ベートーヴェン:交響曲第5番、第7番(ウィーン・フィル/クライバー)(1974年)
レコ芸の今年の4月号の特集に「神盤再聴」その輝きは色褪せない。とある。
図書館で借りてきて読んでみる。
その中の1枚を再聴する。クライバーの5番だ。当時まだ無名でウィーン・フィルを
振りグラモフォン・デビューするというリスクの高い離れ業をやってのけた。
カリスマ性はあるといっても、相手はウィーン・フィルだ。そう簡単に伝統を
左右することはしない・させない団体。入念なリハーサルで彼らを納得させたのかも
しれない。これはクライバーの作りだした5番。当時あまりないアプローチで、
賛否両論だったようだけれど、私が聴いたのはCDに入ってからだった。
前に前にと進む彼の演奏に爽快感を覚え、重いだけの「運命」だけではない事に
気づく。こういうアプローチもあるのかと思いながら、いまでいえば古楽の演奏が
こういうイメージつくりの演奏があり、それほど違和感はないけれど、当時はそれでも
カラヤンとは言わないまでも色々比較されたようだ。
改めて聴いてみる。このエネルギー感が最後の1音まで継続してあり、この緊張感を
維持して完璧なアンサンブルを作り出すウィーン・フィルはやはり別物であること。
それに従った彼らも彼らだけれど、クライバーの物言いも、納得させるだけの何かが
当時からあった、ある意味天才肌の指揮者だったのだろうと改めて思う。
歴史の1枚でそれ以降もこの曲のアルバムはいろいろな団体で出され、クライバー盤も
追いつき追い越されることになったけれど、この盤の持つエネルギーは固有のもので、
変えられない何かを持ち、その時代を印象付けている。
レコ芸の今年の4月号の特集に「神盤再聴」その輝きは色褪せない。とある。
図書館で借りてきて読んでみる。
その中の1枚を再聴する。クライバーの5番だ。当時まだ無名でウィーン・フィルを
振りグラモフォン・デビューするというリスクの高い離れ業をやってのけた。
カリスマ性はあるといっても、相手はウィーン・フィルだ。そう簡単に伝統を
左右することはしない・させない団体。入念なリハーサルで彼らを納得させたのかも
しれない。これはクライバーの作りだした5番。当時あまりないアプローチで、
賛否両論だったようだけれど、私が聴いたのはCDに入ってからだった。
前に前にと進む彼の演奏に爽快感を覚え、重いだけの「運命」だけではない事に
気づく。こういうアプローチもあるのかと思いながら、いまでいえば古楽の演奏が
こういうイメージつくりの演奏があり、それほど違和感はないけれど、当時はそれでも
カラヤンとは言わないまでも色々比較されたようだ。
改めて聴いてみる。このエネルギー感が最後の1音まで継続してあり、この緊張感を
維持して完璧なアンサンブルを作り出すウィーン・フィルはやはり別物であること。
それに従った彼らも彼らだけれど、クライバーの物言いも、納得させるだけの何かが
当時からあった、ある意味天才肌の指揮者だったのだろうと改めて思う。
歴史の1枚でそれ以降もこの曲のアルバムはいろいろな団体で出され、クライバー盤も
追いつき追い越されることになったけれど、この盤の持つエネルギーは固有のもので、
変えられない何かを持ち、その時代を印象付けている。