先日「マチネの終わりに」という映画を見た。
見終わって強く感じたのは「未来を変えるのは相手次第なのだろうか?」という事だった。
第三者の思わぬ意図に翻弄されて自分の未来が悪い方へと変わっていく。
その未来を変えるのもまた第三者の告白によってもたらされたもので、第三者が何も言わないままならその未来は変わる事はない。
それって自分ではどうする事もできないわけで、そんなのありだろうか?
自分の人生なのだから、自分で変えることは出来るはずではないか?
そう思ったら、ある結論に達した。
自分の中に揺らぐ事のない「信念」を持つこと。第三者が何を言っても動じない、自分の中での基準。
それがあれば自分主導で未来は変えていける。
見えない相手に対して、どう接して行くかで自分の未来は変わっていく。
見えないから不安になるし邪念も入ってくる。そういう時は、必ず周りに振り回されるんだ。
自分の未来が周りに左右されて、自分が望まぬ未来へと繋がってしまう。
それって第三者が決して悪い訳ではなくて、元を正せば自分で選んできた道の結果だと気付く。
映画の内容も同じだ。
彼女は今まで「会話」してた相手から突然思いもしない言葉(第三者のなりすまし)を目にしてショックで心を閉ざしてしまった。
そして相手を拒む事で、自分の未来を思わぬ方向へと繋げてしまった。
もし相手の目をちゃんと見て「本心」を聞くまでは、自分の中では変わらないという強い信念を持っていたら、第三者(邪念)が入り込むことが出来ない程の揺るぎない自分の中の柱、それがあったら自分の未来は自分で決めていくことができる。
彼の場合も同じだ。
尊敬する人の突然の急変に驚いて携帯をタクシーに忘れてしまった後、彼は信頼している第三者に携帯とその暗証番号を託した。
一刻も早く彼女に行けなくなった事情を知らせたかったのだろう。
だけどその時点で自分の未来を第三者に託した事になる。
これも決して第三者が悪いのではなく、自分が選んだ結果の未来だということ。
もし時間はかかっても自分の口から相手の顔を見て話せていたら、その未来はきっと違うものとなっていたかもしれない。
少なくとも「自分の人生の主導権は自分にある」という確信が持てたら、どんな未来へも自分の足で行ける事になる。
邪念は第三者がもたらすものではなくて、自分の中の不安が作り出しているものかもしれない。
ならば自分を信じること、それが自信を持つということになり、その自信を自分の中で大きくして大黒柱にする。
そうする事で自分の未来は自分で変えて行けるのかなと思った。