Mother and Children and Family Diary

Diary of twin boys, a girl and the family in Canada

ー35℃ Feb. 28, 2014

2014年02月28日 | Weather

2月28日

寒い日が続いてる。

マイナス20以下がもう何日も続いてる。

この日はカナダに来て10年になるけど、最低体感温度のマイナス45度。


日本語学校もお休みになり、やる事ないから

庭に出て、理科の実験。

まずはシャボン玉。

割れる前に凍り、しわくちゃになる。












 

あとは、熱湯を空中に放り投げる。

放り投げた瞬間湯気に変わる、でも熱湯は地面についてから凍る。

 

あと、濡れタオルね。

濡れタオルを振り回したら30秒で凍る。

 

体感温度マイナス45度の外遊びは20分でおわり。

今年は極寒の冬です。


Twice as much as snow than usual Nov.2013

2013年11月11日 | Weather

2013年、今年は雪深い冬の始まりです。

11月の初ドカ雪。

初雪が11月というのは、例年より遅めなんだけど、量が多い!

初雪かきは重くて30分かかった。

 カナディアンな子供達。これくらいのチョコッとそと遊びなら半そで。

冬でもコートの中は半そで1枚で学校行ってる。

通常の2倍の積雪量で、遊びにはもってこい!

雪かきにはもってこない。

放課後毎日、クラスメートと雪遊び。



↑兄ちゃん達のそり遊びを黙ってみるのも、

ー20度くらい、これに座ったままで

30分いけちゃうケイト。





氷の上に座らせてみたら、動きたくて動いてるけど足が寒くて5分ともたない。



↓ー15度くらいの、大人が雪かきしてる間はこのシートにしっかりはまって暖をとってれば眠れる。

 

庭に雪を集めて作った山。

もう少し雪が降ったら、はかまくらを作る予定。


まずは登って滑って遊ぶ。

さて、これからどんな冬がやってくるのでしょう。

 


Sakura Tea Party Apri 30,

2011年05月10日 | Weather

4月30日

日系会館でちょっとしたお祭り。

入場料払ってお茶飲みましょう。

郷土品売って日本復興の為の義援金を集めましょうという企画。

 

人がいっぱいいた。

目当ては友達が出店した手作り肉まん。

手作りでこんなにおいしい肉まんは初めてです。

蒸して、あつあつで頂くのはもちろんおいしいけど

冷めても皮が柔らかいって。何なの?

自分で作りたいよ。

 

 


Yuki came from Miyagi

2011年05月06日 | Weather

4月13日から19日まで有希ちゃんがカルガリーに戻ってきた。

 

去年の9月に多賀城に住むおばあちゃんが具合がよろしくなく

入院してるとの事で6ヶ月だけ日本に帰ってた。

3月に入ってばあちゃんの具合もよくなりそろそろカルガリーへ

戻ってこようと思い、3月11日の午前中に国際免許を取りに行った。

その日の午後・・・・・3.11です。

多賀城市の半分が流され、半分は残った。有希ちゃん実家は

幸いにも残った方。でも1階は津波が腰辺りまで押し寄せ全滅。

お父さんは仕事で市役所に、弟は車で外出中。

家にいたのはじいちゃんばあちゃんと、お母さんと妹と有希ちゃん。

足の悪いじいちゃんと、ばあちゃんを2階へ連れて行くのに必死だったそう。

2階の窓からSOS.

自衛隊の助けが来たけれど順番的に

救助されず、ライフラインのないまま1日が過ぎ、

ようやくヘリコプターで避難所まで運ばれたそう。

しばらくして、お湯は出ないが実家の2階で生活できるようになる。

それでも余震にいつもビクビクしながらね。

有希ちゃん始めから言ってた。「うちなんていいほう、家族揃ってるし家あるし」

そうだよね。もっと悲惨な人いっぱいいるもんね。

これも言ってた。始めの10日くらいは家族の絆が深まるけど、

その後は未来の事考えなきゃいけないから些細な事で

すぐ家族喧嘩になるって。それもわかるよね。

何が必要だったか訊ねると靴。想像もしてなかった。

1階に下駄箱があるから履物全部やられたそう。

お洒落なゆきちゃんが、唯一友達から送られてきたという

ランニングシューズで飛行機のってここまで来たもの。

 

有希ちゃんとの初対面は覚えてないんだけど5、6年くらい前かね。

カナダに来てすぐに働いてたすし屋を通して出会った。

子供生む前はちょくちょく家飲みしたりバー行ってた。

↓うちのコンドーで飲みながらつまみの餃子作ってる。きゅうりの漬物もね。

テニス部の彼女はダイニングテーブルでする卓球が凄く上手で勝てなかった。

 

↓これはいつだろう。2005年かな?近所のバーにて。

ビールが大好きでよく飲む!テキーラも調子に乗ると飲むんだけれど

寝ちゃうんだよ。

 

妊娠して子供産まれてしばらくは会ってなかった。私が酒飲まないからね。

↓産後初BBQに行った時。子供似合わないけど、抱っこも様になってるよね。

 

↓うちでBBQ。これ私が一番気に入ってる写真。

笑顔もかわいい、スタイルよろしい。モデルみたい。

 

↓2010夏、ベンは有希ちゃん大好き。基本的に綺麗なお姉さん好き。

 

 

↓すしかわ元同僚

この4人本当に仲良く仕事&遊びしてた。家族みたいにいつも一緒だったよ。

 

 

アパートも車もこっちにあったけど、今は全て引き払って

家族のいる日本での生活を決めて、今回1週間という短い期間でやってきた。

こっちにいれば地震はないし、物も仕事もあるけれど

日本に家族残してここには住めないって。

そりゃそうだよね。金より愛だよ!今は。

一緒にいて大笑いして、楽しい時間を過ごしてる時もふとした瞬間

頭があっちの方いって動きが止まってるときが多々あった。

日本にいる家族心配だよね。

「帰りたくなーい」って一回だけ聞いた。そりゃそうだよ。かわいそうに。

生理が2ヶ月遅れてたんだって、そんでカルガリー着いたとたん

始まったんだって。相当なストレスだよね。

これからが、家の修理したり物そろえたり大変だと思うけど

家族仲良く元気に生きていってほしい。

またいつかどこかで会えるでしょ~。

「手を広げて写真を撮ると写りがいいよ」かなんか言ってたけど

顔がやたら黒くみえるよ!!

数少ない日本人のなかでも、遊びのノリが合う女の子が一人減るのは

本当に寂しい。

自分の部屋の掃除は下手だけど

よく気がつく、気の利く美人ちゃんのお話でした。


Earthquake in Japan

2011年03月22日 | Weather

3月18日

今日で東北関東大震災から1週間。

震災で犠牲になられた方へ心からご冥福と

被災地で不自由な生活をされてる方へ心からお見舞い申し上げます。

 

10日の夜、寝る前にミクシイ開けたらラマが

「地震怖かったー」ってつぶやいてた。

あ、またかー。くらいで寝た。

次の朝早くから義母、夫の同僚から電話が入り

地震の酷さを知る。

ベッドから飛び降りてすぐにエリコに電話したらすぐに繋がったけど

声が途切れて話にならない。

すぐにスカイプで話して家族の安否と地震の状況を聞く。

スカイプ中も何度も何度も余震がきて、船酔い状態だと言っていた。

実家には電話繋がらず。

こっちのテレビで津波の映像が流れるけれど見ていて声にならない。

信じられない。信じてなかった。

その日は全ての約束をキャンセルしてテレビの前から動けなかった。

ご飯作るのも、掃除も出来ず、友達と電話をしても会話にならない。

カナダの家族や、ご近所さんから心配の電話をいただいた。

震災の次の日、私営の電話会社が日本への国際電話と、

日本のチャンネルを無料で供給してくれた。これはありがたい。

こんな遠くにいて何ができるだろうと、考える余裕が出来たのが

震災から3日目。クヨクヨ心配してたって何もならない。

テレビを見る時間を制限し、普段どおりの生活を送る事に努める。

しかし、もう一つ気になって眠れない事があった。

日本食レストランで一緒に働いていて、プライベートでも

よく遊んでいた、多賀城市出身のゆきちゃんと連絡がつかない。

Google finding people に載せても誰からも情報は得られず。

彼女の宮城県に住んでるだろうと思われるマイミクにメッセージを

送ってその方からゆきちゃん家族が無事で、今避難所にいることが確認できた。

今回インターネット、ミクシイの偉大さが身にしみた。

 

ママ友の一人が「翼をください」という募金活動を始めた。

鶴を折って、1羽1ドルで売って、売上金を日本赤十字に寄付する

というプロジェクト。この日から子供の寝た後に鶴を折り始める。

19日、いつもキッズクラスで行ってる日系会館で

大々的な募金活動が行われた。

ボランティアは赤のはっぴを着て、ヨーヨーや郷土玩具が売られ

和太鼓やお琴のショー。日本のお祭りみたいだった。

1000人が集まり80.000ドル集まった。

これも全て日本赤十字へ送られる。

「翼をください」でも1500ドル分の鶴が売れた。

遠くにて出来る事は募金と鶴折だけ。

 

一刻も早い日本の復興、被災者の方々の笑顔が見える日を心より祈っています。