今働いている仕出し屋さんの名前が、
高校時代の先輩の名前と同じだなと思ったら、ある出来事を思い出した。
当時私は高校二年生で卓球部に所属し、ひとつ上の女子キャプテンにその名前の人がいた。
彼女は私に「次のキャプテンはあなたにしようと思っているのだけど」と
二人でいる時に話してくれて、私は驚いていた。
中学の時もキャプテンにはなってたけど、それは一番長くいたからで
キャプテンらしきことは何一つ出来ていなかった。
だからその時も「えー!そうなんだ。」くらいにしか感じていなかった。
するとその情報を知った別の仲間(同じ高2で彼女も別の中学でキャプテンをやり実力もある人)が、
私が秘密裏で動いてキャプテンを決めようとしているみたいなことを言いだして
一年生の後輩が皆、それを聞いて彼女側に付いた。
私は言われのない誤解やゴタゴタ、「私に対する反感を持った目」に耐えられなくて
人間関係が嫌になり「こんなクラブもう嫌だ!やめてやる!」と退部した。
私の最初の挫折の原点だった。
あの時、何も自分の誤解を解こうともせずに、心で楽になりたくて逃げだした自分。
夢でも、似たような設定を見たことがある。
私はニセモノの王女だと血の繋がらない妹に言われて
人々の「私に対する反感を持った目」に耐えられなくて、私はその場を出て行った夢。
多分、これは過去世の私の因縁なのだと思った。
だからこの高校の近くにあるキャプテンと同じ名前の仕出し屋で働く事は
当時の事を思い出して自分の因縁を知り、それを乗り越えることへの挑戦の切符でもあるのだなと感じた。
過去に出来なかったことを、今回は出来るようになること。
今も同じような事を経験している。
今度は「自分の能力のなさに自分で嫌気がさして逃げだしたい」と思う気持ち。
人一倍呑み込みが遅くて動作も鈍いし、思い違いも多く、ミスを連発している。
周りに迷惑を掛け通しということもあり、忙しい時にイライラさせているのが身に沁みる。
高齢で未経験と言うこともあり、私ではなく、もっと若くて覚えの早い人が役にたてるから
職場の為にも私はやめた方がいいのではないかと思う「逃げ」。
昨日書いた記事を読んで「あー、これも若くて能力のある別の人への依存なんだな」と気付いた。
そうすることで自分が周りから疎まれることもなく、嫌な想いから逃げられるから。
でもきっと辞めても別の所で同じような事を経験をすると思った。
どこに居ても一緒なんだ。
自分が変わらない限り、何度も同じ事を繰り返す。
自分が変わる事でしか、乗り越える事は出来ない壁なんだ。
やっぱり、ここから変わらなきゃと思った。
暗算が苦手なら、暗算のアプリを毎日やって慣れる。
重いもの運ぶのに足腰に不安があるなら、負担のかからない持ち方を覚える。
料理の切り方がバラバラなら、動画で切り方のコツを覚える。
いろんなことを自分で考えて、昨日出来なくて怒られた事を今日出来るように努力する。
今の自分の「何ひとつ満足に出来ない状態をちゃんと自分で理解する事」
それが一番私に必要なことだと解った。
本当に何度も「自分はバカだなー」と実感したもの。
でもそれを何故やっていたのかと考えたら、何も考えていなかったから。
真剣にそれに取り組んでいないからなんだ。
なぜそれをやっているのか?の一連の流れを考えたら自分がやれることも違ってくる。
その流れを把握せずに、途中の処理だけで考えていたから、見当違いの事をやってた。
それが見えたから、この壁は乗り越えられると思った。
自分では必死でやってて、周りを見る余裕が無くて見えてないけど
周りは皆自分を見てくれていると実感した。
出来ても出来なくても、一生懸命やっていることはちゃんと見てくれている。
だから、いろんな人の言葉が「ありがたい言葉」だったと気付かされた。
あの言葉は、ここに繋がっていたんだなと実感できた。
まだほんの序の口だけど、少しずつ私も変われている。
ちょっと壁を越えられている実感がある。
因縁を解くとは、自分の出来なかった事を出来るようになる事でもあるのだなと思った。
過去に出来なかった自分の問題を解くということなんだね。^^