄りしか住んでいない。スキー場があったころは、名古屋辺りからも若い人が泊まりに来てくれた。もう寂しいもんだよ・・・と!
(笠ヶ岳再興の祖 播隆上人も通ったとか)
新田次郎著「槍ヶ岳開山」に描かれる播隆・・・円空が開山したという笠ヶ岳を再興したのが播隆だそうだ。呂瀬より駒ヶ鼻峠を越え、現在の上宝より笠ヶ岳へ向かった道と記してありました。
(丹生川のエアパークにて)
折敷地へ・・・荒城川の上流となる木地谷渓谷にはダムが造られ、風景が変わっていました。恵比寿峠をトンネルで越え、大萱へ。もう一度坂を上って飛騨エアパークに・・・丹生川辺りで採れた高原野菜を軽飛行機で都会へ出荷・・・そんな構想で造られた飛行場だそうです。採算はクエスチョンのようでした・・・
(高山市内へ)
上野町の台地を通って三福寺町、高山市内へと入りました。桜山八幡宮の前をかすめ、一之町、三之町の古い街並みへ・・・忽然と観光客があふれ、都会のような雑踏に。この風景も飛騨の現実のようです。
高山ラーメンの「まさご」で腹ごしらえ・・・その後、宮川に沿って国府町、古川へと戻りました。