今日はモニターでした。
今日、向かったところが、まあ、まあ、素敵なオフィスでして。
ビルの前に並木道が~ロビーがひろくて美術館みたい~
トイレにオアシスですよ。
こんな広々とした明るい空間でお仕事されている人もいるんだよね~
恵まれた環境だなぁ~
大企業ってこういうことかぁ~(笑)
その時に、私の就活を思い出しました。
東京駅にまあまあの高さの自社ビルを持っている会社があり、試験を受けに行った時、
「こんな素敵なビルで働きたい~どうか受かって~」と願ったものです。
もっともっと素敵なビルはたくさんあっただろうと思いますが、
当時、お上りさんだった私には、目の前のそのビルが輝いてみえたんですね。
採用にはなったんですが、配属先は、同じ東京駅ではあるけれど、古い雑居ビルの1階でした(笑)(今はもう取り壊されています)
その後、ローカルな沿線駅の高いビルなんてないところに転勤になりました(笑笑)
今日、向かったところが、まあ、まあ、素敵なオフィスでして。
ビルの前に並木道が~ロビーがひろくて美術館みたい~
トイレにオアシスですよ。
こんな広々とした明るい空間でお仕事されている人もいるんだよね~
恵まれた環境だなぁ~
大企業ってこういうことかぁ~(笑)
その時に、私の就活を思い出しました。
東京駅にまあまあの高さの自社ビルを持っている会社があり、試験を受けに行った時、
「こんな素敵なビルで働きたい~どうか受かって~」と願ったものです。
もっともっと素敵なビルはたくさんあっただろうと思いますが、
当時、お上りさんだった私には、目の前のそのビルが輝いてみえたんですね。
採用にはなったんですが、配属先は、同じ東京駅ではあるけれど、古い雑居ビルの1階でした(笑)(今はもう取り壊されています)
その後、ローカルな沿線駅の高いビルなんてないところに転勤になりました(笑笑)
でも、今はどんな素敵なオフィスであっても、混雑した電車に乗って、時間をかけて向かうことを考えるとね。
今、働き始めるのなら、地元のローカルな職場がいいかなぁと思いますよ。
話がそれました![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ase.gif)
その素敵なビルで、いろいろ検査をしデーターを提供したわけですが、
(SNSで内容を公表することは禁止されているのでそこまでです)
それを担当していたのが、まだ初々しさが残る男子。
多分、研究職でしょうから、バリバリの理系男子ですね。
その時に、ケン太もこうなる可能性はゼロではなかったんだろうなと思ったりもしました。
主人は自分が研究職になりたかったけど、叶わなかったので、ケン太に密かな希望を抱いていたのです。
数学が得意だった主人が、ケン太のことを「俺より数学的センスがある」と言っていたので、
まったく無理な夢ではなかったかもしれません。
受験熱が高まってきたケン太は、自ら希望して、当時、一番の実績を誇っていた塾へと転塾しました。
あのまま不登校にはならず、受験して、どこかの中高一貫に入ったとしたら、
多分、大学に進学したと思うし、どこかの企業に入っていたかもしれません。
今とは違う人生になっていたと思います。
でも、今のケン太に、どこかの企業に就職する姿は全然、想像がつかないし、やれるとも思えないです。
ずっと波に乗れて進んでいくのと、
躓いて、勉強から遠ざかってしまい家にいるのと、
過ごしてきた環境が違うし、友達も違ってくるかもしれないし、経験値が違ってくる。
一度、止まってしまったら、そこから違う人生が始まると考えたほうがいいと思います。
もちろん、後から追いかけて、辿りついて、
止まる前の続きから、また始められる人もいると思います。
でも、ケン太のように、小、中、高と不登校になった場合、
中高一貫校から順調に社会人になる人生と同じになるわけがありません。
そこからどう「切り替え」ができるのかが、鍵になると思います。
今、優等生タイプの不登校が多いのは、その「切り替え」が上手く出来ないからじゃないでしょうか。
成績が落ちてしまったことを受け入れられず、自信を失い、プライドもズタズタになり、
逃げ出すように休んでしまう。
「やれば出来るはず」「取り返せるはず」
そう思えば思うほど、空回り。
過去の自分にしがみついていては、解決できない。
今の自分。そうなってしまった自分。
それが自分なんだ。それでいいんだ。
自分が出来ることをやっていくんだ!
そう思えるかだと思います。
ケン太は小学5年生で不登校になり、まったく勉強が手につかなくなり、
その時点で、もう中学受験は無理だと諦めたようです。
6年生で復学できましたが、毎日、毎日、友達が家に遊びに来て、楽しそうに遊んでいました。
受験のことは、すっかり吹っ切れたかのように思っていましたが、
そうでないことが、中学生になってわかりました。
「文化祭、たいしたことないよね」とか?
中高一貫校と比べるような発言が出てきました。
「本当だったら・・・・」「こんな学校に来てしまった」という思いが、
中学校生活を楽しめないものにしていたようです。
クラスで友達を作ろうとしなかったのも、そのせいかもしれません。
それが気になり、ケン太に話をしたことがあるのですが、
それで、ケン太は吹っ切れたと思います。
多分、ケン太は中学受験の勉強をしていて、自分は友達よりできると、
クラスの子を下にみていたんじゃないかと思う。でも、勉強をしなくなり、中学受験をやめて、
そんなことはもう思えなくなっていると思う。
あのままだったら嫌な人間になっていたかもしれない。
そんな人間にならなくてよかったのでは?
こんな話でしたが、ケン太は「そうかもしれない」と納得していました。
それから、ケン太は自分を縛っていたものから抜け出し、
今の自分でいいんだというように変わってきたように思います。
今のケン太は、
中学受験を断念した後悔はないと思うし、
「やれば出来るはず」「取り返せるはず」などという過去の自分にも縛られていないと思います。
だから「俺は幸せだ~」と言えるのかなと。
あと、これも、親が「やれば出来るはず」「取り返せるはず」と思わないことですね。
親がいつまでも、「不登校にならなかったら・・・」とか
取り戻せない過去を悔いていると、子どもも何時までも苦しいかなと思います。
話がそれました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ase.gif)
その素敵なビルで、いろいろ検査をしデーターを提供したわけですが、
(SNSで内容を公表することは禁止されているのでそこまでです)
それを担当していたのが、まだ初々しさが残る男子。
多分、研究職でしょうから、バリバリの理系男子ですね。
その時に、ケン太もこうなる可能性はゼロではなかったんだろうなと思ったりもしました。
主人は自分が研究職になりたかったけど、叶わなかったので、ケン太に密かな希望を抱いていたのです。
数学が得意だった主人が、ケン太のことを「俺より数学的センスがある」と言っていたので、
まったく無理な夢ではなかったかもしれません。
受験熱が高まってきたケン太は、自ら希望して、当時、一番の実績を誇っていた塾へと転塾しました。
あのまま不登校にはならず、受験して、どこかの中高一貫に入ったとしたら、
多分、大学に進学したと思うし、どこかの企業に入っていたかもしれません。
今とは違う人生になっていたと思います。
でも、今のケン太に、どこかの企業に就職する姿は全然、想像がつかないし、やれるとも思えないです。
ずっと波に乗れて進んでいくのと、
躓いて、勉強から遠ざかってしまい家にいるのと、
過ごしてきた環境が違うし、友達も違ってくるかもしれないし、経験値が違ってくる。
一度、止まってしまったら、そこから違う人生が始まると考えたほうがいいと思います。
もちろん、後から追いかけて、辿りついて、
止まる前の続きから、また始められる人もいると思います。
でも、ケン太のように、小、中、高と不登校になった場合、
中高一貫校から順調に社会人になる人生と同じになるわけがありません。
そこからどう「切り替え」ができるのかが、鍵になると思います。
今、優等生タイプの不登校が多いのは、その「切り替え」が上手く出来ないからじゃないでしょうか。
成績が落ちてしまったことを受け入れられず、自信を失い、プライドもズタズタになり、
逃げ出すように休んでしまう。
「やれば出来るはず」「取り返せるはず」
そう思えば思うほど、空回り。
過去の自分にしがみついていては、解決できない。
今の自分。そうなってしまった自分。
それが自分なんだ。それでいいんだ。
自分が出来ることをやっていくんだ!
そう思えるかだと思います。
ケン太は小学5年生で不登校になり、まったく勉強が手につかなくなり、
その時点で、もう中学受験は無理だと諦めたようです。
6年生で復学できましたが、毎日、毎日、友達が家に遊びに来て、楽しそうに遊んでいました。
受験のことは、すっかり吹っ切れたかのように思っていましたが、
そうでないことが、中学生になってわかりました。
「文化祭、たいしたことないよね」とか?
中高一貫校と比べるような発言が出てきました。
「本当だったら・・・・」「こんな学校に来てしまった」という思いが、
中学校生活を楽しめないものにしていたようです。
クラスで友達を作ろうとしなかったのも、そのせいかもしれません。
それが気になり、ケン太に話をしたことがあるのですが、
それで、ケン太は吹っ切れたと思います。
多分、ケン太は中学受験の勉強をしていて、自分は友達よりできると、
クラスの子を下にみていたんじゃないかと思う。でも、勉強をしなくなり、中学受験をやめて、
そんなことはもう思えなくなっていると思う。
あのままだったら嫌な人間になっていたかもしれない。
そんな人間にならなくてよかったのでは?
こんな話でしたが、ケン太は「そうかもしれない」と納得していました。
それから、ケン太は自分を縛っていたものから抜け出し、
今の自分でいいんだというように変わってきたように思います。
今のケン太は、
中学受験を断念した後悔はないと思うし、
「やれば出来るはず」「取り返せるはず」などという過去の自分にも縛られていないと思います。
だから「俺は幸せだ~」と言えるのかなと。
あと、これも、親が「やれば出来るはず」「取り返せるはず」と思わないことですね。
親がいつまでも、「不登校にならなかったら・・・」とか
取り戻せない過去を悔いていると、子どもも何時までも苦しいかなと思います。