気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

さくら

2013-03-28 23:32:01 | 日記

桜が満開でした。















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サエズリ

2013-03-26 14:09:20 | 日記

今朝、窓辺に来た鳥の、一際大きなサエズリで目が覚めた。
朝陽が昇る直前で、辺りは明るくなっていたが
まだ眠かったので、寝なおした。

鳥のサエズリで目が覚める。
のどかだなぁ。。。
春だなぁ。。。

そんな季節になったんだね。
このブログの絵と重なったよ。^^

ココロがほっこりする幸せ。
ちょっとしたことでホカホカを感じる幸せ。

昨日もそんな瞬間があった。

父から久し振りに電話があり、
「豆ごはんの水の分量が解らない」と聞いてきた。
「いつもと同じで良いよ」と答えて
「今日は豆ごはんなの?]と聞いたら
「待ちに待った豆ごはん」と嬉しそうな声が返ってきた。
その言葉に思わず笑った。

父は豆ごはんが大好きで
毎年この時期には、自分で炊いて食べていた。
先日も実家に行った時に、私が炊いて食べていたけど
もしかしたら、そのことも忘れたのかもしれない。

2月の父の異変を経験したから
余計に父が自分で食べたいモノを作って食べる事に
有り難いなと感じた。
父の記憶の中では、自分で作る豆ごはんが
「待ちに待ったこの日」だったのかもしれない。

ちょっとした会話だったけど
心がポカポカしていた。
今までもそんな瞬間は何度かあったけど
自分の中での感覚がちょっと変わった。

以前は、「ずっと父が健康であるように」という想いが必ずあって
「健康でなくなる未来」に漠然とした不安があった。
そんな「見えない未来」に怯えている面があった。
幸せを感じているのに、見えない先の不幸を気にしてた。
今は幸せな状態なのに、この幸せが長く続かないような
漠然とした不安。。。

でも、父にとっては「前に何を食べたか」は大事ではなく
「今、何を食べるか」が最重要な問題で、だから前の事を忘れる。
それだけだなんだって解った。

今、食べたいモノを食べれる幸せ。
そこを見ていたら、それで十分足りるという感覚。
そのちっちゃな幸せが、ポカポカしててとても嬉しかった。

今までも同じように見て感じていたのに、
「今」をちゃんと見ていなかったな。
見えない未来ばかり見ていたなって思った。

「目の前の幸せ=今=足元」なんだね。
それが、すこし実感できた。

 

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継続は力なり

2013-03-18 15:57:49 | 日記

フィギュアスケート世界選手権を見てて感じた事。

「継続は力なり」

ホントだなぁと思った。

多くの公式試合は勿論のこと、
いろんなアイスショーにまでも駆り出される日本人選手たち。

協会は大事な資金源だから、商品として選手達をこき使うだろう。
多分、日本人選手は誰もがボロボロの状態で
シーズン最後の試合を迎えたと思う。
だから日本人選手が活躍するのは難しいだろうと解ってた。

この「世界一を決める大会」で優勝する事を考えたら
誰もがここに照準を合わせて来るだろう。

GPは出たけど、それ以外は拒否出来た外国人選手や
シリーズ後半に的を絞って前半は休んだり、
後半戦にコンデションを上げてきた。
そんな選手が当然の如く、表彰台を飾った。
おそらく、オリンピックも同じ事が言えるだろう。

そんな中での、日本人選手の頑張りは目を見張るものがあった。
最悪のコンデションを気迫で乗り切り
「今できる事以上」のモノを見せてくれた羽生選手。

そして真央ちゃんの表彰台はさらに驚きだった。
シリーズ後半にかけて技術を上げてきている。
試合中に臨機応変に修正する力もついてる。

とんでもなく「体力と応用力」がついてた。

ずっと長い間こき使われていても、それを良い方へと変えていた。
多分本人はこき使われているなんて
一度も感じていないのだろうな。(笑)

どんな状態でも、それが経験となって行く。
ジャンプの矯正をして飛べなくても、
最悪の状態でもずっと試合に出る事を止めないで続けてきた
3年間の真央ちゃんの姿勢が
「体力と応用力」として、今確実に現れて来た。

それが本人にとっての確実な「自信」となるのだろう。
人から評価されるのではなく、自分で感じ取るもの。
そういう事だったのかと、真央ちゃんの試合をみて感じた。

「継続は力なり」
本当だなと思った。
 

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原因

2013-03-07 20:47:09 | 日記

先月下旬に、友人から手紙が届いた。
彼女は仏教系の新興宗教へ私を誘った人で
封筒は何かが入っているのか中身が膨らんでいた。

その新興宗教は数年前に脱退したので、
どこかの旅行のお土産でも送ってくれたのかなと思って開けたら
脱退したはずの宗教団体のお守りと小物が入ってた。
お守りは私と父の分で2枚入ってた。

ビックリして困ったな…と思った。
どうやら私を心配して、彼女が良かれと思って送ってくれたようだ。

2010年に自分で脱退届を出しに行き、
彼女にもその事を手紙に書いて送った。
それ以来、彼女から手紙が来ることはなく、私も出していなかった。
でも、彼女の事が気になっていた。
脱退しても大丈夫だからという姿を彼女に見てもらいたくて
このブログのアドレスも手紙に書いて知らせた。

彼女の気持ちは有り難いが、私には必要がないモノなので
申し訳ないけど処分する事にした。

でも、思った。
なぜ、今頃?
とっくに宗教とは縁が切れてたと思っていたのに…。

父と私の2枚というのが気になった。
このお守りは、節分の護摩たき後に送られる。
もしかして2月の父の異変も関わりがあるのだろうか?

問題は、彼女が何故私に送ろうと思ったのか
その原因となるモノを私が書いていたからではないかと思った。
多分、彼女もここを見てくれていたのだと思う。

お守りの申し込み期限は、多分前年の11月か12月頃だと思う。
その頃、私は何を書いてた?
彼女が心配するような事を書いてなかったか?

振り返ったら、思い当たる出来事があった。
前に別の友人を凄く心配させた事がある。
自分の闇を見つめて客観的に書いたつもりだったけど
ネットが切れて暫く更新できなかった事もあり
逆に友人を眠れない程、心配させてしまった。

もしかしたら、あの記事を見ていたのかもしれない。
そして同じように心配してくれて、お守りを送ろうと思ったのかもしれない。

そうだったら、原因は私に合った。
見ている人を心配させるような記事を書いたから。
自分の闇を見つめて気付いたことをココに書いてきたけど
それはココじゃなくて自分のノートに書けばいい事だった。
それがやっと理解出来た。
同じ事が起きないように、あの記事は削除した。

もっと前向きな事を今後は書いて行こうと思う。
書く事が無ければ、別に書かなくてもいい。
書きたいときに、書こう。
素直にそう思った。
 

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おせっかい

2013-03-02 14:54:45 | 日記

お久しぶりの更新です。(;^_^A アセアセ・・・

去年の12月に起きた出来事で当時は不思議だった事が、
今、やっと理解できるようになりました。
解ったというか、繋がっていたんだなと、そんな感じです。

去年の12月に、父の事を
「環境が変わる事を凄く怖がっている」と書いた事がありました。

12月中旬に実家に行った時に、コンビニ振込のガス料金の支払いが
期限を過ぎても払わずに箪笥の上に置いてあったので
私が代わりに支払いに行ったけど、期限切れで受け付けてくれませんでした。

ガス会社に電話して再度発行してくれましたが
2度目の期限はさらに短く、届いてから2~3日の猶予しかないので
また忘れたら大変だと、私が代わりに支払いに行きました。

ガス会社に電話した時に、銀行自動引き落しの書類も送付して貰い
父に「その手続きをしたら振込を忘れることもないので楽だよ」と話したら
「今までとやり方が変わったら解らなくなる」と頑なに拒まれました。
父にとっては今の生活が目いっぱいの状態で、それで1日が回っているから
変化に対応できなくて嫌うのかなと当時は思ってました。

翌月も請求書を目にしたので、父に話して私が帰りに支払いました。

そして2/1に、実家近くに住む親戚から
「父の様子が少し変なのでは?」という電話を貰いました。
卓球の送迎でお世話になっている人から親戚の家に電話があったそうで
いつもと違う様子だったからと心配されてました。

翌日実家に行って父の様子を見ると、やはりいつもとは違ってました。
冷蔵庫には数日前の期限切れの惣菜があふれ山積みで残ったままだし、
食事の際もボーっとして熱燗のお酒をグラスやご飯茶碗に注いでいるし
ボケが進んだかなと驚きました。
熱もあるみたいで風邪かなとも思ったけど、
本人はなんともないと言うし、体温計もどこにあるか解らずで…。

そろそろ一人暮らしは無理な時期なのかな。
そう思って父に、私の家に来るか相談すると、このまま実家に住みたいと言いました。
それで、私が毎日夕食を作りに来るからと言い出して1週間ほど通ってました。

これからは父の為に与えられた現実を逃げずに受け入れようと
定期券も買って、その気でいた時に「ある言葉」を目にしました。

「一番怖いのは相手に尽くして尽くしぬいて、相手の心を依存させ
 その人がいないと生きていけないように仕向けること」

時期が時期だけに、「え(゜○゜)!」と思ったんですね。
私が普段言っていることと、やっている事は違うのかな。
言葉では「自立出来る方向に」と言っていたのに、
やっている事は相手を依存させていることになるのかな…。

未来がある子供だったら解るけど、でも年老いた親は違うと感じてた。
ボケて何も出来なくなった親に自立しろとは言えないと思った。
「親切」と言う字は「親を切る」と書くな…。
でも子供が親の老後の面倒を見るのは当たり前で、心では切れないと思った。

1週間実家に通って感じたことは、父が買い物をしなくなり
出歩かないので歩行が極端に落ちてきた事。
今まではバスで毎日夕食の惣菜を買いに行っていたのに、
バスの乗り方も忘れてしまうのではないかと感じた。
近くの小さな店にも用が無いので行かない。
私が買い物や夕食の準備をするから、父は必要がなくなる。
それは本当に父の為になっているのだろうか?

そんな事を考えていたら
ふと、実家で自分がやっていた行動が浮かんできだ。

父が困らないようにと先走って、頼まれもしないのに補充していた。
仏壇の線香も残り少なくなっていたので
家にあった線香を持って行こうと準備していた。

その行為を自分で見て、気付いた。
私がやっていることは「余計なお節介」だったと。
先走ってやる行為は、相手の為にはなってない。
相手が何も考えなくなる状況を、私自身が作り出していた。

別に線香が切れたからと言って、大変な状況になるわけではない。
何も変わりはないのだ。
父が思い出した時に自分で買いに行けばいいだけの事で
それが「自分で考える」事に繋がる。
線香をあげる習慣を忘れたら、それも敢えて忘れる様になっていると思えた。
そこから「離れる」準備をしているのかもしれないなと。

これは酒でも感じた。
あんなに好きだったお酒を飲む事を「忘れている」ことがたまにある。
これも酒から「離れる」準備かなと思えた。
案外、「ボケる」ことは、
正しい方向に軌道修正していく準備をしているのかもしれない。

だから父がやることに何も口出しをせずに
遠くから見ていたらいいのかなと解った。
言われたらやる。
それまでは気付いてもそのままにしておこうと思った。
ガス料金の支払い用紙も箪笥の上に乗ったままだったが
今回はそのまま置いて様子を見る事にした。

実家通いを止めようかなと思っていた時に、
父から電話があり話しをしてて「咳」が出てきた。
風邪でもなく、熱もないけど、なぜが「咳」が出てくる。
父は私が風邪を引いたと思って心配していた。
私は良い機会だからと「用心して実家にはいかない」事にした。
一日休んで、父の様子を見てみようと思った。

翌日、実家に行ったらいつもと違う「しっかりした父」の姿があった。
前日は近くのスーパーで惣菜を買ったらしい。
私が風邪で来れないので自分がしっかりしなくてはと思ったのか
ちょっと遠いコンビニまで歩いてガス料金を支払いに行ってた。
その帰りにタクシーで生協まで買い物にも行ってた。

ガス料金の支払いと、タクシーに乗っての買い物を
数か月振りに一人でやった事が、凄い驚きだった。
やればできる事を、わたしのお節介で出来なくしていた。
やはり私が毎日通う事は、父の自立を邪魔していると思った。
父の様態も前の状態に戻りつつあった。
案外、風邪で朦朧としていたのかもしれない。

自分で身の回りの事が出来るうちは、やった方がいい。
そう思えたので、その日父に言った。
毎日通うと言ったけど、やはり父の為にも、私の為にもならないから
これまで通り、時々来ることにするよと。
心の中で、親に対する依存を切った感じがしていた。

親の様子を心配して会いに来るけど、見守る感じ。
余計な事をせずに見守る。
しばらくはそうしながら、父の様子を見て行こうと思った。

咳が出て父から電話があった日に、私の家の冷蔵庫を開けたらカラだった。
毎日実家で食事していたから、食べるのもが何もなかった。
その時、思ったのよね。
あー、自分の中心はこの家なのに、その場所をないがしろにしちゃいけないって。
本末転倒、本当に風邪だったら状態がさらに悪くなるって。
自分のことがちゃんと出来て身の回りが安定してたら、周りも余裕をもって見れる。

だからその事に気付けたこの「実家での1週間」は、私にとってとても貴重な経験だった。
一か月様子を見ていたが、父も以前と同じように出来るようになった。

そして12月の出来事も、私の方に問題があったと解った。
父が「環境が変わる事を凄く怖がっている」のではなく、
私の余計なお節介が、父の自立を妨げていたということに気付けた。
「あー、問題があるのは自分の方だったな」って凄く理解出来た。

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