遠い世界に~中川イサト 巨星堕つ。
「五つの赤い風船」関西フォークの雄。
ソロ活動になってから、アコースティック・ギターのソロ演奏に
新しい活路を見出し、その先駆的存在になった。
後進に押尾コータロー氏がいる。
多分我々が10代のころソロ・ギターを展開し始めていたと思う。
初めは海外の演奏のコピーもあったのだろうけれど、自作曲も
発表し始め日本人ならではの曲調の展開ということにも腐心した。
後進の育成などで、ギター教室も開いていた。関東では、打田十紀夫氏
がカントリー・ブルース系で有名だけれど、その走りのような時期に
中川氏は教室を開いて、自作曲や、カヴァー曲の譜面を元に教えていたという。
フィンガー・ピッキングでイサト氏を通過してない初期の演奏者はいないのでは
ないかと思う。その後、マイケル・ヘッジスが出てきて、奏法自体変化したため、
押尾氏などの世代が生まれた。
中川氏は海外のギタリストの紹介、招聘なども手掛け、その意味ではフィンガーピッキングの
世界を拡大した。楽器などでも、それ用の物の開発なども手掛けていた様で、メーカーから
イサト・モデルも出ていた。
最近は腎臓疾患で闘病生活を送られていた様だったが、そのようなことは全く世間には
報道されておらず、訃報が出てから、少しずつ分かってきたことだった。
70代、普通ならまだまだ頑張れる年代だったと思うが、突然の訃報に驚いている。
合掌。
OPUS-1310 / 中川イサト (Isato Nakagawa)
https://www.youtube.com/watch?v=g9Z5BclISjE
「五つの赤い風船」関西フォークの雄。
ソロ活動になってから、アコースティック・ギターのソロ演奏に
新しい活路を見出し、その先駆的存在になった。
後進に押尾コータロー氏がいる。
多分我々が10代のころソロ・ギターを展開し始めていたと思う。
初めは海外の演奏のコピーもあったのだろうけれど、自作曲も
発表し始め日本人ならではの曲調の展開ということにも腐心した。
後進の育成などで、ギター教室も開いていた。関東では、打田十紀夫氏
がカントリー・ブルース系で有名だけれど、その走りのような時期に
中川氏は教室を開いて、自作曲や、カヴァー曲の譜面を元に教えていたという。
フィンガー・ピッキングでイサト氏を通過してない初期の演奏者はいないのでは
ないかと思う。その後、マイケル・ヘッジスが出てきて、奏法自体変化したため、
押尾氏などの世代が生まれた。
中川氏は海外のギタリストの紹介、招聘なども手掛け、その意味ではフィンガーピッキングの
世界を拡大した。楽器などでも、それ用の物の開発なども手掛けていた様で、メーカーから
イサト・モデルも出ていた。
最近は腎臓疾患で闘病生活を送られていた様だったが、そのようなことは全く世間には
報道されておらず、訃報が出てから、少しずつ分かってきたことだった。
70代、普通ならまだまだ頑張れる年代だったと思うが、突然の訃報に驚いている。
合掌。
OPUS-1310 / 中川イサト (Isato Nakagawa)
https://www.youtube.com/watch?v=g9Z5BclISjE
追記
押尾コータロー
@kotaro_oshio ‐7h
今日は、僕の大好きな中川イサト師匠に最後のお別れに行きました。
中川イサトさん、たくさんのギター曲、僕を虜にした数々の名曲、
ありがとうございました。
押尾さんの押し弾きはプログラム通りの番組でしたので、
録音収録。来週はナオト(Vn)さんなので、取り直し
でもなければ師匠の特番は近々にはなさそうですね。
追記
4月13日11時荼毘に付されたとのこと。
向こうの世界に行かれますね。
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