前の記事のつづきです。
「コメダ珈琲店」でのひと時。
主人は新聞を読んだりして、くつろいでいました。
私は本を持っていったけど、老眼鏡を忘れた~
私が手持無沙汰なもので・・・ケン太の話もしました。
ケン太は学校へ行こうとすると身体が動かなくなっている。
2学期からという気持ちもあるようだけど、
諦めの気持ちの方が多くなっているだろう。
主人もそう思っている。
主人は、行けないことに苦しむなら、「行かなくていいよ」と言ってあげた方がいい。
その方が気持ちが楽になるだろう・・・と言う。
でも、私はそうは思わない。
ケン太は、行きたいのに行けないのだ。
ケン太がはっきり言葉にして伝えてくるわけじゃないけれど、
言葉の端々にその気持ちが読みとれる。
学校に行かなくてもいいなんて決して思っていない。
行きたくないと思っているわけじゃないのに、
学校を完全に諦めているわけじゃないのに、
「行かなくていいよ」と言われたら、どうだろう・・・
行きたい気持ちに蓋をしてしまうかもしれない。
私は、とても危険な言葉だと思う。
安易に使ってはいけない言葉だと思う。
それを、主人はわかってくれた。
「じゃあ、俺らはどうしたらいいんだ?」って聞いてきた。
どうしたらいいだろう・・・
何ができるだろう・・・
私もずっと考えている。
親ができるのは、まずは、行きたくても行けない辛い気持ちをわかってあげること。
子どもは自分を理解しようとしない人間に心を開くことはない。
「本当は学校へ行きたい」その言葉を引き出せたら、そのためにどうしたらいいかを
話合うこともできるだろう。
何ができるかはそれから・・・
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