昨日のブログの最後に
期待と経験は不思議な関係といつも思う。これ、患者教育の鍵でもあります。
と書きました。診察や患者教育のシーンで「期待していること」聞いていますか?どんなに素晴らしいケアをしていても患者が期待しているものと異なると、そのケアは評価されません。よって患者が期待する事を知る事、もしその期待が不可能なものであったり、超勘違いの場合、そこを正すことから始まります。
とても簡単な例と言えば、完治できない癌に対して完治する事を望んでいる。完治はできないが、進行を遅くさせることができる、症状を緩和することができる、と理解してもらう必要があります。
私の分野であるあるが、精神科医に紹介してほしい。
テレビの影響か精神科医は「話を聞いてくれる人」と思ってリクエストしてくる人が多い。ソファーに座って寝っ転がって、精神科医はそのそばでメモをとりながら話を聞いてくれる人。いやいや診断と治療計画を立てるために問診をしているのであって、ただ話を聞いてくれる人ではない(その結果内服薬を勧められて怒る患者もいる。だって話を聞いてくれる人と思っていたら、治療まで望んでいないのだから)。心療療法士にも同じような事を求める人が多い。いやいや、カウンセリングの基本はコーピングスキルを学んだり、経験をリフレームする場所です、、、とこんな感じです。
人間知らない事を知らない。
知識不足とかヘルスリタラシーが低いとかそう言う問題ではなくて、出発地点からズレている、こんな簡単なこと。医療(治療)に関して期待されていることは何ですか?聞いていますか?
冒頭写真: スキー場のミッドマウンテンにあるカフェテリア。あと3日で閉山するからと食材は切れたらそのまま、と言う事を知らず入店。メニューの種類が少ない、その上にメニューに書かれているものも欠いていると言う悲惨な状態。サワークラウトを食べたくて注文したのに、それらがない。ただのカロリー爆弾。それも使い捨て容器。これを見ると病院勤務時代を思い出す。嘔吐の時の受け皿、、、、食欲落ちます。
その一方、
「これはできない」と突っぱねるも、
商売全般の必須事項(刑事弁護では特に)。
さもないと、財サービスを提供する側が、経済的にも、体力的にも、潰れてしまいます。それでは、永続的な財サービスの提供が担保できなくなってしまいます。
記事のカフェテリア、「あと3日で閉山する」は、永続的な運営にとって必要な一手、なのでしょう。
永井弥生先生(皮膚科医)が、著書に賢い患者になることの大切さを書いていらっしゃいますが、よい医療は医師だけでできるのではなく、患者の賢さも必要。
※賢いとは人間として賢いこと。勉強できるとかではないです
これって、学校教育も同じだと思います。賢い教師×賢い保護者 が 成果を創り出すと思います