ケン太とのprecious days

3度の不登校を経て、なんとか高校を卒業し、社会人になったケン太。社会での成長&安定を見守る母のブログです。

北星学園余市・・・存続の危機?(;_;)

2016-02-14 12:53:06 | つれづれ
昨日、ニュース番組の特集でやっていたんです。

北星学園余市が廃校の危機にあることを・・・
去年の入学生が40人。今年90人に満たなければ存続が危ぶまれると。

日本で初めて中退者を受けいれた高校で、
当初は高校を退学されられた、不良とよばれる若者ばかりだったようですが、
今ではリスカなど心の傷を負っている子、発達障害の子、いろんなタイプの子がいて、
不登校経験者は7割を占めるとのこと。

多くの生徒を救ってきた学校です。

ヤンキー先生といえばわかりますか?
ヤンキー先生の母校であり、先生との出会いにより、ご自分も教師となることを決意。
この学校に先生として戻ってきます。
ドラマ化もされました。

この高校は、一時期、ケン太の第一志望校だったんです。

関東で行われた学校説明会に参加したことがあります。

当初の記事・・・「学校説明会の反応は?」

当時の説明会で、この学校を卒業したお子さんの保護者がたくさんいらしていましたが、
「とにかく先生が違う」「先生は本物」と皆さんが言っていたのが印象的でした。

ケン太も好印象を持ったようでした。

ヤンキー先生の教育哲学は・・・

「問題を起こしたら、これはダメ、あれもダメではなく、抱きしめてあげる」
「転ばせて痛みを学ばせる教育」だそうです。


昨日のニュース番組で、
校長が生徒に、学校の存続の危機を説明する場面が写りだされていました。

最後に言葉に詰まり、涙する校長先生。

終わった後に、校長先生の側に行き、「大丈夫?」「頑張って」と肩をポンと叩く生徒達。
先生を抱きしめる女子高校生も。

その光景に涙がでてきました。

こんなに先生と生徒の距離が近い学校。
なかなかないですよね。

職員室はいつも生徒の溜まり場になっているらしいです。

子どもは信頼できない大人には近づかない。
いかに先生達が信頼されているのかがわかります。

まして、大人を信頼することが出来ず、非行に走ってしまった子もたくさんいる学校。
だからこそ、偽りは見抜いてしまいます。
そこには「本物」しかないのだろうと思います。

説明会の時、個人面談をさせていただいたのですが、
この先生だったら、ケン太の今は違ったものになっていたかもしれない。
と思ったのを覚えています。


北海道の果てにある学校ですから、全国各地から生徒が来ていて
9割が寮生活をしています。

民宿のような宿泊施設や、自宅を解放しているところ。
たくさんの寮があります。

その寮母さんたちも生徒の親がわりとなる大切な存在です。
寮と学校との連携も素晴らしく、一緒になって子ども達を育てているので、
寮母さんたちも嘆願書を書いたり、学校の存続を必死に願っています。


ただ、今は経済的に厳しく、学費と寮費の負担を考えると、
入学したいけど出来ない子がたくさんいるそうです。
4分の一が非課税世帯だそうで・・・

そういう世帯は入学金が免除になったり
授業料が半額になる、奨学金制度も取り入れたり学校は努力を重ねています。

ただ、やはり厳しい現実があるわけで・・・


でも、でも、無くなるのは嫌だ。。。

こんないい学校が無くならないでほしい。


そんな想いで一杯です。


この学校の生徒の年齢は様々です。
1年、2年遅れはザラにいます。
25を過ぎても、高校をやり直したくて入ってくる人もいるようです。

いつからでもやり直せる場所。
だから、この高校のことはいつも頭の隅にありました。

ケン太がもし・・・
そんな可能性もゼロではない学校だと思ってきました。


これまでをリセットしてやり直せた子。
この学校で、自分の居場所を見つけられた子。

社会人になっても、先生や後輩達に会いに学校を訪れる子も多いと聞きました。

そんな卒業生のためにも、母校を残してあげたいです。


HPはこちらです→北星学園余市高等学校



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どんなに悩み、苦しんでも・・・

2016-02-05 16:37:56 | つれづれ
私の腰の方ですが、完全によくなりました

腰を守るためか右足の太ももにも痛みが出てきてしまったり、
ある日は背中が痛かったり、あちこちに支障が出てしまったのですが、
それもよくなりました。
もう、何をしても何処も痛くないです。

痛めた直後は、カ○ブスのマシーンの乗り降りでも腰に痛みを感じていたものが、
二日後には少し痛みを感じる程度で控えていたマシーンが使えるようになり、
1週間後にはさほど気にならなくなっていました。

全治3~4週間と言われていましたが、2週間で治りましたね。

これも整骨院の治療とカ○ブスの筋トレとダブル効果かなと思います


先日、体調不良明けで久しぶりにカ○ブスに行ったら

「久しぶりですよね?体調でも悪かった?」と声掛けしてもらいました。

私がしばし休むのは体調悪い時だけですからね
気にかけていただくと嬉しいものですね

そして、遅ればせながら誕生日プレゼントもいただきました。

今年はこれ・・・



ハンカチでした。

60~70代が多いカーブスで、どれだけCOACHのこと知っているのかな?とも思いますが



話は変わりますが・・・

カ○ブスでは、去年もこの時期にそうだったのですが、

コーチがメンバー宛てにお手紙を書いてくださいます。
店長さんから始まって、毎週、ひとりずつ。
全員のコーチのお手紙をいただくことができます。

先々週、第一弾として店長さんのお手紙をいただきました。

書き出しはメンバーへの感謝の気持ち。
そこから、個人的な内容になるのですが、今回の店長さんのお話は
健康診断で要検査になり、精密検査の結果癌ではなかったものの、癌化する可能性が高く、
今度、経過観察のために通院しなければならないというもの。
一時期は、もの凄く落ち込んで、辛い時期もあったけど、
メンバーの皆さんの明るさに支えられている・・・という内容でした。

その後、店長さんとメンバーさんが神妙な面持ちで話されている場面を度々見かけるようになり、
皆さんが心配して声掛けされているんだろうなと思っていました。

私は大腸がんの手術をしているので(2年半前くらい?自分で忘れるくらいですが
「癌の手術を受けましたが、この通りピンピンしてますよ~」と少しでも希望を持ってくれたらいいなと
声かけるタイミングをみていました。

その二日後くらいに、お話できるタイミングがあったので、声かけしてみました。

「私、癌の手術したことがあるんですよ」
「え?そうなんですか?どこ手術しました?」
「大腸です」
「そうだったんですね~私、子宮なんです」

その言葉を聞いた瞬間に次の言葉が出てこなかったです。

コーチはいたって明るく

「お互いに頑張りましょね!!」と元気よく笑顔で返してくれました。


お手紙には、何の癌とは書いていなかったのです。

店長さんはまだ独身でお若いです。
前職は幼稚園の先生だったそうですが、椎間板ヘルニアになり続けられなくなり、今の仕事に就いたとのこと。

幼稚園の先生だったのですから、お子さんがお好きだと思います。
この先、結婚して、自分の子どもを身ごもりたい・・・という夢があるはず・・・

もしかしたら、その夢が断たれるかもしれない。
癌という病だけではない、女としての喜びも奪われてしまうかもという失望感。
この先の見えない不安との葛藤・・・

私の大腸なんかとは比べものにはならないです



その時に思ったのは・・・

ケン太がいてくれてよかった!

・・・ということ。

ケン太のことでいろいろ悩んだり苦しんだりしてきたけれど、
じゃあ、生まれてこなければよかった?と問うと

そんなことは絶対にない!

子どもが欲しいのになかなかできなくて、
不妊治療にも通い、やっと授かった命だもの。

子どもに悩んだり、苦しんだり・・・
でも、それは子どもがいるからこその悩み。苦しみ。

育てることができるからこその悩み。苦しみ。

子どもが出来ない辛さに比べたら・・・なんてことない。

ケン太ももう18歳になって、
今さら、授かった命のありがたみについて考えることもなくなっていたけれど、
改めて思い返すことができました。

子どもがいるって幸せだなぁ~

ケン太、生まれてきてくれてありがとう


このままコーチの身に何事も起こらないことを願うばかりです。
そして、いつか女としての幸せを掴んでほしいな~





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あなたはポジティブ?ネガティブ?

2015-10-29 23:58:31 | つれづれ
こんなカレンダーが発売されているそうです。




「ヒロシです・・・・」のあの方。

世の中「前向きに生きよう」というメッセージの方が圧倒的に多いですよね。

そんなポジティブ思考とは真逆の「ネガティブワード」で構成され
「前向きじゃなくても生きていける」というコンセプトとして制作されたそうです。
頑張って生きることに少々疲れていて癒されたい方にお勧めとのこと。


ポジティブ代表といえばこの方。




このカレンダー、発売からわずか10か月で100万部を突破し話題になりましたが、
ヒロシさんのは9月に発売されすでに4万部を突破したとのこと。
修造さんを越える勢いです。
凄いですね。

世の中どれだけお疲れの方が多いのでしょう・・・

この話題を取り上げていた番組で、視聴者アンケートをやっていたのですが、

「あなたはポジティブですか?それともネガティブですか?」というもの。

結果は、なんとネガティブが圧倒的に多かったです。
ポジティブと答えた方の倍いました。

このカレンダーが売れるわけですね。



私はすでにお気づきだと思いますがかなりポジティブの方だと思います。

この番組、ケン太も見ていたので、「ケン太はどっち?」と聞いてみました。

「俺?ポジティブ!!」と元気よく返事が返ってきました。

「そう。ポジティブ?」

「え?そうだよね?そう見えない?」

見えます

「でもさぁ、世の中の人って、前向きに生きようっていうことイコールポジティブとか思っているよね?」
「ポジティブに考えたことと、ネガティブに考えたこと。結果は同じってことあるしさ~」

いろいろ語っていましたが、意味がよくわかりません

「めんどくさ。また語ってるわ~」という私の心を読んだか

「話すと長くなるからいいわ」って止めてしまいましたが


ポジティブに物事を考えられればいいだろうけれど、
全てにおいてそう考えるのはなかなか出来ないことだし、
「ポジティブに行こう!」って一生懸命、暗示をかけても、
なかなかそうなれない時、「やっぱりダメだ・・・」って落ち込んでしまったりするよね。

「ネガティブでいいじゃない」って割り切ってしまう方がいいのかもしれないね。

でも、その考え方こそ、ポジティブなんじゃない?

ネガティブカレンダーはポジティブになれるカレンダーなのかもね




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父を偲んで・・・

2015-08-18 23:29:21 | つれづれ
お盆だったので、父を偲んで・・・

父が亡くなった時のことを書こうと思います。


父は平成19年の11月に、動脈瘤破裂で倒れ、
その日のうちに帰らぬ人になりました。

動脈瘤があることはわかっていたのですが、
高齢だったので手術を断念。

2年持つか持たないか・・・と医師に宣告されていましたが、
持ったのは1年半でした。

父も私も覚悟をしていた死でした。
86年の生涯でした。

父は社交的で、人当りもよく誰からも好かれる人でした。
外と家と・・・その姿にまったく変わりがなく、いつも笑顔の穏やかな人でした。
愚痴はいっさいこぼさず、いろんなことを楽しみに変えられる人でした。

自分の身内をこう言うのもなんですが、
主人が「こんないい人に今まで出会ったことがない」と言っていたくらいでした。
義母も「仏さんのような人」と言っていました。

貧乏農家に生まれ、12人兄弟の8男。
ひとつのりんごを兄弟で分け合うような暮らし。

尋常小学校を卒業すると、親が奉公先を決めていました。
奉公があけると次の奉公先へ。

今では想像できないような苦労の日々だったようです。

晩年は、遊べなかった若い頃の日々を取り返すように、
いろんな趣味を楽しんでいました。

グランドゴルフ、カラオケ、囲碁、写真、旅行・・・

それぞれの仲間とよく出かけていました。


その日も、グランドゴルフをするために、近くのグランドに向かう
父を玄関で見送りました。

いつもの光景でした。

その後、私は、その頃通っていたテニススクールへ。

私がテニスをしている最中に、父はグランドで倒れました。

幸いにも仲間が側にいたので、救急車で搬送される時も父に付き添ってくれました。

テニスが終わり、やっと私がその事態を知った時には、
すでに、最初の病院から別の遠くの病院に搬送されている時でした。

母を連れて病院に行こうと、一旦、家に戻りましたが
母はいませんでした。

留守番をしていた母は、最初の一報を受けた時に、「今から行きます」と
慌てて外に飛び出してしまったようです。
認知症の母が行ったこともない病院に辿りつけるわけもなく
(歩いていける距離ではない)そのまま行方不明になってしまいました。

母のことが心配でしたが、父の元へ急がなければならないので、
家に鍵を閉めず、お隣さんに母と学校に行っているケン太のことをお願いして
ひとりで病院に向かいました。

車で約40分の離れた病院。

やっと辿りつき、診察室に通されると、
すでに父が息を引き取ったことを知らされ、父と対面しました。

倒れた時にすでに意識がなく、搬送される救急車の中で
最期を迎えたとのことでした。

ついにその時がきてしまった・・・

先生にお礼を言い、涙を流しながら、
まだ温かい父の頬に手をあて頭をそっと撫でてあげました。


その後、病院に葬儀屋さんの手配をお願いして、葬儀屋さんが到着するまで、
警察に連絡して母のことお願いしたり、親戚に連絡を入れたり、
お隣さんに様子を伺ったり・・・

出張している主人とまったく連絡がつかず・・・
母も見つからないまま・・・

葬儀屋さんと一緒に自宅に戻り、父を安置し、
わたしひとりで葬儀の打ち合わせをしました。

通夜や告別式までに母が見つからなかったらどうなるんだろう・・・
と思いながら。

母は夜の10時過ぎに見つかりました。
民家の庭に迷いこんでしまったため住民に通報され、保護されたのです。

本来ならば迎えに行かなければならないのですが、事情を話すと
パトカーで家まで連れてきてくれました。

すでに、父の死後10時間近く経っていたと思います。

祭壇の前で、白い布を被された父の姿を呆然と見つめ、
何が起きたか事情が呑みこめない母。

そんな母の姿にケン太が涙をこぼしていました。


その後も、父の姿に混乱して、

「お父さん、なんでここで寝ているの?」
「死んだの?」って何度も何度も聞いてきた母。
「こんな冷たい物置いて、かわいそう!」と父の胸の上の保冷剤を取ってしまったり。

葬儀が終わった後も、遺影を見ては

「これ、お父さんの写真?」
「なんでここに写真があるの?」
「お父さんって死んだの?」といつも混乱を起こしてしまう母。

あまりにもかわいそうで、しばらく遺影を隠していました。

「お父さんゴメンネ。でも、わかってくれるよね」と父に謝りを入れて・・・


永年連れ添った夫の死もわからなくなってしまうなんて
本当に哀れに思います。

でも、わからないから、落ち込んでしまうこともなかったので、
かえってよかったのかなと思うようにしています。


父の葬儀の後、

「娘さん、テニスやっていたんだってね」と聞えよがしに言う人がいました。

あの日、父が倒れたのに娘は呑気にテニスをやっていた・・・
と呆れているのでしょうか。

確かにあの日、家にいれば、最初の一報を私が聞いて
すぐ駆けつければ、最初に運ばれた病院に間に合ったかもしれません。

その後、別の病院に搬送される時、救急車の中で
父の死に立ち会うこともできたかもしれません。

でも、私は病に伏している父を置いて、テニスをしに行ったわけではありません。

父はいつもと変わらず家を出て行きました。
だから私もテニスに向かいました。

その後に起きたことで、誰にも予想できなかったことです。
仕方のないことです。

私はテニスに行ったことについて後悔などはしていませんでした。

そのことをどう受け止めるかは、その人それぞれでいいはず。
当事者でもないのに、勝手なことを言う人がいるものだなと思いました。

確かに父の死の瞬間に立ち会えませんでした。

でも、すでに倒れた時に意識はなく、私がすぐ駆けつけても
もう言葉を交わすことなどできなかったのです。

父が倒れて、息を引き取るまでの緊迫した様子は何も知りません。
何も思い出せるものがないのです。

思い出せるのは、すでに亡くなっている安らかな父の顔だけ。
出て行く前の元気な姿だけ。

父が、残された者の脳裏にそれだけを残すようにしてくれたのかもしれません。
悲しい父の姿よりも、元気な姿だけを思い出せるように・・・

どこまでも優しい父です。


遺影の父は今日も穏やかな笑顔です。

今も天国でいろんなことをして楽しんでいるかな?

隣で微笑んでいる母と何時までも仲良くね。



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電車の中で怖い目に遭った時・・・

2015-07-07 17:40:38 | つれづれ
友達の娘さんですが、先日、学校から帰宅途中
電車の中で変質者に遭い、怖い思いをしたとのこと。

娘さんが座席に座っていたら、隣の車両から移ってきた男が
娘さんの隣に座り、身体と顔を寄せてきて、まじまじと覗き込むのだとか。

怖くなって立ち上がり、ドアの方に移動したら、
その男も立ち上がり同じドアに寄ってくる。

次の駅に到着し、降りると装って、一旦ホームに降りたら、その男も降りてくる。
娘さんがまた電車に乗ったら、その男もまた乗って来たそうな。

自分の降りる駅まであと一駅なので、そのまま耐え
次の駅についたら、ホームから走って改札を抜け
お母さんが待つ車に乗り込んで難を逃れたのだとか。

泣いている娘さんから事情を聞きながら、家まで帰ったそうだけど、
これはちょっと駅に事情を話しておこうとまた駅に向かったそうな。

事情を話したところで、もうその男はいないし、
駅としても、もう、どうしようもないことなのだけど、
(駅側の最初の反応はそうだったらしい)

友達は「そういう目に遭ったらどうしたらいいか?」

を聞きたかったとのこと。


その質問には丁寧に答えてくれたそうな。

まずは、そういうケースはよくあることらしい。

電車を降りても追いかけてくる場合は、
駅員に言うか、駅員室に飛び込んできてほしい。
そこで保護をする。

親御さんが迎えにこれない場合は
警察官が家まで送り届けてもくれる。

電車の中で逃げ場がない場合は、
非常停止ボタンを押していい。

ドアは開かないので、変質者は逃げられない。
捕り押さえることができる。

こういうケースで電車を止めてもご家族に
電車が遅延したことでの損害賠償金の請求がいくことはないです。

・・・とのこと。


非常停止ボタンを押していいとはビックリ。
あくまでもこちらで利用しているローカル線のことで、
他の電車も同じなのかはわからないですが・・・

最終手段でそれがあると知っておけば安心だね。

変質者、不審者は、どこにでもいるし、
今回のことも、誰にでも起こり得ることだから、
いざという時の対処方法を知っておくのって大切だなと思った。

ケン太は時間が遅くなってもひとりで駅から歩いて帰ってくるんだけど、
男だから、そう心配はしていないんだけど、

やっぱり、女の子は心配だよね。






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