5月2日、4時半に起きて、村長が脱原発宣言をしている東海村へ日帰りで行ってきました。
放射能から子どもたちを守る運動をしている市民の方や生活者ネットの議員さんらと5人で意気、現地で映画「ミツバチの羽音と地球の回転」製作スタッフ。である富田貴史さんと合流。
JOCの臨界事故以来、脱原発の声をあげている市民の方に、役場や村の中を案内してもらいました。
東海駅前の地図。東西・南北がそれぞれ7.9㎞の小さな村の海岸沿いに原発関連の施設が並んで立っており、国道245号線沿いにフェンスで囲まれ自由に海岸へ出ることができないようになっています。
海に行けるのは初日の出を見るときだけ許可が出るそうです。
高校時代、時々、宮崎の一ッ葉海岸に行ってぼーっと海を見てたことを想い出して、海があるのに行けないなんて、ありえないことに思えました。
役場には、放射線量の電子掲示板がありました原発によってできた立派な庁舎でした。
村上村長との1時間半にわたる懇親会。
村上村長は、天皇制の国家、国家権力がきらいで、原発も国策として行われ、安全神話にもとで、十分な対策のないJCOの臨界事故以来、東電と政府の在り方について疑問を持ち続けてきたことを、それまでもいろいろな事故があったという事も含めて語りました。
その原点は、水俣病の問題だったそうです。これをきっかけに命や環境問題に関心を持つようになったこと。
また、男女同権という意識から、いのち・食から発想する女性の感覚を村政にということで、職員の採用の際に半分は女性をという画期的な取り組みをしているそうです。
5月5日には、すべての原発が止まります。ここから、今年の夏を再稼働をさせないで乗り切ることが大切と語り合いました。
そのあと、日本共産党の大名美恵子村議と川崎篤子村議とを交えての会食をしました。
もともと、東海村の海はNHKの『鳩子の海』のロケ地にもなった海だったそうです。今、日本で初めての廃炉作業がされているけれども、その作業員も大変だという話や
原発のある地域で脱原発を唱えていくことの困難さなど、ざっくばらんにお話しを伺いました。
午後からは、原発のある海岸の方へ奥に見える鉄塔が東海第2原発です。至近距離に、こんなに民家があります。
これは、海岸近くの「豊岡なぎさの森」
市民の憩いの場でしたが、今は放射線量が高すぎて、立ち入り禁止。このときも、最大線量計が0.6から0・7に
この先が海で、その先に東海第2原発が見えます
『東海テラパーク』からみる東海第2原発鉄塔の右手奥にある灰色の建物が廃炉になった原発です。
ほんとうは、村上村長が臨界事故を教訓にするためにと建てた『JCO臨界事故記念館』も見学したかったのですが、娘を迎えに行く時間の関係で行けなかったのが心残りでした。
短いけれども、充実した一日でした。
いろいろと資料や本は読んできたが、実際に見ること、会っていろいろと話を聞くのでは、また理解が違うと実感。
現地で声を上げている皆様は柔らかい笑顔で、一日車を出して案内していただき、感謝感激です。
原発のある村で声を上げることは、どんなにか勇気のいることか、私たちもしっかりつながり声を上げていかねば!
久しぶりの上野からの常磐線は懐かしく、
〇十年前の大学時代を思い出しました。今は筑波エクスプレスか。
それにしても行きも帰りも『スーパーひたち』は、連休中とは思えないくらいすいていました。
放射能から子どもたちを守る運動をしている市民の方や生活者ネットの議員さんらと5人で意気、現地で映画「ミツバチの羽音と地球の回転」製作スタッフ。である富田貴史さんと合流。
JOCの臨界事故以来、脱原発の声をあげている市民の方に、役場や村の中を案内してもらいました。
東海駅前の地図。東西・南北がそれぞれ7.9㎞の小さな村の海岸沿いに原発関連の施設が並んで立っており、国道245号線沿いにフェンスで囲まれ自由に海岸へ出ることができないようになっています。
海に行けるのは初日の出を見るときだけ許可が出るそうです。
高校時代、時々、宮崎の一ッ葉海岸に行ってぼーっと海を見てたことを想い出して、海があるのに行けないなんて、ありえないことに思えました。
役場には、放射線量の電子掲示板がありました原発によってできた立派な庁舎でした。
村上村長との1時間半にわたる懇親会。
村上村長は、天皇制の国家、国家権力がきらいで、原発も国策として行われ、安全神話にもとで、十分な対策のないJCOの臨界事故以来、東電と政府の在り方について疑問を持ち続けてきたことを、それまでもいろいろな事故があったという事も含めて語りました。
その原点は、水俣病の問題だったそうです。これをきっかけに命や環境問題に関心を持つようになったこと。
また、男女同権という意識から、いのち・食から発想する女性の感覚を村政にということで、職員の採用の際に半分は女性をという画期的な取り組みをしているそうです。
5月5日には、すべての原発が止まります。ここから、今年の夏を再稼働をさせないで乗り切ることが大切と語り合いました。
そのあと、日本共産党の大名美恵子村議と川崎篤子村議とを交えての会食をしました。
もともと、東海村の海はNHKの『鳩子の海』のロケ地にもなった海だったそうです。今、日本で初めての廃炉作業がされているけれども、その作業員も大変だという話や
原発のある地域で脱原発を唱えていくことの困難さなど、ざっくばらんにお話しを伺いました。
午後からは、原発のある海岸の方へ奥に見える鉄塔が東海第2原発です。至近距離に、こんなに民家があります。
これは、海岸近くの「豊岡なぎさの森」
市民の憩いの場でしたが、今は放射線量が高すぎて、立ち入り禁止。このときも、最大線量計が0.6から0・7に
この先が海で、その先に東海第2原発が見えます
『東海テラパーク』からみる東海第2原発鉄塔の右手奥にある灰色の建物が廃炉になった原発です。
ほんとうは、村上村長が臨界事故を教訓にするためにと建てた『JCO臨界事故記念館』も見学したかったのですが、娘を迎えに行く時間の関係で行けなかったのが心残りでした。
短いけれども、充実した一日でした。
いろいろと資料や本は読んできたが、実際に見ること、会っていろいろと話を聞くのでは、また理解が違うと実感。
現地で声を上げている皆様は柔らかい笑顔で、一日車を出して案内していただき、感謝感激です。
原発のある村で声を上げることは、どんなにか勇気のいることか、私たちもしっかりつながり声を上げていかねば!
久しぶりの上野からの常磐線は懐かしく、
〇十年前の大学時代を思い出しました。今は筑波エクスプレスか。
それにしても行きも帰りも『スーパーひたち』は、連休中とは思えないくらいすいていました。
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