
以前から知覧の事は少しだけでしたが知識はありました。
お茶も有名ですが何より、昭和20年(1945)沖縄での日米開戦で
千数百名の二十歳前後の若者たちが、大きな爆弾を抱え、知覧を飛び立ち
帰らぬ人になったことである。祖国のためにと大義名分で。

展示館内は撮影禁止になっていたが時間もありゆっくりと見ることができた。
数千点の戦争に関するものの展示、そしてその若者たちの
手紙や遺品、、。今から見ればそれは与えられた《義務》だったかもしれないが。
現代の若者たちには是非見てもらいたい。今は幸せである。
復元された戦闘機や海底から引き上げられた戦闘機などの展示もありました。

たまにはこういう過去にあった大きな現実を知ることで、
今の生活に刺激を与えないとだらけた生活になることでしょう。
折りしもきょうの新聞に、復元されたゼロ戦が鹿児島の鹿屋基地で
試験飛行したとの記事がありました。
これからも、1945年以来の戦後が続くことを願います。