初冠雪 2015-11-28 08:02:10 | 日記 剣山で初冠雪 昨日は徳島市内でも最高気温が11.5℃のブルブルの寒い1日でした うっすらと雪化粧をした剣山の山頂 三好市の井川スキー場では初滑り 西日本1高い石鎚山も真っ白の雪化粧 今日は昨日より2℃も暖かい でも寒そうな気温です
ビックリ八尾の町歩き 2015-11-27 19:48:14 | 日記 最後に今東光資料館を見学しました 寂聴さんの師匠の あの怖そうな坊さんのイメージしかありませんでした が 認識を新たにしました 17時30分 歩き疲れてウトウトしていたら明石海峡大橋の上 雨も上がり美しい夕焼けですが 寒い寒い冬になっていました 風も凍えるほど冷たく 橋の灯りも瞬いています 空気が澄みきり眉山が冷たくくっきりと見えます 皆さんありがとうございました 特に 八尾のボランティアガイドさん 私たちの人数よりボランティアガイドさんのほうが多く 丁寧な楽しい案内 ありがとうございました 回りきらない頭でパンフレットを見ながらの復習 解釈が違っていたら こそっと許してくださいね 全く八尾のことを知らなかったので 難しい難しい歴史散策の勉強でした
板倉家住宅・與兵衛桃林堂 2015-11-27 19:35:19 | 日記 河内木綿を扱う木綿問屋であったが 大正時代に板倉氏が買い取り桃林堂の本宅となった 昔の老舗の香りがする「桃林堂」の看板です 蔵の方は茶房で店へ入ると直ぐ井戸が目につきます 掘り抜き井戸でなく水引井戸と言うそうです 掘り抜きでは塩水が湧くので遠くから真水を引いていたそうです 桃季もなかが有名だそうで皆さん買っていました 季節のお菓子は じょうよ饅頭織部でした 徳島では土佐街道でも伊予街道でもあまり見かけない道しるべ さすがに浪花の八尾 いっぱいあります
八尾神社(栗栖神社) 2015-11-27 19:07:58 | 日記 西郷、木戸両氏の氏神で 物部氏一族栗栖氏の住地であった 手水舎には闘志満々の赤牛と 唐獅子のようなのがいます ガイドさんも今まで気がつかなかったから解らないそうです 闘牛は無いので農耕牛?とか不明の牛と唐獅子でした 八尾城跡とも謂れ キリシタン大名、池田教正の拠城であったが 美濃に移封されて城は廃された 何故かこの神社も紅白の茅の輪くぐりのようなのがありました
河内音頭 2015-11-27 17:47:34 | 日記 河内音頭発祥の地「常光寺」 なぜか懐かしい塩じいの名前が見えます 八尾御坊・大信寺や町を造る為に 大和川をエンヤコラセー、ドッコイセーと木遣り歌のように歌いながら材木を運んだ名残の 河内音頭 ガイドボランティアさんと一緒に常光寺境内で一躍り テレビでよく見る河内音頭は ここ常光寺の境内に櫓を組んで繰り広げられているそうです 河内音頭記念館へ 河内家菊水丸さんが館長で2012年7月15日に開館しました お土産にシールを頂きました 皆さん太っ腹です
常光寺 2015-11-27 17:29:12 | 日記 商店街の入り口かと思えば 行基開基の臨済宗南禅寺派の常光寺の仁王門 見たことも無い肉体の仁王さま 筋骨隆々と筋張った仁王さま 全日本地蔵尊番付のトップの八尾の小野篁が彫った地蔵尊 お堂は再建中です 八尾の地蔵尊と閻魔さんが仲良しで 八尾の地蔵尊のお札を持っていると 閻魔さんに六道の辻から返されて九品の浄土へ送られるとか と言うことで八尾の人々のみならず 秀吉からは毎年5石の玄米寄進を受け、家光以後歴代の将軍から朱印状を受け 足利義満には特に「常光寺」の扁額も頂いています 境内には大阪夏の陣で戦死した71人の藤堂高虎の一族の墓もあります また徳川軍に付き敗走する長宗我部軍を追って久宝寺から平野へ追って勝利したときの宿陣で 方丈の縁側で首実検をしたときの血天井がありますが もう血の色は見えませんでした
八尾御坊・大信寺 2015-11-27 16:47:36 | 日記 浄土真宗の宗派争いで慈眼寺と共に まだ荒れ地の多かったこの地にうつり 八尾御坊・大信寺を建立し 寺内町を作った 本願寺教如により河内名所図絵にも詳しく描かれた 立派な寺院で 廃藩置県の時は「河内県庁」が置かれていました 何度も再建された立派な本堂も 昭和42年にシロアリには勝てず大崩落をし 今は鉄筋コンクリート造りの本堂です 久宝寺寺内町から八尾に移り 綿花栽培で河内木綿として名を轟かし 繁栄をしました この顕証寺と大信寺の争は 京都の本願寺が 豊臣方の西本願寺と 徳川に助けられて寺領を頂き東本願寺を建立し 東西に別れた大事件に対応した リーフレットを読みmachanの頭をよぎった事を纏めたので 間違っているかもしれませんが お許し下さい
福井山慈眼寺 2015-11-27 16:24:43 | 日記 親鸞上人直弟24輩のうち第13番目の信願房法心開基の福井山慈眼寺 外回りも美しい 山門も風格があります 本堂も 太鼓楼も素晴らしい 昔は久宝寺寺内町にあり蓮如上人が布教の時は道場となり 顕証寺も建てられた久宝寺寺内町の基礎を築いた が 後に顕証寺の主導権争いが起き 大和川を跨いで八尾へ移り新たに布教を始めた
長瀬川 2015-11-27 16:04:02 | 日記 今は川幅は3mぐらいかな? 付け替え前の大和川が今は可愛い長瀬川となりました 橋の袂には 東西南北を指す 巨大な道しるべがあります 八尾の寺内町へ入ると電信柱の町の名も変わり 逆潮流ありと言う表示が 川筋だけでなく 八尾駅前の町中にもあります 何を表しているのだろうか
八尾寺内町へ 2015-11-27 15:43:54 | 日記 久宝寺寺内町の東口の寺井戸跡 今も姿を残す井戸です 寺井戸の並んでいる札の辻地蔵尊のお堂です 町中の辻にも地蔵尊はありますが 久宝寺寺内町と外部と繋がる角には必ず地蔵尊があります 久宝寺寺内町と別れて 八尾市の2つの寺内町の歴史を真っ二つに分かつ 長瀬川を渡り久宝寺寺内町から八尾の寺内町へとわたります
顕証寺本堂 2015-11-27 07:22:31 | 日記 内陣や阿弥陀様を写して下さいよ、と仰って頂いて 内陣や阿弥陀様を写して下さいよ、と仰って頂いて お参りに行って初めて写す仏様 蓮如様のもう一つの名前の「慧燈」の額です ご本尊の左の間には狩野派?の絵の板戸? ご本尊様の右の間には雪の積もった松の絵が描かれた襖? 右部分 左部分
顕証寺 2015-11-27 06:47:22 | 日記 13世紀に本願寺蓮如上人によって建立された 久宝寺寺内町の中核寺院 山門を入ると 親鸞上人と蓮如上人が向かい合って立っています 山門を入ると右に立つ親鸞上人は 現在の親鸞上人と蓮如上人像が出来る前の 先代の親鸞上人像です 西本願寺と同じような本堂です 蓮如上人から脈々と続く19代の住職さまとお姫様と呼ばれている奥様 山門の左の紋がその紋で寺の紋はまた別にあります 山門を入ると左に阿弥陀様が 掛け軸で見るお姿を初めて見ました 八尾にはキリシタンも多く住んでいて キリシタン灯篭もあります
氏神さま 2015-11-26 23:55:42 | 日記 古代的氏族は 氏族の首長が神主として氏族の人々(氏子、氏人)を統率して氏神祭りをしていた その氏族の地域に他の氏族が移住して来たことで「氏神」はその土地の守り神となり 出生地を守護する「産土神(うぶすながみ)となり その土地に産まれた者を「産子(うぶこ)」と呼び 土地を守護する「鎮守神」と 一族である氏子を守る「氏神」が混同されるようになった 許麻(こま)神社は高麗(こま)の氏神さま
許麻(こま)神社 2015-11-26 20:12:29 | 日記 八尾市 聞いたことはあっても 場所も歴史も文化も全く白紙です 不思議な町のようです 1100年以前よりある寺で この地は高麗からの渡来民族が多く住み 祖霊としつ祭祀したのが社名の由来 鐘楼が今では手水舎になっています 境内は広く 茅の輪のようなのがありました まちなみセンターで町の歴史のビデオを見ながら昼食です
久宝寺寺内町 2015-11-26 19:16:14 | 日記 城の南に広がる寺内町は碁盤の目のように作られ 四方八方の口には 城を守るために? 固く守っていました 地蔵堂が建てられ 今も町の出入口では見張りをしています