




















でも、一番利用しているのが「クックパッド」です。
会員になると、人気順がわかり、どれも美味しいので、ほぼそればっかりです


今日は久々に気持ちのよい青空でした
洗濯物を外に干せて気持ちよかったです。
昨日までぐずついたお天気が続いていましたが、それはけん太にとって望むところです。
駅まで車で送ってもらえるのでね
2日前?けん太が嬉しそうに起きてきて「雨だよね?」と
「どうかな?今も降っている?」と言うと「雨だよ。もう雨認定だからね!」と。
もう雨認定で動くから、車よろしく!のアピール?(笑)
けん太の希望通り、けん太の出る時間も雨は降り続けていました。よかったね(笑)
けん太のシャワーの後、お風呂場の水滴などとっていた私ですが、けん太が出る時間にかかってしまって
「みぃみ!もう出るよ!何してんの?スタンバってててよ。1分でも遅れたら、電車行っちゃうんだからね」と急かされました。
慌てて車に乗った私ですが、駅に着いたのは、電車の発車時間の1分半前。
けん太は小走りで改札に向かいました。
電車は来てなかったから、間に合いましたけどね。
どうにかセーフ!!
次の日も雨で、車を出しましたが、その時は2分前。
2分前ならまあ余裕かな(笑)
連続して、けん太が間に合う時間に支度をしていたことは間違いないです。
朝の心配はもうなくなったと思っていいようです。
しかし、「電車、行っちゃうんだからね」の言葉には笑いました。
ちょっと前まで、平気で遅刻してたくせに~その時のケン太に、その言葉をそのまま返してやりたい!(笑)
そんな言葉がまた普通に出てくるようになったのはいいのですが、
改めて、あの10日間ほどのお休みと遅刻のオンパレードはいったいなんだったんだろうと思いましたよ。
けん太は、何かが起きていても、しれっとして、表情に出さないタイプなので(私と似ているってことですね)
もしかしたら、危なかったかもしれないです。
ほんと怖いです。
このまま何事も起こらないなんて、全く思っていませんが、
あまり波風たたないことを願うばかりです
今日は少し久しぶりの友達と会いました。
まずは、そのままで食べてみて、次は焼いてみて・・・どっちもいける!
けん太の「うん!上手いかも!」いただきました!(笑)
ありがとねぇ~ご馳走さまでした~
昨日の映画で思ったことですが・・・
淡々と繰り返される何気ない日々に幸せを感じる・・というのは、実は私もそうなんです。
友達とたまにランチに行ったり、1年に1回くらい、旅行に行ったり・・・
いろいろと「楽しめる」自分時間を持てていることは、本当にありがたいことです。
ただ、私は決して「グルメ」ではないのです。
友達と会って話したいからランチに行くという感覚です。
だから、いつも行くカフェで全然かまわないんです。
私の友達は、グルメ好きが結構いて、新しいお店や評判のお店をリサーチしてい、ありがたいことに「このお店どう?」とか言ってくれるので、それならば、食事も楽しんじゃおうと思って出かけています。
旅行も独身時代はいろんなところに行っていて、次は何処にいこうかな・・・と常に思っているような、旅行好きな私でした。
ただ、主人が旅行好きではないので、行ってもそんなに楽しくないんです。
それで行かなくなり、行かないのが当たり前になってきたからか、行きたいという気持ちが湧かなくなってきたんです。
(行けないストレスを回避できるように?自然と要求がコントロールされたのかもしれません)
最初、友達に「旅行行かない?」と誘われ「何処か行きたいところある?」と聞かれた時に、
「どこもない」ことに気がつきました 考えても出てこない・・・
旅行自体は、友達と一緒に行くのなら楽しいかな・・・とは思うので、行くのはOKなのですが、
行先はどこでもいいので!友達が行きたいところに行くよ!という感じになってしまっています
(なんか乗り気じゃない人みたいで、いつも申し訳なく思うのですが)
多分、私は、友達と会えるのが楽しい・・・のであって、
ランチに行くのが楽しみ。旅行に行くのが楽しみ・・・ではないんだと思います。
義母がまだ元気で動けた頃、1年に1回、我が家に遊びに来て、2~3週間滞在していました。
普段、質素な生活をしている義母なので、たまには外食して、美味しいものを食べに行こうとか、何処かドライブで景色のよいところに連れ出してあげようとか、思うじゃないですか。
でも、それには、義母はそんなに乗り気じゃなかったんです。
どちらかといえば、私たちが行きたいんだろうから、付いていってあげるよ・・・的な?
そして、こう言った時がありました。
「もう歳とったら、そんなに食べれないし、少しあれば十分だから。美味しい物は今までたくさん食べてきたしね。毎日、〇〇さん(私)と近くを散歩して、あちこち回って、たまに商店街で買い物したりして、こうしてお茶飲みながら、なんだかんだ他愛もない話している時が一番楽しいよ」と。
その時に、義母が求めているのは「おもてなし」ではないんだ。
特別ではない、何気ない日常なんだ・・・と思いました。
普段、ひとりぐらいなので、ひとりでご飯を食べて、特に話す相手もいない。
家族の中に入って、一緒にテレビみたり、皆と笑ったり、他愛もない話ができる。
そんな時間を持てることがなによりも楽しい・・・ということだったんですね。
義母が滞在している間は、友達との約束はあまり入れないようにしていましたが、
私もお散歩したり、義母とまったりと過ごす時間が、なんだかとても心地よくて、私もこういう時間が好きなのかもと思うように。
時間の使い方、楽しみかた・・・なにか特別なことをすることではないんだなと、義母に気づかされました。
そして、私がさらに気づかされたこと。
それはけん太にです。
朝「行ってきます」と出て行くこと。
それが決して当たり前ではないと知った今は、もうそれだけで十分と思えます。
「幸せ」って何かから得られるものとは限らない。
何事も起こらないことも、十分「幸せ」なんだなということも。
普通に朝起きて、歯磨きして、朝ごはんを作って・・・その繰り返しの毎日であっても、
そのローテーションが崩れないで毎日、過ごせることも、考えてみれば凄いこと。
これって、それどころじゃない日々があったからこそ思えることなのかも。
それに気づけた私は「幸せ」だと思います。
そう気づかせてくれたのは、やはり「けん太」なんでしょうね