お彼岸も過ぎて3月ももう残りわずか…。
ここに来て大きなミスをしていたことに気付きました。
先日から何度も紹介していた茨木のり子さんの詩。
しょうもないことにお名前を変換ミスしていました。
正しくは「茨木のり子さん」なのに
茨城のり子さんと間違って入力してしまっていました。
本当に失礼致しました。
お詫びに(?)もう一編の詩をご紹介します。
金八先生でも紹介されていた「廃屋」です。
ごめんなさい
~~~~~ 茨木のり子 廃屋 ~~~~~~~
人が 棲まなくなると
家は たちまちに蚕食される
何者かの手によって
待ってました! とばかりに
つるばらは伸び放題
樹々はふてくされていやらしく繁茂
ふしぎなことに柱さえ はや投げの表情だ
頑丈そうにみえた木戸 ひきちぎられ
あっというまに草ぼうぼう 温気にむれ
魑魅魍魎をひきつれて
何者かの手荒く占拠する気配
戸さえなく吹きさらしの
囲炉裏の在りかのみ それと知られる
山中の廃居
ゆくりなく ゆきあたり 寒気だつ
波の底にかつての関所跡を
見てしまったときのように
人が家に 棲む
それは絶えず何者かと
果敢に闘っていることかもしれぬ
この「廃屋」ですが…。
道東の奥地を車で走っていると
こういった廃屋をたくさん目にします。
その姿はとても物悲しく…。
おそらく北海道の開拓を夢見て
内地(北海道では本州のことをこう呼びます)から移り住んだ人たちが
その自然の厳しさに夢を打ち砕かれ
やむなくその地を離れざるを得なかったのでしょうね。
その無念さが伝わってくるような住居跡が無数にあり
朽ち果て、家屋としての姿を留めているのに必死なくらいです。
その姿もあと数年、数十年で跡形もなくなってしまうのかもしれません。
先人の苦労が偲ばれる風景です。
それくらい北海道の開拓は
寒さと雪と厳しい原始の森に阻まれていたのだと思います。
そして僅かな期間開拓されていたのだろうその地も
原始の森に還ろうとしているところなのでしょう。
やはり自然の力に挑むということは並みの力では
戦えないということでしょうね。
こうした「廃屋」にならないために
たゆまぬ努力をしていかねば
その戦いには敗れてしまうわけで…。
こういう姿は都心や内地にお住まいの方には
ちょっと理解しがたいかも知れません。