気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

同時進行

2013-06-30 13:12:43 | 日記

「今までずっと逃げてきたもの。
 自分では無理だと、挑戦すらせずに諦めていたモノ。」

最初に浮かんだのが「運転免許証」だった。

自信が無くて すぐに諦めていた代表格。
「私の性格からして、絶対無理」と決めつけ、挑戦すらせずに逃げてた。

別に無くても困らないし、運転したい訳でもない。
むしろ怖さが先に立って、絶対無理!
1つの方向しか見れない私には無理だと兄も言ってたし。。。
助手席の方が楽だなとずっと思ってた。

それから数十年、「今やらないでいつやる?」と、この年で無謀にも始めました。
教習所通いを。(;^_^A アセアセ・・・
若い子の中に「高」一点。(笑)

昨日は入校初日で、いきなり「教科」に「運転」もアリの
ハードスケジュールで頭が混乱状態だった。
私は「学科」が終わってから「技能」かなと悠長に思い込んでた。
私の悪い癖が出て、
「えー!?入校した日にもう運転するんですか?」と何度も尻込みしてたら
教官に言われた。
「運転する為に来てるんでしょ?」と。。。

同時進行なんですね。
予想外です!
初日から思惑が外れてパ二くってます。
余裕ない状態で1日をなんとか終え、
最後には「学科教本」を忘れてくるオマケつき。_| ̄|○ガクッ

何故か昨日は学校で、急に右の腹部がチクリとしていたんですね。
盲腸?
いつものように鈍い小さな痛みで、時々突っ張るような感じがするから
まぁ、また私が何か気付いてないのかなと放置してた。

今朝それが気になって「盲腸」と「虫垂」を調べたら、
なんとなく漠然と解ったような気がした。。。
盲腸 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B2%E8%85%B8
虫垂 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%AB%E5%9E%82

また分けて考えていたんだね。
「学科」と「技能」を。

私はある程度理解してから運転したかった。
その方が運転技術が早く身に付くと思ってたから。
その裏には「完全を求める自分の姿」があった。
自分がよく見られたいという欲がある。
失敗ばっかりするダメな自分は見られたくないという欲。
でもそれは「自分が見たくない」だけなんだ。
自分自身が、そんなダメな自分を認めたくないだけ。
ありのままの自分を受け止めなくちゃね…。

「解らなくても経験するうちに慣れて来るもの。」
それがこの自動車学校で一番に学ぶ「基本」だと思った。

「学科」と「技能」を分けて考えていたから、「学科教本」を忘れてきたんだ。
分けて考えちゃダメだよって。。。
最初に知識を頭に入れ込んで完璧を求めていたから
頭だけの知識よりも「実際自分で運転して感じる経験」が大事だと。。。
だけど経験だけでは辿り着くまでに相当な時間がかかるから、ある程度知識も必要で。。。
だから極端に両方を「分けて考えてはいけない」のかな。

同時進行の意味が理解出来たよ。
分けて考えていたから、「学科教本」を忘れるという「別れた事実」が現象として現れただけ。
それに気づくための「経験」だった。
なので分けて考えずに、同時進行でやろうと思います!

実は昨日、もう一つ大きな発見があった。
この年で無謀にも「MT車コース」を選んだのは
これまでがいつも逃げて楽したいと思う自分だったからこそ、
逆に自分を追い込んで楽とは逆の方を選んだというのもあったけど
「機械に任せるのではなくて、自分の手足を使って動かしたい」という気持ちもあった。

それで教官に言ったんだよね。
「AT車だと『アクセル』と『ブレーキ』を踏み間違えて
 突進して事故を起こす事がよくあるから
 機械任せにしないMT車コースにした」と。

すると初めての運転中で、やっちゃったんだよ、暴走を。
『アクセル』と『ブレーキ』を踏み間違えて…。
教官に言われた。
「AT車だから起るんじゃないよね。MT車でも起こる。」

そうか、「機械任せのせい」にしていた自分が恥ずかしくなった。
問題は自分の方にあるという事。
またまた、実感しました。

初日からたくさんの事を学んでいる。
ついて行けるかどうか解らないけど、取りあえずやってみよう。
結果よりも経験している瞬間が、とても大切だと思えるから。
  

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野菜ハンバーグ

2013-06-26 23:57:01 | 日記

今朝、過去の夢の覚書を読み直していた。

Iさん(男性)が出ていた。
肉をいつも食べていたような気がする。
それを見て何か言っていたが忘れた。

イビキのような音で目が覚めたが
「綺麗だね」というような声が一瞬聞こえた気がした。

+++++++++++++++++++++

その後に見た「MOCO'Sキッチン」では、野菜ハンバーグだった。
お肉ばかり食べてる兄と、たまには野菜も食べたいという妹。
そんな二人が満足できるレシピを教えてというリクエストで
作ったのが「野菜ハンバーグ」だった。

なんか夢と状況が似てるなと思った。( ̄Д ̄;;

どっちも極端に偏ってはいけないという事かな。
美味しそうだったので、実家でも「野菜ハンバーグ」にした。
冷蔵庫に父が買った「煮つけ用の魚」があったので、そちらも作った。
父はやっぱり「魚の煮つけ」が一番好きなようだ。
野菜ハンバーグよりも箸が進んでいた(笑)

今までは「煮つけ用の魚」が冷蔵庫にあっても
あまり作ったことが無いので避けてた。
自信がなかったのだ。

でも、昨日決めたんだ。
これまで自信がなくて避けていたものを、とにかくやろうと!
「避けてる」と感じたら、逃げずに挑戦しようと!

これも自分からは作ろうと思わない料理だったから
新しい事を経験出来て父に感謝だね。
作ってみると簡単だった。
いろいろと尻込みして逃げてた事、たくさんあるんだよね。

今までずっと逃げてきたもの。
自分では無理だと、挑戦すらせずに諦めていたモノ。
それをやろうかなと思ってる。

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見比べる

2013-06-24 15:57:36 | 日記

今日、冷蔵庫から「夏みかんを入れたガラスボウル」を出していたら床に落とした。
パリ―ンと大きな音をたてて、ものの見事に割れた。
砕けたガラスと一緒に夏みかんの実がごちゃ混ぜで床に散乱していた。
あまりにも見事に割れたから、「あーぁ、割れちゃったよ…」と笑うしかなかった。

何かあるんだろうね。
見なきゃいけない自分の何かを見せられているんだろうね。
でも取りあえず綺麗にしようと、塵取りと箒で片付け始めた。
ガラスは燃えないゴミで、夏蜜柑の実は燃えるゴミだから…と分けていたけど
凄く小さな欠片とか実がくっついてて、細かくは分別出来ない。
分けられないのだからショウガナイかなぁと思っていたら、ふと思った。

もともと分けられないモノだったものを、分けてしまったのだろうか。
なんで「燃えるゴミ、燃えないゴミ」と分けるんだろう?
昔はそんなのなかったのに。

ああ、そうか『いろんな事を分けて考えてた私』だから
これが起きたのかなって妙に納得した。
割る前にも「自分と他人を分けて考えていた」から。

燃えないゴミを新聞紙でくるんで、掃除機掛けて
燃えるゴミを纏めていたら、ミカンと一緒に紛れた小さなガラスの破片が
右の親指をチクリと刺した。
小さな破片だったので指は大丈夫だったけど
なんだか小さな子供の反抗に、親が感じる痛みみたいに思えた。
「気付かずに分けて考えてた私の想い」に、魂の親が悲しんで感じる痛みみたいな。。。

昨日は右の胸に時々痛みを感じた。
なんだろう?と思ったが、よくわからないので放置してた。
これ書いてたら、また小さな鈍い痛みが来たよ。(苦笑)
やっぱり「親の心の痛み」だったのかな。

「あなたは私であって、私ではない」から、
「でも、私はあなたで、あなたは私だった。」という所に来た。
結局、分けられない(分けるべきではない)ということかな。

素に戻れは「同じ」なんだと思う。
分けて考えていたのは、自分の方だったという事。
それを気付かずに繰り返していた。

今朝の夢でも似たような場面があった。


ふと自分の姿を見ると、裸で表を歩いていた。
別にそれでもいいと平気で外を歩いていたが、
段々と裸の自分と、服を着た周りの人を見比べているうちに、
自分だけ裸の姿が恥ずかしくなってきた。
なんでいつも自分だけ裸で外を歩いているのだろう。
今までも何回かこういう場面を夢で見ていて
その事を思い出して恥ずかしくなっていた。

セオさんが隣にいて「大丈夫?」と声を掛けた。
私は黒いコート(毛皮のコートみたいな感じ)を羽織っていて、
それで裸を隠せるから大丈夫と彼女に言っていた。
そして黒いコートで裸を隠して歩いていた。

(コートの下が裸だという事を、誰も気付かないだろう =
 自分で素を覆い隠していることに気付かない?)

常識では「裸で外を歩く」と逮捕されます。
迷惑なモノを見せたという理由で。。。
それは服を着ている人が圧倒的に多いから、裸が異質なんだろうね。
裸は恥ずかしいものだから(人に見せちゃいけないものだから)服を着なさい。
それが今の常識。

夢の中の私も「自分と周りの人」を見比べていた。
そして常識の枠から抜け出せないでいた。

常識って何だろうね。
気付かずに自分を縛っているモノに思えてくる。

よくよく考えたら、間違ってた。。。
「服を着ている人が圧倒的に多いから、裸が異質なんだろうね」という部分。
圧倒的多数が常識になっているのは確かだけど、
「裸で歩いている人が多ければ恥ずかしくない」という事ではなかった。
それでは根本的な部分で変わらない。
圧倒的多数の向きが動いただけだ。力が支配していることでは変わらない。
私はそちらに「ふらふらと流されて行った」だけだ。
多い方に居た方が楽だから。
圧倒的多数の中は「支配したい人」と「依存したい人」で成り立っているように思う。

「自分を持て」というのはこの部分で、
服を着ている人が圧倒的に多くても、自分は関心がないとそこから去って行ける心なんだと思った。
イジメのカースト制と似ている。
前にドラマで見ていたんだよね。
いじめられて「また2軍に戻ったね」と言われた時、
「勝手にすれば! 自分はそこには興味ないし」と、一人になることを選んでいた。
そういう事なんだね。

そうか、自分に自信がないから「裸が恥ずかしい」のか。。。
だからコートを着て隠そうとしたんだ。
それに気づくように夢で何度も似たような場面を見せられていたんだ。
周りは関係なく、自分の問題だったね。




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実感

2013-06-23 12:27:13 | 日記

そうか!

今まで「年を重ねてきた事」を、どこかで隠したい気持ちがあったけど
実は「若い世代が知らない事をリアルタイムで見ている。
経験して肌で感じて知っている。」という事なんだと気付いた。

それを当たり前の事と感じるか、素敵な事だと感じるか
感じ方の違いなんだね。。。

それはイニシエの記憶を覚えている事と似ている。
「年を重ねる」とは、なんて素晴らしいことだったんだ。
それだけたくさんの日々を経験して生きてきたという証なんだよね。

ボーとして生きて来たとしても、見聞きしてはいたんだよ。
ただ日々の忙しさに忘れていただけ。
気付かなかっただけ。
それを思い出させてくれて、ありがとう。

何でもかんでも「若さ」だけを求めてしまいがちだけど
今日、初めて「年を重ねた日々」が、自然で素敵な事だと実感した。

頭では理解していたけど、実感としてなかったから
どこかで隠したい気持ちがあったと思う。

実感て、やっぱり説得力があるね!

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ぶれるな

2013-06-21 14:00:32 | 日記

昨日、テレビで「仕事ハッケン伝」を見ていたら、私が直面していた問題を見せられた。

ゲストの黒沢さんが言ったんだよね。
「ああー…、私はこれまでずっと逃げていたなと恥ずかしい…」と。

私も同じ事を考えていた。
誰かに何かを言われると、すぐに諦めて方向を変える。
いつもその問題から「逃げよう」とする。
振り返ると本当に同じだった。

テレビの内容は、川村さんがパン屋の仕事を体験する話で
彼女が最初にぶつかった壁が、試作品のプレゼンだった。
技術がない分、アイデアで勝負しようと10種類のパンを考えた。
しかしどれも却下された。
「思いが伝わってこない」そんな感じだった。

それを現場で指導していた上司に話したら、アドバイスがあった。
「一つ決めたら、ぶれるな」という言葉。
「ダメだと言われたら、すぐにあきらめるの?」
昨日書いた「自分の中心、自分がない」という部分と同じだと感じた。
私が言いたかったことを、もっと具体化したような感じだった。

私も過去に、同じような設定で同じような選択をしたことがある。
高校三年の進路相談の時、最初に保育課を選択していた。
保母さんになりたいと思っていた訳ではなかったが、
人から「向いている」と言われて希望していた。
特になりたい職業が無かったから。

数日後に担任の先生に呼ばれた。
保育課は「バイエルン教則本」の試験があるけど大丈夫?と。
オルガンは習った事がないから自分には出来ないと思って即答した。
「では保育課はやめます」と。
すると先生に言われた。
「すぐに諦めるの?」

当時の私は、受験でオルガンを練習する時間もないのだから無理なのに
先生はなんでそんな事言うのだろう」と思っていた。
今の自分ができる事を選択して、消去法で替えただけなのにと。。。
でも、このシーンは今でも頭の隅に残っていた。
自分で気にはなっていたのだ。

これまでを振り返れば、いつも私は「今の自分が出来るモノ」を選んでいた。
この資格はないから無理だとか、これは年齢制限で無理だとか…。
直ぐに諦めて、今の自分に合うモノを手っ取り早く選んでいた。
だからアレもダメ、コレもダメと、自分は何も努力せずに、
やりたいものが見つからないと諦めていた。

同じ先生で、別の思い出もあった。
担任で化学の先生だったけど、理解度別に授業のクラス分けをしていたので
当時は違う先生に教えて貰っていた。
数学は好きなのに化学は苦手で、さっぱり解らなかった。
女子の間で「この先生はダメだ。解りにくい。」という話が持ち上がり、
先生に相談して、数人が担任のクラスへ変更を願い出た。
先生は困った顔をしていたが、ショウガナイと黙認して受け入れてくれた。

でも先生が変わっても、化学はさっぱり解らないままだった。

当時は解らなかったけど、今なら解る。
(化学ではなくて私の問題だと)
先生を変えても同じなんだよね。
私自身が化学を「解りたい」と思っていなかったから。
解ろうと向き合っていなかったから。
困ったことに、教える側の問題だと思っていた。(;^_^A アセアセ・・・
自分の方に問題があるなんて、これっぽっちも考えていなかった。
だから解らないままだったんだ。

それからも何度も似たような事を経験していたけど
やっと今、根本が間違っていたと気付いた。

「一つ決めたら、ぶれるな」この言葉が凄く心に沁みた。
「問題から逃げないで向き合え」って事だよね。

 

コメント (2)
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