昨日はツイッターのアクセスが活発で驚きの日でした。以前に書いたツイッターが注目を浴びているようで、、、。それがこちら。
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で、私が落胆している事は日本の看護界のリーダーシップの欠如です。以前も書きましたが看護が進化し、社会に貢献し認識される職業になる為には、それぞれの団体が、それぞれの役割を認識した上で、他の団体と共同体として同じ目標に向かって進むのが重要だと思っています。しかし、日本の診療看護師周辺の経緯や現状を知れば知るほど呆れるばかり。なぜそうなってしまったのでしょう?
例えば今の日本で使わられる言葉は、、、
診療看護師
特定行為研修修了者(認定看護師)
特定行為研修修了者(認定看護師以外)
認定看護師
専門看護師(CNS)
専門看護師(NP)プログラム修了者
その他の看護師
保健師
助産師
以前からある看護師、保健師、助産師、そして20年ほど前から始まった認定看護師を除いても5つの種類の看護師。一体どれがどうなんでしょうか?
日本の診療看護師そのものの存在があやふやで、国家資格もなければ裁量権もない。はたまた教育機関は限られた大学院協議会認定の大学かどうかが誕生したり、認定試験が大学院で行われる奇怪な結果 。教育するものが資格を認定するとはおかしな話。それは国家資格がない事に起因するだろうと思われるが、それでも教育するものと認定するものは同一団体だと利害関係が生まれ、その透明性が疑われる。疑われれば教育の水準や認定された者の基準が明確にならない。
カナダで働く私にとっては、特定の行為研修はどこをどう見ても大学院で教える内容ではない。これは看護師でも行える事。言い方を変えれば修士レベルの教育とは言えない内容。証拠にオンラインで学べ病院で教える事ができる内容であることからそれは明らかだ。
特定の行為研修のお陰で、診療看護師を目指していた者まで特定行為を学ぶ羽目に。私は修士課程でNPのなるべく教育を受け、2年でも足りないと思うぐらいだったのに、日本ではその上に時間は特定行為に割かれるなんて、診療看護師に見合う分の教育内容を疑問視し、どっちつかずの教育に特定行為の内容とその成果にも疑問視したくなります。もしくは二つの事がごっちゃになって診療看護師と特定行為研修終了者が同等に扱わることも有ると聞きました。数ヶ月の研修と修士という学位が同等に扱われるなんて、時間と費用と労力を費やした修士保持者に対する冒涜と言ってもいいような状態だと思う。
国家資格がない事で、基準も曖昧だ。何かあったらどうするのだろう?看護師として団体や雇用先は裁判に挑むのでしょうか?基準もないのにどう弁護するのでしょうか?全く摩訶不思議です。だから時間をかけて教育を受けても看護師は看護師の扱いしか受けないのです。報酬も変わらないのです。
研修や教育の内容や長さは違うけれど、それでもキャリアアップを目指した看護師さんたちがすでに大勢いる日本。私はその人達が、壊れそうな船しか作れなかった看護界の重鎮のために、今にも沈没しそうな船に乗り込み大海原に出ていかなければならない。そんな状況にしか見えないのです。
看護教育界は教育界としての役割を、看護協会はリーダーとしての自覚を。看護の事は看護師だけで決めたいと言うのなら、それなりの宿題をして会議に挑んで欲しいものです。保守に走らず、媚を売らず、看護師のために、ひいては国民の為に、論議を交わして欲しいものです。論議をしなければ何も変わらず、このままそれぞれが違う方向に向かって走り社会が混乱するだけです。今からでも遅くないはず。これ以上の乱立を避けて制度を明確にして欲しいと強く願っています。
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で、私が落胆している事は日本の看護界のリーダーシップの欠如です。以前も書きましたが看護が進化し、社会に貢献し認識される職業になる為には、それぞれの団体が、それぞれの役割を認識した上で、他の団体と共同体として同じ目標に向かって進むのが重要だと思っています。しかし、日本の診療看護師周辺の経緯や現状を知れば知るほど呆れるばかり。なぜそうなってしまったのでしょう?
例えば今の日本で使わられる言葉は、、、
診療看護師
特定行為研修修了者(認定看護師)
特定行為研修修了者(認定看護師以外)
認定看護師
専門看護師(CNS)
専門看護師(NP)プログラム修了者
その他の看護師
保健師
助産師
以前からある看護師、保健師、助産師、そして20年ほど前から始まった認定看護師を除いても5つの種類の看護師。一体どれがどうなんでしょうか?
日本の診療看護師そのものの存在があやふやで、国家資格もなければ裁量権もない。はたまた教育機関は限られた大学院協議会認定の大学かどうかが誕生したり、認定試験が大学院で行われる奇怪な結果 。教育するものが資格を認定するとはおかしな話。それは国家資格がない事に起因するだろうと思われるが、それでも教育するものと認定するものは同一団体だと利害関係が生まれ、その透明性が疑われる。疑われれば教育の水準や認定された者の基準が明確にならない。
カナダで働く私にとっては、特定の行為研修はどこをどう見ても大学院で教える内容ではない。これは看護師でも行える事。言い方を変えれば修士レベルの教育とは言えない内容。証拠にオンラインで学べ病院で教える事ができる内容であることからそれは明らかだ。
特定の行為研修のお陰で、診療看護師を目指していた者まで特定行為を学ぶ羽目に。私は修士課程でNPのなるべく教育を受け、2年でも足りないと思うぐらいだったのに、日本ではその上に時間は特定行為に割かれるなんて、診療看護師に見合う分の教育内容を疑問視し、どっちつかずの教育に特定行為の内容とその成果にも疑問視したくなります。もしくは二つの事がごっちゃになって診療看護師と特定行為研修終了者が同等に扱わることも有ると聞きました。数ヶ月の研修と修士という学位が同等に扱われるなんて、時間と費用と労力を費やした修士保持者に対する冒涜と言ってもいいような状態だと思う。
国家資格がない事で、基準も曖昧だ。何かあったらどうするのだろう?看護師として団体や雇用先は裁判に挑むのでしょうか?基準もないのにどう弁護するのでしょうか?全く摩訶不思議です。だから時間をかけて教育を受けても看護師は看護師の扱いしか受けないのです。報酬も変わらないのです。
研修や教育の内容や長さは違うけれど、それでもキャリアアップを目指した看護師さんたちがすでに大勢いる日本。私はその人達が、壊れそうな船しか作れなかった看護界の重鎮のために、今にも沈没しそうな船に乗り込み大海原に出ていかなければならない。そんな状況にしか見えないのです。
看護教育界は教育界としての役割を、看護協会はリーダーとしての自覚を。看護の事は看護師だけで決めたいと言うのなら、それなりの宿題をして会議に挑んで欲しいものです。保守に走らず、媚を売らず、看護師のために、ひいては国民の為に、論議を交わして欲しいものです。論議をしなければ何も変わらず、このままそれぞれが違う方向に向かって走り社会が混乱するだけです。今からでも遅くないはず。これ以上の乱立を避けて制度を明確にして欲しいと強く願っています。