気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

心と身体

2023-04-30 11:48:04 | 日記
食品添加物が身体に良くないという動画を見た。
なぜ良くないかというと、それらを作るのに塩酸とかが使われているから。
安価で大量に作るのに適した方法なのだろう。
身体の事を考えると、できればそう言うものは避けた方がいいと思う。
だけど私の友人はそう言うものを好んで買ってる。
彼女は料理が嫌いで、手軽に調理できる方がストレスが少ないからだとか。
なるほど。
作ったものを食べる時に、テンションの上がった方が美味しく感じられる。
嫌々面倒な作り方で調理して作ったものと、手軽に美味しいと思って作る方では彼女にとっては後者の方が心は喜んでいるのだろう。

心と身体の関係。
何となく解るけど、具体的なイメージが現実世界にないかなーと思っていた。
ある動画を見て「これと同じかも」と思えるのがあった。

いろんな国の人が日本に旅行に来て、食事や環境をとても満喫している動画。
中でもある中国人の話がとても興味深かった。
その男性は中国で反日教育を受けていたので、あまり日本に対して良いイメージがなかった。
しかし仕事で訪れることになった。
来日して驚いた事。
それは日本がとても綺麗で道路にゴミが落ちていないこと。
人が親切で物腰が柔らかいこと。
気づけば日本では自分もそう言う風に変わっていたと。

これと同じことが身体の中でも言えるのではないかなと思った。
身体の中が平和で綺麗で穏やかな環境なら、外部から来た異質なものもそれに溶け込んでいくのかも知れない。
外部の異質なものが「心地よい」と感じる環境が大事なのかも知れない。
それは心の問題とリンクしている。
心の状態が身体の中の細胞とかの意識と同じになっている。
だから友人も心地よいと思える方が幸せを感じるから美味しくなるのだと思う。
どっちを選ぶかだったら、自分の好きな方を選ぶ。
心が喜ぶ方を選ぶ。
それが身体にとっても良い結果となるのだ。

何を選ぶか。
選ぶものに善悪はなく、自分の心に大きなヒントがあるのだろう。
自分の心が楽しくなれるか?
それが選択の基準なのかなと納得できた。
そうだな。
身体に良いからとオーガニックの無添加製品を選んで平和に暮らしていても、心が楽しいと感じる事が少なかったらどうだろうか?
身体が喜んでいると思って、せっせと選んでも、果たして心は喜んでいるだろうか?

先日寝ている時にずっと同じ姿勢で横になって寝ていて苦しくて夜中に目が覚めた。
歯や歯茎が物凄く乾いていて血流が滞っている感じ。
唾液が全然出てない状態で物凄く身体も重くて偏りを感じた。
顎やエラの下のツボを押したり、足首を起こしたり、身体をさすって血の流れを良くしたら、その後はぐっすり眠れた。
口の中が潤ってないなと感じた。
心が潤ってないから身体もそうなっていたのかも知れない。

意識が自分の現実を作っている。
私はなぜこの現実を作ったの?と考えたら、潤ってないよと気づく為だったように思えた。
無添加製品ばかり気になって選んで生活していても、心が潤ってなかったら身体も潤うはずがないのだ。
逆だよ!心が先で身体はそれに応えるんだよ!
そんなふうに身体が言っているように感じた。

それも紆余曲折でいろんな経験をしたから理解出来たことだった。
何を選んでも、どんな事が起きても、それは自分の想い描く世界へ導く為に自分が起した現実。
なので生きている限り、自分の行きたい世界へと近づいているのだと思う。
ひとつずつ理解しながら近づいている。
例え遠回りして離れていると思える現実でも、見方を変えれば近づいているんだ。

あらためて「心が喜んでいるか」を考えて選択しようと思った。






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経験で変える

2023-04-18 12:28:10 | 日記
運転中での友人との何気ない会話で、面白いなと思えるような発見があった。
「こんな道を運転するのは怖いな」と感じる苦手な箇所が全然違っていた。
私の場合は「狭い道」と「夜の運転」が苦手だった。
どちらも経験がなくて運転に余裕がなくなるから。
それを話したら友人は「全然怖くない(笑)」と言った。
友人は通勤で毎日狭い道を通るし、帰りは夜の運転になるから慣れっこだった。
狭い道ですれ違うとき対向車への対応が解らなくて真っ白になると私が言うと、「向こうが先に対応して停まってくれるから大丈夫だよ」と彼女の経験を話した。
「みんな狭い道は怖いと言うけど私は怖いと感じたことがない、相手を信用しているから」と言うのが彼女の持論だった。
成程、相手が先に何とかしてくれるという「相手を信じる現実」を彼女は創り出しているから、そんな現実が彼女にやって来るんだろなと思った。
そう言うものかな?と試しに友人を送りに狭い道を通ってみた。
その帰り道、初心者マークの大きな車を運転した女性やミニバスと出会ってしまって焦った!
私はどうやら相手を信用していないらしい(苦笑)
というか私は自分で何とか切り抜ける方法を探す現実を創り出していると思った。

そして今は狭い道への苦手意識が和らいでいる。怖いという感覚がなくなってきた。
どうやって怖さを克服したのだろう?
振り返るとある場面が浮かんだ。
「買ったドローンを飛ばしてみたい」と言う想いで、いそいそと通った山道。
その経験が生きていた。
「やりたい!」「行きたい!」という想いの方が、怖さよりも大きかった。
そうやって繰り返しているうちに、慣れて周りを見れる余裕も出来た。
経験すること、楽しむことで怖さを克服できる事を学んだ。

もう一つ、得体の知れない怖さが過去にあった。
私は昔から「自分の家」「自分の部屋」と言うものに強い憧れがあった。
間取りを見て色々と想像しては、いつか素敵な部屋に住みたいとずっと思っていた。
東京に出て来てそれが叶うようになり、小さな相部屋から始まり段々と自分の想い描く部屋へと住めるようになった。
10年近く経った頃に高層マンション風の新築公団が当選し、その部屋に住み始めた頃の事だった。
今自分の願いが叶って想い描くような部屋に住めて幸せだけど、この幸せが急に地震とかで建物が倒壊してなくなたらどうしよう・・・
そんな得体の知れない怖さを感じていたことを覚えている。
幸いそんな不安は起こらずに10年近くその部屋に住むことが出来た。
いつしか素敵だった部屋は、ゴチャゴチャした空間へと変化していった。

今ならこの怖さの正体が解る。
魂の過去の経験で「そういう事」が起きて、そこから感情が止まったままだった。
その怖さが先にあって、そこから魂が成長出来ずにいた。
その怖さを克服するには「経験」と「楽しさ」が必要で、その為の「落ちる経験」だとしたら・・・
その為にこの地球生活に持って来た宿命だとしたら?
落ちることは必ずしも不幸ではないのかも知れない。
そこからどうやて生きるか、それこそがその人にとっての宝物なのかも知れない。
色々工夫して経験して見つけ出した喜びは、無くす前よりも遥かに大きい。
それは何が起きても自分で何とかできるという「自信」が創り出したものだから揺るがない。
逆に無くさない(何も起きない)のは幸せだと思う事が違うのかも。
変化がないと言うのは、成長もないし感情が麻痺してくる。
素晴らしい部屋も見慣れて当たり前になると、やがて汚れも気づかなくなる。

何となくこれまでの事が理解できた。
そしてその時の部屋と似たような現実が、今私の目の前にある😅
これを繰り返してはいけないな。。。
今から出来る事がいくつか見えているから。
私が楽しめる方向、変化を生み出す方向、笑顔になる方向へと気持ちを向けようと思う。


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運命と宿命

2023-04-17 11:07:33 | 日記
なんとなくだけど運命と宿命の感覚が解ってきた。
人はなぜ地球に生まれて来たのか?
自分はなぜこの世界に生まれて来たのだろう?
その理由は生きているうちに理解出来るようになると思う。
生活習慣の中にそのヒントはたくさん隠されている。
自分が苦手なもの、怖いもの。
好きなもの、楽しいもの。
それらの根底にあるものが、運命と宿命のように感じてる。
これはあくまでも私個人の見解なのですが。。。

基本的には「経験を楽しむ為」に生まれてきたと感じる。
現実世界でいろんな経験、体験をできるのが、この地球なのだから。
だから小さい身体に魂が入る為に、たくさんの事を忘れて来た。
手放しても地球で生活するのには困らないから。
だけど知らない、解らない魂の部分で「怖さ」とか「楽しい」感覚が出てくる。

私は高所恐怖症と刃物を見ると体がゾゾゾーとする。
これが私がこの世に持ってきた魂の一部分。
生活するのに注意すれば困らない部分だけど、同時に持って来た理由もあると感じた。
一つは怖いことから離れること。
怖い場所から「楽しい」方向へと自分で動くこと。
それが好きな事を楽しむという部分。
自分で運を運ぶからこれが「運命」。
もう一つは怖い原因を理解して怖さを手放す事。
怖いという感覚が宿っている魂の部分を自分で手放すから、これが「宿命」。
この二つを私は今回やりたくて生まれて来たのかもしれないと、そんな風に感じた。
これは私にしか出来ない事なんだ。

先日夢を見た。
実家に私と父が居て、人が尋ねて来るのだけど何となく警戒していた。
鍵をかけていないので慌てていた。
私が部屋に戻ると、部屋の中はもぬけの殻だった。
見事なまでに何もかもが持って行かれてガラーンとしていた。
その様に父と2人で呆気に取られていた。

場面が変わって私の姿が見えた。
ボロボロの汚れた服を纏って道を歩いていた。
浮浪者みたいな身なりで唖然としたけど、発している感情は特に荒れてはいなかった。
すれ違った人が寒そうにしていたので私は持っているボロ服を渡して「着る?」と言っていた。

実家を騙し取った男性が見えた。
同じような事を変わらずにやっていた。
すると今度はその男性の所に重い石ころみたいな物がたくさん飛んで来た。
その男性よりも更に強くて黒い人だかりが男性めがけてやって来ていたのが見えた。

起きて感じたこと。
ボロボロの格好をして歩いている自分を見て「強かに生きている自分」に笑えた。
結構私って強いじゃん😆
今をちゃんと生きる事に必死で、とにかく寒さから身を守る為に服を沢山持ってた。
ボロボロだけど、それでも着ると暖かいんだ。
だから寒そうにしている人にも渡したりしていた。
そんな自分が微笑ましかった。

以前だったら、こんな夢見て怖くなっていたと思う。
何なの?私は落ちるの?そんな「高低」に固執して怖くなっていたと思う。
でも今回は笑えた。
多分、「高所から落ちる怖さ」は手放せたように感じる。

最後の場面で男性は似たような事が自分に返ってきてた。
因果応報みたいなものなのかもしれない。
だから相手は関係ないの。
もしかしたら私も遠い過去に男性に対して、似たような事をやっていたのかもしれない。
それが返って来た結果で実家が空になったのかも。
そう考えたら復讐という輪廻から出るのも自分次第。
自分を暖かくする方向へと自分を運ぶ。
それが運命だと思える。
自分の未来は自分で変えられるし、思い描くような未来も創れる。

そしてよく解らなかった怖さの原因を知る。
私は高い場所から落ちて、刃物で傷ついた過去があったと思う。
アントワネットさんみたいな人生と似たような感じかな。。。
だから高所恐怖症とか刃物が怖いんだと思う。
でもそれが起きた原因も自分の中にあって、その原因を知って、それを変える。
それが宿命。

そんな夢だったように感じた。




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