気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

正午

2016-01-24 14:13:47 | 日記

先日、テレビに出ていたテロップ文字の「正午」という字が気になり見てたら、
正午は「正しい午」と書くのかと思った。

午の刻は昼の12時を中心とする約2時間。
昼の12時を正午と言うのはこれが由来らしい。
wikiより

以前、夢で見てた「コグマはコウマ」という星座の解説の話。
その言葉が理解出来た。
そして、何故私がここへ引っ越してきたのかも解った。

午は時計の6で南。
ロクは鹿でもある。
馬と鹿で「馬鹿」。

狩りでアルカスは熊にされた母とは知らずに矢を向けた。
知らないという事は悲劇を生むけど、無知がいけないのだろうか?
それ以前に狩りをやめれば、悲劇は起らないのだけど
なかなか自分の中の「闘争心」は消えないよね。

前世を知らないからこそ、目の前の見知らぬ相手が過去世では縁者だったという事も解らない。
それは今世界中で起きている対立の構図にも当てはまるだろうし、
自分の目の前の相手にも言えることなのかもしれない。
もしかしたら対立も「自分と縁があるからこそ起きるもの」なのかもしれないね。
全然知らない相手なら躊躇わずに矢を向ける事も出来るかもしれないけど、
それが自分と関わりの深い相手だと知ったなら、出来なくなるもの。

だから「仲良くなる」ことは大きいんだな。
それには相手を知る事から始まるんだ。

無知っていうのは、知識ではなくて「相手」の事だったのかな。。。


 

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希望

2016-01-17 12:36:25 | 日記

私の周りで同姓同名という不思議が昔からあった。
それらに共通していたのは、結婚して同姓同名になる事。

母と叔母(父の弟の嫁さん)の名前が同姓同名(漢字も一緒)で、しかも母の紹介で叔母は叔父と結婚した。
元々は二人とも別の苗字だったのに、嫁いだために同姓同名となった。

私の友人に苗字は違うけど私と同じ名前の人がいて、昔アパートを二人でシェアしてた時
上京した父が彼女を気に入って兄の嫁さんにしたいと言ってた。
でも二人は会った事もないし無理だよと笑って終わったが、
昔だったらこんな感じで顔も知らない同士、親が見初めて結婚というのも多かったのかもしれない。
もし彼女が兄と結婚していたら、私と彼女は同姓同名になっていた。
母のケースと似ている。

そして、もう一つ。
東京からこちらへ引っ越しを決意した頃、同じ公団に同姓同名の人が住んでいる事を知った。
10年近くそこに住んでいたがそれまでずっと知らなくて、引っ越そうと思ったら知った。
私の郵便受けに間違ってその人の手紙が入ってて、
初めて同じ建物内に同姓同名の人が居た事を知ったのだけど
相手は結婚して苗字が変わった(同姓同名になった)ような感じだった。

身近な所での同姓同名と言う三つのケースがずっと不思議だったけど、流れという点で共通するものがあった。
結果的に祖父の苗字の継承は叔父の流れに繋がっているということ。
まるで名前がエネルギーを持っていて生き延びたがっているような、
結婚する事でそれが成立しているような、そんな感じを受けた。

もし母が何か後世で有名になったとして、後で調べたら叔父の嫁としての記録が残っていた為に
母と叔母が成り代わってしまうような、母が生きていたことが消えてしまうような錯覚を覚えた。
私でも同じような事が言えるかな。
歴史上の記録も、もしかしたら似たような状況があったのかもしれない。

何故そういう事が起きるのだろう?
自分の事を振り返って考えてみた。
あの頃、なぜ引っ越しを決意したのかというと
いろんな理由があってそうなったのだけど、本意はある事を諦めたからだ。
あの時希望を捨ててしまったとも言える。
だから名前が別の新しい行き先を欲しがったのかな?
それで引っ越しと同時に、別人の同姓同名を知ったのかもしれない。
生命体ではないのに名前も生きているのだろうか?

もしかしたら、名前は「魂」の一部なのかもしれない。
だから希望を失った時点で、別の方へと魂の一部が生まれて
そっちの流れを求めてしまうのだろうか?
まるで樹木の枝葉のように。
テレビでナスの花を剪定している場面を見たが、同じような事なのかなと思った。
片方に栄養を与える為に、片方の生育が遅い花を切る。
そうしないと大きく育たないかららしい。
両方に栄養を与えながら、別の方法でどちらも大きく育つ方法はないのだろうか?

別の話だけど、みかん畑で実が少ししか成らない木を放っておいたら、
突然変異で同じ木に新種のミカンが出来たという話をテレビで見たことがある。
調べたら、「温州みかん」がそうらしい。
みかんのタネは中国から伝わったが、
「温州みかん」は日本原産で、その突然変異から生まれたものらしい。
さらに「温州みかん」から「早生みかん」が突然変異で出来たらしい。
テレビで見たミカンが「早生みかん」だった。

実がたくさんならずに困っていて、そのまま放っておいたら
ある日同じ枝に突然変異の甘いみかんも出来てて、収穫量が増えて安定しだしたらしい。
片方を切るのではなくて両方を生かすやりかたも多分あると思う。
それはみかんの木次第なのだけど、土とか肥料とかも関係するのだろうな。
いろいろな試みをやって突然出来てしまうものなのかもしれない。
たくさん経験した上での化学反応みたいな?

何故こんな事を考えるのかというと、一方が消えて行く運命はどうしようもないように見えるけど
本当は自分で鍵を握っていて、自分次第でその流れも変える事が出来るのではないかと思えたからだ。
温州みかんの早生みかんみたいに。

私の過去世に関することで、ある人物の名前を教えて貰った事がある。
魂の流れと関係していると思うが、その人がまだ生きている時に私は生まれたので
その人の生まれ変わりではないだろうなと思った。
でもその人と共通する因縁はたくさんあった。
不思議なくらい似ていた。

もしかしたら、その人が希望を失った時点で私が生まれたのかもしれない。
そう考えたら納得がいった。
魂は命を繋ぐということ。
個人同士ではまったく繋がりがないように思えるけど、魂の流れ的には同じ系列から生まれているとか。
こっちが希望を捨てたから仕方ないなぁ、あっちで魂を繋ぐか?みたいな。
それが命の誕生と大きく関係しているのかもしれない。

ならば生きているうちに自分で失くした希望を取り戻せばいいのではないか?
また新しく自分の中に生まれるものがあるという事だから
両方を生かすという事に繋がってくる。

希望は命そのものなのかもしれない。
希望は絶対に失くしてはいけないもの。
それを自分の中で気付けたら、突然変異が新しく生まれるのかもしれないね。
もしかしたらそのまま放っておいたみかん畑も
本当は希望を捨てていなかったのかもね。^^

 

 

 

 

 

 

 

 

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縦列駐車

2016-01-09 13:24:36 | 日記

職場の駐車場で停車位置が数回変わったが、段々と難易度が上がっている。
今回指定された場所は、コの逆の字(下向き)の場所。
いわゆる縦列駐車だ。
しかも前方は歩道と国道なので十分なスペースがなく、その上に前輪の左タイヤの近くに穴と鉄格子がある。
スペースがない状態で穴を避けて、後ろの車にぶつけないように駐車する。
運転歴が浅い私には、凄く難しい。( ̄Д ̄;;

前輪が穴に落ちないように蛇行しながら停めたら、前だけが凄く右寄りになってしまった。
それを修正すのに「降りて角度を見ながら何度もハンドルを切り直して」を繰り返して
やっとなんとか収まる。

これは私の課題でもあった。
実家の車庫入れもイメージしたのとだいぶ違って左に寄り過ぎて停まる事が多くて
ハンドルを思いっきり切りながら曲がるというのがイマイチ苦手だった。
カーブの感覚がまだ自分のものとして掴めていない。
右は見えるからなんとかなるけど、左は運転席から見えないので余計に難しい。

車のタイヤと自分の頭の感覚がまだ一致しない。
そうか、ハンドルは車の頭でタイヤが足元だから
頭と足元がバラバラだという事なんだなと思った。

車の事、あんまりよく解ってなかったけど
タイヤは前輪しか曲がらなくて、後輪は真っ直ぐなんだ。
方向転換は前しか出来ない。
最初動かしたとき穴に落ちたのも後ろではなくて前のタイヤだった。
タイヤがどの辺にあるかを意識して運転すると、感覚は掴めてくるのかな?
足元を意識してハンドル(道の選択)を持つって事か!

確かに私が今見つめなきゃいけない事が、現実問題として起こるね。(笑)
だからこの縦列駐車がうまくなったら、この課題もクリアーと言うことなんだと思える。

実は昨日、テレビでたまたま見たシーンが車と関係していた。
ひき逃げを起こした女性が捕まったのだけど
その車の左ヘッドライト部分が衝撃で破損していて
音と破損で普通なら事故の事態を呑みこめるのだけど
その女性は辛い現実を受け入れることが出来なかったのだろうね。
その結果、見えない、聞こえないが起きて、自分は知らないという状況になったのだと思う。
確かめればハッキリするのに、怖くて確かめられずに逃げたのだと思うよ。
見たくないものに蓋をした。
それが聞こえない、見えないという現象を起こす。

次に見たのは、パチンコ屋でのカード置き引き盗難場面。
人のカードを盗んで使うのも問題あるけど、その原因を作ったのは置き忘れた自分なんだよね。
原因は自分の方にもあって、その結果事が起こっているんだなーと思った。

二つのシーンは、設定を変えて私の現実にもあって
今の「逃れたい現実(見たくない現実)」がいつまで続くのだろう…とたまに考える事がある。
そうか! 
私の見たくない(実家)問題が、テレビの彼女の事故と同じなの!?
無意識で実家問題に蓋をして見ないようにしているのかな?
その原因は私が過去に選択したことで起った現実で、自分が決めた事の結果なんだよね。
だからいろんな人と関わって今の状況になっているということ。
災難も過酷な運命も、まるで自分とは関係ないのに何故起るの?と普通思うけど
実は自分にも多少の原因があって関わっているという事なんだと思う。

過去にやったことは消えない(変わらない)けど
これからの自分の未来で、いくらでもやり直すことは出来る。
それが自分が作る新しい未来なんだ。
何もしないと何も変わらない。
それだけは解っている。
自分で動かないと、自分の周りは変わらないという事なんだよね。

そして「目の前の現実を受け入れる」ということが大きいなと思った。
それは過去の事も全部受け入れるという事なのかもしれないね。
過去は過去として、起った原因を自分で知る事で
同じ状況を作らない様に変えていく事は出来るし
起った事にそれぞれ関わった人たちの原因があるのなら、
それはそれとして理由があって必然なんだ。

だからこそ、そこを通っての未来がある。
逆に言えば、そこを通らないと見えてこない未来なのかも。

だから「過去も、今も、すべてを受け入れる」ことに繋がるのかな。。。

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聞く

2016-01-04 09:27:16 | 日記

今朝、職場に行ったら閉まってた!?
あれ?まだ早い?
時間が変更になったのかな?
暫く待っても誰も来なかったので電話してみたら
仕事始めは明日からだって・・・_l ̄l○

年末に、私を指導している女性に聞いたんだよね。
「仕事始めは1/4からですか?」って。
「そうです」って言われたから、てっきり今日からだと思ってた。
月曜だしね。
いつも例年通りとは限らないんだね。

大晦日の日はおせちの盛り付けで午前三時からの出勤だったので
帰りは疲れはてて、挨拶もそこそこに帰ってしまった。
あの時、残って何か聞いていたような気もするな。。。

昨日の記事でも、休みはあと二日?って書いてたね。
そこで気付いてたら、連絡ミスは減っていたのか。。。
私の思い込み、激しいからね~ (;^_^A アセアセ・・・

去年からだけど「私だけ聞いてない」というケースが多くて
連絡事項が抜けているのを感じてた。

「自分から直接社長に確認する」

これが今年最初のクリアーすべき課題だと思った!
これも「見る、聞く、言う」と関係してるね。

今年の仕事始めは、「直接電話して聞く」ことからだった。(;^_^A ・・・

  

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カレンダー

2016-01-03 11:08:24 | 日記

昨日、居間の新しい壁掛けカレンダーを見ていたら
曜日と日付が合っていない事に気付いた。

えっと。。。
今日は2日で金曜日となっているけど、正月休みがあと2日もある?
そんなはずはないぞ!
今年は4日から仕事始めのはずだけど!?
ん?
2015年!!? ; ̄ロ ̄)!!
なんと今年のカレンダーだと思って買ったのは、前年のやつだった。_l ̄l○

去年の10月頃、2016年のスケジュール手帳が出ていて
それを買った後に、別の100均で壁掛けタイプも買った。
この時期に店に出ているのは来年のモノだと勝手に決めつけて、よく確かめもせずに買っていた。
しかもその時2冊買っていて、そっちも2015年のものだった。_| ̄|○ガクッ

売る方も売る方だけど、買う方も買う方だ。苦笑

さっそく「去年の見ざる」が出て来たぞ!
でも新年の2日目で気付けたから、良かったじゃん!(笑)
去年出来なかった事が、今年は出来たって事だし。
仕事しているからこそ気付けたというのもあるね。。。

今年のカレンダーの予備は、もう一つあって
12月に車の窓の汚れが気になって洗車した時に貰ったもの。
飾るスペースがなくて、そのままにしてたけど
結局これを飾れってことだな。。。

いつも洗車は手洗いだけど、冬場は濡れると寒いから機械式の500円でやってて
晴れた日の油膜が気になっていたので、その時は1000円のなんとかコーテイングというのにした。
すると見え方がちょっとクリアーに感じられたんだ。
その時貰ったカレンダーだから、やっぱり「見ざる」と関係あったね。(;^_^A アセアセ・・・

そのカレンダーがこちらです!
 

実は、このカレンダーを使おうとしたら見当たらなくて消えてた。
あれー!?ここに置いてたのに。。。
後ろに出来てた隙間を見て思った。
もしかしてここから下に落ちた?
そう思って下を捜したら、ありました。
はい、落ちてました。

いつ落ちたんだろー?
私がもう一つのカレンダー(2015年だったやつ)を確認しに行った時に
それを落としたのかもしれない。

実は別の部屋に居た時に「音」がした事があって
今のは何?と思ったけど、別に確かめもしなかった。
あの時の音が、落ちた瞬間の「音」だったのかもしれない。

「聞かざる」も出ましたね。。。(;^_^A
勝手に落ちたのではなくて、原因は自分にあって私が落としたのでしょう。

今年初めての「見る、聞く、言う」の
カレンダーです。

下に落ちて日の目を見る事がなかったカレンダーが
やっと、表舞台に出てきました!^^



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