最近、気になってた。
自分の周りの環境が、前とあまり変わってないように思えるけど
何か変わったのだろうか?
ふと昨日目にした風景を思い出した。
猫との接し方。
昔、猫と遭遇した思い出が二つある。
一つは子猫。
アパートの玄関に子猫が居て、足元にじゃれて凄くなついてきた。
私は昔から猫とは縁がなくて、接し方が解らず戸惑ったが
あまりにも可愛いので撫でて話しかけてた。
でも、家に入るからゴメンねとそのまま猫を玄関に置き去りにした。
決して猫を部屋に入れようとはしなかった。
もう一つの猫との思い出。
東京の公団の玄関を出たら、猫と遭遇した。
でもどう接していいか解らずに、じっとお見合いをして
そのまま動けずに固まっていた。
この二つの思い出を振り返って、自分の心の壁を感じた。
誰も自分の心に入れようとしない固い壁。
両親さえも、どこか距離を置いて接していた。
だけど、昨日接した猫との距離は違ってた。
姿が見えなくなっても追いかけたり、写真まで撮っていた。
その場から離れたり、固まって動けない自分の過去の姿と比べたら
はるかに変化している自分の姿があった。
心を受け入れているのかなと思ったら、両親、兄弟、親戚、愛する人、
すべてを受け入れてる自分の心の変化を感じられた。
これまでの日々は、決して「ずっと変わらない環境」ではなくて
少しづつ変化している日々の積み重ねであることに気付けた。
今朝見た夢の内容も、それと関係していた。
広い部屋を私が所有(買った?)していた。
広いけど古くて和風な感じの部屋。
従妹(最初は父方の従妹で、後で母方の従妹に思えてた)が来ていて
わりと長期で泊まるようなので、どの部屋を彼女の部屋にしようかなと考えていた。
部屋の壁がカーテンだった。
ヒラヒラと動いているカーテンで、その裏に廊下があり
その向こう側にトイレがあった。
トイレって戸入れでもあって、心の家の外壁なのかなと思えた。
猫のマーキングは、縄張りでもあるから
トイレの夢は、自分の家(心)に対しての固執なのかもしれない。
どうやら私の心の家は二重の壁があるけど、内側の壁はカーテンのように薄くなっている。
部屋(容量)も広くなっていた。
それは相手を受け入れる心の変化でもあって
それが従妹(父方と母方)にまで範囲を広げているともとれる。
目に見える周りの環境があまり変化していなくても
心の内側は確実に変化していて、それが外側へと大きく変化していく。
そんな風に感じられた。
そして、心と自分の行動は繋がって居て
何気ない日常でも、ちゃんと現れているのだなとおもった。