今日はぐんと涼しく過ごしやすい札幌でしたね~。
寄り道ばかりのmiyブログですが今日は先日の夕張探訪の続きです。
実はmiyの人生は引越しとともにあったとも言えます。
なんせ引っ越しは数えるのが大変
20回以上ですから(爆)
それでも今のところにはもう14年は住んでいるのに
それでも20数回ですの
なので小学校も中学校も転校生だったのよね。
原田知世の謎の転校生の世代なのだぁ~(笑)
いや…眉村卓世代って言うほうが正しいわね
未だに一年生に入学した生田原小学校の夢見ます(イメージですけど)
そのくらいどんなに転校してもピカピカの一年生で入学した学校って
忘れられないものよね~
そんな想い出をこの画像で感じてくださる方がいるかもしれません。
今となっては廃墟と言われても仕方がないこの学校。
夕張鹿鳴館の近くにあり、北海道炭砿汽船(北炭)の幹部社員の子弟が多く通ったことから
かつては「夕張の学習院」とも呼ばれた夕張鹿の谷小学校です。
閉校は平成9年3月だそうです。
開校は大正10年と言いますから70年以上の歴史を持った学校なのよね。
そして閉校になってすでに13年ですものね。
この荒れ様は仕方がないのかもしれません。
グラウンドにも草が生い茂り…。
子供たちが遊んだであろう色の剥げたタイヤの遊具が埋もれています。
まだ石炭産業で街に活気のあった頃の建物だったのでしょうね。
そんな名残を感じさせます。
この小学校に行くのに渡る花園橋。
昭和13年竣功…と言いますからかなりの年代物で
コンクリートも崩れ落ちそうなままですがれっきとした現役の橋です。
ところでここを渡ったところにある夕張鹿鳴館。
明日北海道ローカルUHBトークDE北海道で紹介される様ですよ~!
お楽しみに~~!miyブログでも今度紹介します~
≪夕張探訪≫
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