昨日の冷え込みから一転、春が戻ってきました
窓辺に避難させて冬も花を楽しませてもらったハイビスカスもそろそろ外に出してあげなくては!
今日は、午前中は議会運営委員会でした。
今後の議会運営に関する懸案事項を会派ごとに出し合いました。
私たちの会派からは、本会議と常任委員会だけはインターネット中継と録画を見ることができるが、
開かれた議会とするために、予算や決算のなどの特別委員会や協議会など、公開のものはすべてインターネット中継するべき
という事の他、議事運営上のテーマを2点出しました。
自民党や公明党などからは、陳情は国立市民だけに限るなどの陳情事項の取り決めについての意見や議会へのtablet導入(ペーパーレス化)などが出されました。
少しでも議会運営が地域民主主義の実現となるように改善・工夫していくために、
各会派から出された意見を、一つひとつ検討することになりました。
昨日は、私の宮崎に住む両親が久しぶりに、訪ねてきたので、空港まで迎えに行きました。
母の奈良に住む兄弟に、会いに行きたいと願っていた母は、新幹線などを利用したことがないので、
日曜日から両親を奈良に連れていくことにしました。
父も奈良は初めてということで、とても楽しみにしています。
私も奈良に住むいとこのお姉ちゃんたちとは、中学2年生以来なので、なんと45年ぶりの再会!ワクワクしてきます。
両親も80代となり、自分達だけでいろいろと動くのは大変。私も、やっと、少しでも親孝行をしたいと思うようになりました。
これまでは、自分自身が生きるのに精いっぱいだったけど、少し心に余裕ができてきた気がします。60を前にして、ちょっと遅いかもだけど…
両親が60代や70代のころは、私が引っ越しするたびに、宮崎から手伝いに出てきてれて、助けてくれていました。
ヤドカリで、子供のことやいろいろで引っ越しばかりしてきた私は、国立に住んで14年目ですが、国立市内でも4回引っ越しています。
国立市での最初の引っ越しは、札幌から引っ越してきて中学生になったばかりの息子がいじめにあって不登校になり、隣の校区に転校させてほしいと教育委員会に願いましたが、
無理だったため、校区を変えて引っ越しました。
おかげで、その後は、先生方が励ましてくださる中、一日も休まず登校できるようになりました。
思い起こせば、社会人になってからの引っ越し回数を数えたら、福岡で就職し、結婚して熊本に住み、そのあと、宮崎の私学の教員になったため宮崎に越し、私も宮崎の私学高校の教員として就職。
その後、当時の夫が北海道出身で、札幌の教員になったため、私も札幌の教員試験を受けて札幌市の中学校の教員となり、その後、3子がしょうがいと共に生きる人として生まれたため、悩みぬいた末、教員を辞めて、専業主婦になりました。
それまで札幌でも3回引っ越していましたが、第3子の特別支援学校が近いところに引っ越しました。
その後、DVなどで子どもたちを連れて家を出て2札幌市内を点々と引っ越しした後、東京の国立市に流れ着いたというわけです。これらを合わせると13回も引っ越しを重ねていたことに我ながらびっくりです。
一人親になってからは、引っ越しのたびに、はるばる吸収から手伝いに来てくれた両親。感謝でいっぱいです。
来週までは、両親と同居、離れていてたまにしか会えないので、一緒に過ごす時間を大切にしたいと思います。
窓辺に避難させて冬も花を楽しませてもらったハイビスカスもそろそろ外に出してあげなくては!
今日は、午前中は議会運営委員会でした。
今後の議会運営に関する懸案事項を会派ごとに出し合いました。
私たちの会派からは、本会議と常任委員会だけはインターネット中継と録画を見ることができるが、
開かれた議会とするために、予算や決算のなどの特別委員会や協議会など、公開のものはすべてインターネット中継するべき
という事の他、議事運営上のテーマを2点出しました。
自民党や公明党などからは、陳情は国立市民だけに限るなどの陳情事項の取り決めについての意見や議会へのtablet導入(ペーパーレス化)などが出されました。
少しでも議会運営が地域民主主義の実現となるように改善・工夫していくために、
各会派から出された意見を、一つひとつ検討することになりました。
昨日は、私の宮崎に住む両親が久しぶりに、訪ねてきたので、空港まで迎えに行きました。
母の奈良に住む兄弟に、会いに行きたいと願っていた母は、新幹線などを利用したことがないので、
日曜日から両親を奈良に連れていくことにしました。
父も奈良は初めてということで、とても楽しみにしています。
私も奈良に住むいとこのお姉ちゃんたちとは、中学2年生以来なので、なんと45年ぶりの再会!ワクワクしてきます。
両親も80代となり、自分達だけでいろいろと動くのは大変。私も、やっと、少しでも親孝行をしたいと思うようになりました。
これまでは、自分自身が生きるのに精いっぱいだったけど、少し心に余裕ができてきた気がします。60を前にして、ちょっと遅いかもだけど…
両親が60代や70代のころは、私が引っ越しするたびに、宮崎から手伝いに出てきてれて、助けてくれていました。
ヤドカリで、子供のことやいろいろで引っ越しばかりしてきた私は、国立に住んで14年目ですが、国立市内でも4回引っ越しています。
国立市での最初の引っ越しは、札幌から引っ越してきて中学生になったばかりの息子がいじめにあって不登校になり、隣の校区に転校させてほしいと教育委員会に願いましたが、
無理だったため、校区を変えて引っ越しました。
おかげで、その後は、先生方が励ましてくださる中、一日も休まず登校できるようになりました。
思い起こせば、社会人になってからの引っ越し回数を数えたら、福岡で就職し、結婚して熊本に住み、そのあと、宮崎の私学の教員になったため宮崎に越し、私も宮崎の私学高校の教員として就職。
その後、当時の夫が北海道出身で、札幌の教員になったため、私も札幌の教員試験を受けて札幌市の中学校の教員となり、その後、3子がしょうがいと共に生きる人として生まれたため、悩みぬいた末、教員を辞めて、専業主婦になりました。
それまで札幌でも3回引っ越していましたが、第3子の特別支援学校が近いところに引っ越しました。
その後、DVなどで子どもたちを連れて家を出て2札幌市内を点々と引っ越しした後、東京の国立市に流れ着いたというわけです。これらを合わせると13回も引っ越しを重ねていたことに我ながらびっくりです。
一人親になってからは、引っ越しのたびに、はるばる吸収から手伝いに来てくれた両親。感謝でいっぱいです。
来週までは、両親と同居、離れていてたまにしか会えないので、一緒に過ごす時間を大切にしたいと思います。