今日は、午前中、市役所で会派の議員団会議で、今週号の明るい国立の編集会議と議会に向けての日程調整など行いました。
午後は、1時半より福岡県の福津市議会から私の属する議会広報特別委員会視察があり、福津市の広報調査特別委員会の方との交流の会議がありました。福岡市は私が始めて教員として就職した地なので、懐かしく、議員の方の言葉にも親近感がわきました。
私は、市議会報告を作成する議会報編集委員会の委員(副委員長)なので、参加。いろいろと議会報などについての説明や意見交換ができて、他市との違いや国立市の議会報の課題も見えてきて、勉強になりました。
夕方は、地域で支持してくださっている91歳の平澤美知さんを訪ねて、戦争中の話などを伺うことができました。
子どもの頃、戦争反対を言っている日本共産党は非合法のため、地下活動をしていた様子を目の当たりにして、
見聞きしたことを具体的に聴きました。彼女は、小林多喜二が捉えられ拷問の末殺されたとき、連れてこられた場所の近くに住んでいたこと、
当時ソ連から帰ってきた中条百合子(宮本百合子)が親友と話をしている場面などにも出くわして、その頃の様子を滔々と語ってくださいました。
当時の「城西消費組合」の運動が実は日本の社会運動と文化運動の重要な役割を果たし、戦前から中央線沿線に住む文化人や学者たちが参加していたということも初めて具体的に知りました。そのなかに、小林多喜二や中条百合子、丸岡秀子、林芙美子、松田解子…などあげればきりがないのですが、平澤さんのお父さまの名前もありました。
91歳というお年ですが、ヘルパーさんや近所の方兄弟に支えられながら一人暮らしをされています。「おままごとみたいな3度の食事作りのほかに大好きな読書をしてすごしていますよ」と。お話しを聞いていると玉手箱のようにいろいろと出てきます。
「今度また、ゆうっくり時間を作って、口述筆記しながら聞かせてくださいね」と記念写真を撮って「城西消費組合」という書籍をお借りしました
そのあと、私の候補者時代から駅頭などのチラシ配りを応援してくださった方が脳梗塞で倒れて入院されたていたことを知り、お見舞いへ。
調度、病院のリハビリの時間でしたが、下半身が動かなくなり、言葉も自由に出せなくなって、本当に悔しい!と身振り手振りで訴えられて…活動への思いが強い方だっただけにどんなに悔しいかと…
本当に、人は何が起こるかわからない、けど、生きていらしてよかった、きっとまた活動に戻れるよと励ます言葉しか言えませんでした。
こうやって元気に生きて活動できること自体がどんなにすごい幸せなことなのか、一日一日を大切にしなくくては!
午後は、1時半より福岡県の福津市議会から私の属する議会広報特別委員会視察があり、福津市の広報調査特別委員会の方との交流の会議がありました。福岡市は私が始めて教員として就職した地なので、懐かしく、議員の方の言葉にも親近感がわきました。
私は、市議会報告を作成する議会報編集委員会の委員(副委員長)なので、参加。いろいろと議会報などについての説明や意見交換ができて、他市との違いや国立市の議会報の課題も見えてきて、勉強になりました。
夕方は、地域で支持してくださっている91歳の平澤美知さんを訪ねて、戦争中の話などを伺うことができました。
子どもの頃、戦争反対を言っている日本共産党は非合法のため、地下活動をしていた様子を目の当たりにして、
見聞きしたことを具体的に聴きました。彼女は、小林多喜二が捉えられ拷問の末殺されたとき、連れてこられた場所の近くに住んでいたこと、
当時ソ連から帰ってきた中条百合子(宮本百合子)が親友と話をしている場面などにも出くわして、その頃の様子を滔々と語ってくださいました。
当時の「城西消費組合」の運動が実は日本の社会運動と文化運動の重要な役割を果たし、戦前から中央線沿線に住む文化人や学者たちが参加していたということも初めて具体的に知りました。そのなかに、小林多喜二や中条百合子、丸岡秀子、林芙美子、松田解子…などあげればきりがないのですが、平澤さんのお父さまの名前もありました。
91歳というお年ですが、ヘルパーさんや近所の方兄弟に支えられながら一人暮らしをされています。「おままごとみたいな3度の食事作りのほかに大好きな読書をしてすごしていますよ」と。お話しを聞いていると玉手箱のようにいろいろと出てきます。
「今度また、ゆうっくり時間を作って、口述筆記しながら聞かせてくださいね」と記念写真を撮って「城西消費組合」という書籍をお借りしました
そのあと、私の候補者時代から駅頭などのチラシ配りを応援してくださった方が脳梗塞で倒れて入院されたていたことを知り、お見舞いへ。
調度、病院のリハビリの時間でしたが、下半身が動かなくなり、言葉も自由に出せなくなって、本当に悔しい!と身振り手振りで訴えられて…活動への思いが強い方だっただけにどんなに悔しいかと…
本当に、人は何が起こるかわからない、けど、生きていらしてよかった、きっとまた活動に戻れるよと励ます言葉しか言えませんでした。
こうやって元気に生きて活動できること自体がどんなにすごい幸せなことなのか、一日一日を大切にしなくくては!