食品添加物が身体に良くないという動画を見た。
なぜ良くないかというと、それらを作るのに塩酸とかが使われているから。
安価で大量に作るのに適した方法なのだろう。
身体の事を考えると、できればそう言うものは避けた方がいいと思う。
だけど私の友人はそう言うものを好んで買ってる。
彼女は料理が嫌いで、手軽に調理できる方がストレスが少ないからだとか。
なるほど。
作ったものを食べる時に、テンションの上がった方が美味しく感じられる。
嫌々面倒な作り方で調理して作ったものと、手軽に美味しいと思って作る方では彼女にとっては後者の方が心は喜んでいるのだろう。
心と身体の関係。
何となく解るけど、具体的なイメージが現実世界にないかなーと思っていた。
ある動画を見て「これと同じかも」と思えるのがあった。
いろんな国の人が日本に旅行に来て、食事や環境をとても満喫している動画。
中でもある中国人の話がとても興味深かった。
その男性は中国で反日教育を受けていたので、あまり日本に対して良いイメージがなかった。
しかし仕事で訪れることになった。
来日して驚いた事。
それは日本がとても綺麗で道路にゴミが落ちていないこと。
人が親切で物腰が柔らかいこと。
気づけば日本では自分もそう言う風に変わっていたと。
これと同じことが身体の中でも言えるのではないかなと思った。
身体の中が平和で綺麗で穏やかな環境なら、外部から来た異質なものもそれに溶け込んでいくのかも知れない。
外部の異質なものが「心地よい」と感じる環境が大事なのかも知れない。
それは心の問題とリンクしている。
心の状態が身体の中の細胞とかの意識と同じになっている。
だから友人も心地よいと思える方が幸せを感じるから美味しくなるのだと思う。
どっちを選ぶかだったら、自分の好きな方を選ぶ。
心が喜ぶ方を選ぶ。
それが身体にとっても良い結果となるのだ。
何を選ぶか。
選ぶものに善悪はなく、自分の心に大きなヒントがあるのだろう。
自分の心が楽しくなれるか?
それが選択の基準なのかなと納得できた。
そうだな。
身体に良いからとオーガニックの無添加製品を選んで平和に暮らしていても、心が楽しいと感じる事が少なかったらどうだろうか?
身体が喜んでいると思って、せっせと選んでも、果たして心は喜んでいるだろうか?
先日寝ている時にずっと同じ姿勢で横になって寝ていて苦しくて夜中に目が覚めた。
歯や歯茎が物凄く乾いていて血流が滞っている感じ。
唾液が全然出てない状態で物凄く身体も重くて偏りを感じた。
顎やエラの下のツボを押したり、足首を起こしたり、身体をさすって血の流れを良くしたら、その後はぐっすり眠れた。
口の中が潤ってないなと感じた。
心が潤ってないから身体もそうなっていたのかも知れない。
意識が自分の現実を作っている。
私はなぜこの現実を作ったの?と考えたら、潤ってないよと気づく為だったように思えた。
無添加製品ばかり気になって選んで生活していても、心が潤ってなかったら身体も潤うはずがないのだ。
逆だよ!心が先で身体はそれに応えるんだよ!
そんなふうに身体が言っているように感じた。
それも紆余曲折でいろんな経験をしたから理解出来たことだった。
何を選んでも、どんな事が起きても、それは自分の想い描く世界へ導く為に自分が起した現実。
なので生きている限り、自分の行きたい世界へと近づいているのだと思う。
ひとつずつ理解しながら近づいている。
例え遠回りして離れていると思える現実でも、見方を変えれば近づいているんだ。
あらためて「心が喜んでいるか」を考えて選択しようと思った。