東京教室の後、先月20日に天に召された幼友達のご両親が入って居られる、荻窪の老人施設を訪ねました。
幼稚園、小学校を通じ、一番仲良しだった男の子で、学校から帰ると家にカバンだけ置いて彼の家に直行・・・という日々でした。
そんな私を、お母さまはいつも優しく迎え、可愛がってくださいました。
卒業後はお互い全く出会うこともなく、2000年に35年ぶりの同窓会が。
私は子供の頃からの仕事である押絵の道に、彼は社会心理学の教授にと、それぞれ地道な積み重ねをしてきたそれまでの人生を称えあい、幼い頃を懐かしがったのもつかの間、4年前から病魔に冒され、早過ぎる58年の生涯に幕を閉じてしまいました。
お葬式にどうしても伺えず、今日までの長かったこと・・・
お電話とお手紙で、お母さまも久々の再会をとても楽しみにしてくださり、たとえ僅かの時間だけでも、お気持ちをお慰めすることができればと出かけたのですが・・・
お会いした途端、「暑かったでしょ~?サイダー飲む?」
「紅茶入れるね。アールグレーだけどいぃ?えっ、松恵ちゃんも好き?よかった~~」
「ヨックモックもあるのよ。食べて食べて!あっ、コーヒーも入れようね」・・・
すっかり昔のまんま! 50年前の応接間にタイムスリップでした。
わが子を先に亡くすという、何物にも代えられない苦しみを笑顔に包みながら、お体のご不自由なお父様とも優しくお菓子を半分こされるお姿は、神々しくさえありました。
ご自身だけの世界に戻られ、闇の中で絞る涙を受け止める彼の写真が、ベッドの横に・・・
その彼が、みやび流押絵のために書いてくれていた「応援しています」のメッセージ。
今となっては、貴重な思い出ですが、ほとんど書いたものを残していないらしく、お母さまにとっても、宝物だと喜んでいただけました。
「天の上ではあの子が、地上では私達が命ある限り応援していくんだから、みやび流は永遠なのよ。頑張ってね!」と。
私が励まして差し上げるつもりで伺ったのに、まるで逆。
昔からそうでしたが、どうやって周りの人たちを助ければいいのか、そればかりを考え、正に神の愛を身をもって示される方々で、私からするとそのお姿は、観音さまに見えてしまいました。
親を残して先立たなければならない定めは、あの慈愛に満ちた彼にとって、命を奪われることよりも辛かったろうと思います。
元気な間はいつも教会でオルガンを演奏していた彼ですが、自分ひとりの力で歩くことも大変になっていた去年のクリスマス礼拝の時、ふいにオルガンのところへ進みより、なんと、1時間もの間、素晴らしい演奏をしたそうです。
「だれのどんなオルガンよりも、心の奥に響く演奏をする子なんだけど、あの頃にはそんな体力、どこにもありっこなかったはずなの。
ところが、今までで一番素晴らしい演奏を聞かせてくれたのよ」というお話を伺い、ちゃんと最期の親孝行をしていったんだな~と、改めて愛の深さを思いました。
帰り際、お手づくりの可愛いこのお人形を頂きました。
体も洋服もすべて毛糸の手編みで、「ちゃんとパンツもはいてるのよ。芦屋に連れてってやってね」って。
芦屋の空気を懐かしがってくれているでしょうか・・・