夕張鹿鳴館の続きです。
以下鹿鳴館のHPからの転載です。
この建物は、北海道炭鉱汽船株式会社(北炭)が全盛を究めた時代、
北炭鹿の谷倶楽部として大正2年に建設され、
昭和58年まで主に当時の迎賓館のような施設として使用されていました。
1913(大正2)年に建てられた旧北炭鹿ノ谷倶楽部は
敷地面積85,330平方メートル・延床面積約1,500平方メートルの木造平屋、
当時の技術の粋を集めた、北海道では珍しい本格的和風建築です。
内部は和室洋室が組み合わされ、その装飾や調度品は贅を尽くしたものでした。
「旧北炭鹿ノ谷倶楽部」は幹部社員や政治家など、
さらに限られた人以外は姿すら見ることができませんでした。
炭鉱が好景気に沸いていた時期のごく限られた上流階級の方々のみが知る
「幻の施設」と称され重要文化財としての価値を認める声も多く、
1994年から記念館として一般公開されています。
…そんな夕張の栄光の時代の名残の建物。
古いもの好きのmiyはこの手のものに弱いのよね~
資料館としての部分だけですが
上流階級の気分だけでも画像でどうぞ味わってくださいませ~~
続く…。
≪夕張探訪≫
元気してる?
お散歩で行ったの?
すごく素敵なところ♪d(*⌒▽⌒*)b ニコニコッ
写真のアングルも最高だよー♪
d(*⌒▽⌒*)b ニコニコッ
北海道もその昔は強制労働などなど
なかなか表に出にくい壮絶な過去もいっぱいあるのだと思います。
炭鉱員も流れ流れて…の方もいたのでしょうけど
労働組合に入れる人と入れない人との見えない格差もあったと昔テレビで見ました。
そんな苦労の上にこんな上流社会があったのでしょうね。
たっくさん写してきてあったのよね(笑)
先日TVで紹介されていたのでやっと日の目をみましたわ(笑)
それにしても北海道は広いのよねぇ~。